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おそるべきこどもたち

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1.青峰

 夜の体育館で、1on1を終えた黄瀬がのびている。大の字でぜえぜえと息を荒げて、指の一本も動かせない、という風体で。
 青峰のほうは、黄瀬に比べるとまだ(といっても、ほんのわずかな違いだ。大部分はプライドでカバーしているにすぎない)余裕があるので、ポカリのペットボトルを投げ渡してやる。指はぴくりとも動かない。
 七月もすえ、いよいよ夏本番をむかえた体育館の空気は、どっしりと質量をもって蒸し暑くわだかまっている。けれど、人のいない体育館は、音が響いて抜けるからへんなさわやかさもあると青峰は思う。
 それは矛盾ではなく、体育館という箱の、べつの面というだけのことだった。人も体育館も、世界はすべていくつもの面で立体になる。
「ねえ」
 だいぶ息の整ってきた黄瀬が、あおむけに転がったまま呼びかけた。青峰のほうを見てもいないけれど、ここにはふたりしかいないから、きっと青峰に向けているのだろう。青峰も目をやらないまま答えた。
「あんだよ」
「ねえってば」
「だからなんだって」
 ねえねえだなんて、普通の男に言われたらぶん殴りたくなるような呼びかけ方だけれど、黄瀬の声はふしぎと青峰を苛立たせない。顔がいい男は声もいいらしい。
 明るく弾むけれど、耳ざわりではない、空気によくなじむ声。それが黄瀬の独特の喋り方と混ざり合って、無邪気なような思慮深いような、ふしぎな声色で青峰をなだめるのだった。
「桃っちが黒子っちに惚れちゃったのって、あれ、アイスのあたり棒もらったのがきっかけだったらしいっスよ」
「へー」
「すごいっスよね」
「そーだな」
 心底どうでもいい。
 返事だってしたくないような会話だったが、無意識のレベルで律儀に相槌を打ってしまい、青峰は自分相手に拍子抜けする。
 こういうことはしばしば起きた。青峰は黄瀬に対して、常になにかしらあまやかしてしまう傾向にあるのだ。
 1on1をせがまれたら極力対応してやる(もちろん、お互いのコンディションを見極めて断ることもある。黄瀬はなにも考えていないから、青峰は常に、自分だけでなく黄瀬の状態にも気を配ってやらなくてはならなかった)し、そのほかにもあれをしろこれをしろといわれたら――新しいバッシュを一緒に見てくれといったお願いから、デートの尾行の協力まで――めんどうだ一人で行けと文句をいいながらも、なんだかんだ力を貸してやっていた。
「青峰くんは、なんだかんだ黄瀬くんにあまいですね」
 観察眼に長けている影のうすい相棒にも指摘されたけれど、青峰にいわせれば、それは黄瀬がまだガキだからだ。
 バスケに対する姿勢だけは認めているけれど、それ以外の、たとえば言動とか、ものの見方とか、そういうところは、ぜんぶぜんぶガキだと思っていた。
 そうしてそれが、青峰が黄瀬をゆるせる理由のすべてだった。
 ぬるい風が重たい緑色のカーテンを少しだけゆらす。黄瀬はいまだごろりと転がったまま、人形のように動かない。
 顔立ちがつくりものめいてきれいなものだから、こうするとなんだか現実のものではないようにみえて、青峰はいつもすこしひるむ。けれど、黄瀬はそんな胸中はどこ吹く風で、
「つまるところ、やさしい男はモテるってことっス」
「そりゃまぁそうだろうな」
「なので青峰っちも、俺にポカリを飲ませてください」
 隠しもせず盛大にあまえた。冗談まじりの声色だけれど、どこか青峰があまやかしてくれるのを知っているようでもあった。無意識に、相棒の声を反芻する。
――青峰くんは、なんだかんだ黄瀬くんにあまいですね。
(知ってら)
 ため息をついて、ペットボトルのふたをあける。少し乱暴に上から口につっこんでやると、一気に入ったのかけほけほとむせた。涙目になっても、きれいな顔はきれいなままだった。
作品名:おそるべきこどもたち 作家名:まひる