愛しいのに哀しくて
痙攣したように瞼が動き、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
元々視力が悪い木手は、焦点が合うまでに少し時間がかかる。焦点が合っても視界は滲んだ様な景色しか映さなかった。その滲んだ視界に金色が映りこんだと思ったら、唇に柔らかな感触と暖かい温度が触れた。
唇を押し付ける力が弱まり、名残惜しむように軽く唇を吸われる。小さく耳に響くリップ音を聞きながら、寝起きの働かない頭で考えるよりも、その唇の感触で相手が誰かを理解した。もっとも、木手相手にこんなことを仕掛ける相手は一人しかいないのだが。
そして、ゆっくりと上手く力が入らない腕を伸ばして鈍く輝く金色を掴み、指先をすべる滑らかな髪質で誰かを確信する。つい先ほどまで熱を交わしていた相手だと。
木手の視力でも、はっきりと認識できる距離に移動した平古場と顔を合わせた。さらりと指先をすり抜ける感触の良い髪を何度も撫でる。柔らかく指どおりの良い髪が心地よく、指で掬っては零すを繰り返していると、どこか思いつめたような泣き出しそうな瞳に出くわした。また下らないことで悩んでいたのだろうと、どこか冷めた気持ちでその瞳を覗き込んだ。髪を軽く引っ張り、もう一度キスをするように促すと、素直に唇を合わせてきた。二度、三度と啄ばむようなキスを交わす。こういう所は素直で面倒が無くていいと思うが、一度拗ねると中々機嫌を直さない所は面倒だった。
けれど、嫌いではない。
我侭で、気ままで、誰よりも自由なその存在が木手の言葉一つで此処まで縛られる。
平古場の泣き顔が、全て木手のものだと思えば、愛しいと思わずにはいられなかった。
平古場が木手へと伝える言葉を疑ったことなどないが、どこか距離をとる平古場に苛立ちを覚えていたのも事実だ。上にいた平古場と体勢を入れ替える。突然の視界の逆転に、驚いて大きく開いた瞳に舌を寄せて舐める。目元、頬、顎、首筋、鎖骨と順に唇を落としていく。平古場の掌が木手の後頭部に触れ、髪を緩くかき混ぜた。
喉元に軽く歯を立てて噛み付くと「ふっ……」っと熱を孕んだ小さな吐息が零れたのが聞こえた。顔を覗き込み唇を指先で撫でると、唇が開き赤い舌で指を舐められる。平古場の艶を含む瞳の奥で静かに燃える情欲が見えた気がした。もう、先ほどまでの悲しみが消えていることを確認して、木手はうっとりと微笑んだ。
悲しみで縛ったならば、次は何で縛ろうか。
快楽か、憎悪か、それとももっと別の何か――。
「永、四郎……」
甘く掠れた声が耳に響いた。手首を掴まれ、腰に腕が回るのが分かった。上半身ごと体重を横に移動させる動きに、特に抵抗せずにいれば平古場との上下が入れ替わる。頬に平古場の鼻先が触れ、次に頬をすり寄せてくる動きが、まるで猫のようだと思った。
平古場の項から耳の裏へかけてゆっくりと手を滑らせ撫でると、顔を上げて木手と視線を合わせて来た。そのまま耳の裏を撫でていると、そっと触れるだけの優しい口付けが落ちてきた。まるで大切なものを扱うようなその仕草に、物足りないとばかりに離れていく下唇に歯を立てた。眉を顰めてこちらを見下すその顔に、不遜な笑みを向けると、今度は噛み付くようなキスで唇を塞がれた。
深くなる口付けを甘受しながら、木手は喉の奥で静かに笑った。
体を滑る掌も指先も、お互いを見つめる瞳も、熱を帯びた声も。その全てに反応して、木手の与えるものに縛られていく平古場を感じながら、木手もまた平古場から与えられる熱に身を浸した。