影ぼうしの夜
4.
見つからない。
見つからない。
明里の影は見つけた。春やオボミの影も見つけた。
鉄男の影も、等々力の影も、徳之助の影も、キャッシーの影も。知ってる人間も知らない人間も、手当たり次第に捕まえた。
なのに、遊馬の影。それだけがいくら探しても見つからない。
「もうすぐ夜が明けちまう」
深刻な面持ちで、東の空を睨み上げる遊馬。藍色だったそれは、下の方から次第に白ずんできている。後数十分もすれば、太陽が朝を引き連れて頭を覗かせるのだろう。
あの日が昇ればオレは、と遊馬は弱々しく独り言ちる。
〈大丈夫だ、遊馬。君は必ずや君の影を取り戻せる。それに、もし君が永遠に眠ってしまうというのなら、その時は私も一緒だ〉
「アストラル……」
一晩中街を歩き回っていた足は、いつの間にか家へと向かっていたらしい。懐かしい我が家を前にして一息つく。
「さて、次はどこ行こうかな」
その時、生垣の裏でガサガサッと深緑の葉が揺れた。一瞬の沈黙の後、遊馬とアストラルは急いで家に続く階段を上る。
ぜいぜい息を荒げて音のした辺りを見回してみれば、生垣の陰から何者かがこちらを伺っている。いや、遊馬にはそれが誰なのか分かっていた。
「出て来いよ、オレの影ぼうし」
相手はしばらく逡巡していたが、もう一度呼べばそろそろと生垣の陰から這い出して来た。彼は昨晩に目撃した姿そのままだった。
「実はボク、一晩中ここにいたんだ」
「一晩中? どこにも行かなかったのか?」
影ぼうしはこくりとうなずいて項垂れた。
「昨日の夜、ボクは君を離れて自由の身になった。でも、自由になって初めて、ボクは突然何も分からなくなった。君から逃げて、それからどうすればいいのか。どこに行けばいいのか。考えると怖くて、すごくすごく怖くて……とうとうどこにも行けなくなった」
それを皮切りにして、白い双眸からほろほろ光の涙を零す影ぼうし。泣きじゃくる声の端々に、怖かった、寂しかった、とそんな言葉が混じる。
遊馬は、手にしたハンマーをきゅっと握り締め、顔を上げて言った。
「――ごめんな。今まで見つけ出してやれなくて」
「え……?」
「これからは、オレがお前をどこにだって連れて行ってやるさ」
遊馬は、泣き濡れる影ぼうしをぎゅっと引き寄せて、その後頭部にそっとハンマーを押し当てた。
太陽は既に、地の果てから姿を完全に現わしていた。
「ぎりぎりセーフ?」
〈ぎりぎりセーフだ。危ないところだったな、遊馬〉
「いやー、冷や冷やしたぜ。一時はどうなることかと思ったよ」
冷や汗を手の甲で拭って軽く伸びをする遊馬。
「あれ? そう言えばあんまり疲れてねえ。眠くもねえ。一晩中街を駆けずり回ってたってのに」
〈これは単なる憶測だが、君の貰ったそのお菓子。それらには、食べた者の眠気を晴らす効果があるのかもしれない。カイトもオービタルも、恐らくはDr.フェイカーたちも、影ぼうしを逃がしたにもかかわらず、普通の人々のように意識を失っていなかった〉
「ふーん。締め切り前の姉ちゃんが欲しがりそうだな、このお菓子」
巾着袋を探れば、四角いミルクキャラメルがころりと遊馬の手のひらに転がった。影を追跡する合間にちょいちょい食べていたため、これが最後の一個だったようだ。遊馬は迷わずキャラメルを口に投げ入れ噛み締めて、袋の中は完全に空っぽになった。
今日は平日だから学校がある。でもまだ時間があるから一眠りくらいはしておこう。遅刻? 大丈夫じゃねえの?
そんな他愛のないことを話しながら、遊馬とアストラルは家の中に入って行く。
玄関の扉がばたんと閉められる寸前。朝日に照らされて遊馬の足元から長く伸びた影ぼうしが、ひらりと密かに手を振った。
(END)
2012/10/31