夕暮れ、火を灯す頃。
だが、受入れられない話ではなかった。自分が産まれながらに奇妙な能力を持っていることが、祖父に繋がっている。家族の少ない彼にはなかなか実感できなかった血縁、祖先といったようなものが、祖父の姿をして、手応えや肌触りを持ってくるように感じられた。
しばらくは互いに無言で、宙に漂う紫煙を目で追っていた。
その煙も尽きた時、ジョセフがぽつりと尋ねた。
「じいさん、腹にキズあるだろ」
「ああ、あるよ。古いものだ」
老人は事も無げに答えた。。
「それも……そうなのかい?」
「私に出来ることは、あまりなかったんだ」
パイプの火皿をはたいて灰を落としながら、
「これぐらいが精一杯だった」
ぐい、とグラスを上げて酒を流し込んだので、その表情はわからなかった。
ジョセフはそんな老人を見守っていた。見守って、手にしたまま忘れていたスコッチを飲む。喉が灼けた。熱い息を吐いて、彼は一言ずつ、口から出す。
「じいさん、ありがとな。なんていうか……ありがとな」
「よしてくれ、年のせいか涙が出そうになる」
老人は手を上げて目を覆ったが、泣き出すまでには至らなかった。隠し部屋のドアが音高くノックされたからだ。
きびきびとしたノックに続いて顔をのぞかせたのは、スピードワゴンが重用している切れ者秘書だった。顔立ちも目つきも鋭い中年男性だ。彼は物言いも歯切れ良く、
「レオ、本社から電報が届いております」
事業関係者はスピードワゴンのことをそう呼ぶ。略称を、アメリカでは本名として使っているのだ。偽名臭さ、無きにしもあらずだが、この傷跡の多い人物をよく表している、とジョセフは思う。
軽く眉をひそめたスピードワゴンだったが、仕方なさそうに手を差し出した。
「どれ、見ようか。いい加減に私も引退したいんだがね」
「じいさん、そりゃ本気かい?」
肘掛け椅子から、ジョセフが声を上げた。素っ頓狂な調子に二人が振り向くと、まるきりいつもの軽口で、一つ一つを指さしながら、
「本社からって聞いたとき時計を見た。時差を計算したんじゃねえか? それから電報読むのに老眼鏡もかけねえ。おおかた用件がわかったんだろ。その上、手が鉛筆に向いてる。すぐにも返事が書けるんだろ。これが引退志望のじじいのすることか?」
瞬間、スピードワゴンはぽかんと口を半開きにした。
そして老人らしくもなく、からからと威勢よく、愉快そうに笑い、膝のハットをぽんと頭に載せたかと思うと、突如チンピラめいた口調になって、
「違えねえ、ジョジョ。スピードワゴンは死ぬまで現役さ」
荒っぽくジョセフに酒瓶を投げつけた。
およそ50年後、ジョセフは旅の途上にあった。
あの時の秘書と同じような人柄の、スピードワゴン財団の男が、歯切れ良く告げる。
「ミスタージョースター、御社から緊急の連絡が入っております。至急お電話をお願いします」
「わしゃ忙しいんじゃ。君から伝言しといてくれんか。ええと、わしは重役諸君を信頼しておる、諸君らの決定に一切を委任する、信じとるぞ、みんな。以上」
「そんな……ミスタージョースター!」
「娘を救うより重要な案件なんぞあるか!」
「社長の決定が必要なのでは?」
「いいからいいから」
「ミスタージョースター!!」
財団員を振り切って、ジョセフはさっさと逃げ出した。独り言をつぶやきながら。
「スピードワゴンは説教好きじゃ」
ニヤリとしそうになる口を、ぐっと顎を引いてごまかす。
走って行く先では、仲間達と孫、彼の大事な孫が、文句のひとつも言いたそうな顔で待ちくたびれていた。
作品名:夕暮れ、火を灯す頃。 作家名:塚原