影ぼうしの夜
3.
〈ホープ剣・カオススラッシュ!〉
ホープレイの鋭く伸びた三刀がブラック・ミストを切り裂き、デュエルはアストラルの勝利に終わった。闘いの敗者であるNo.96に、裁きの鉄槌ならぬ遊馬のピコピコハンマーが振り下ろされる。
〈くっ、こんなところで負けるとは……! だが、覚えてろよ、次こそは必ず〉
〈まだ叩き足りないようだな。もう数発追加だ〉
「お、おう」
〈な、止めろ遊馬! 痛、痛たたたっ、アストラル、お前という奴はぁ……〉
遊馬にハンマーを連打され、苦痛と恨み事を訴えながらNo.96はしゅるしゅる縮んでアストラルに吸収された。吸収した右手を無表情でぎりぎり握り締めるアストラル。できるものなら、自らの手で滅多打ちにしたかったに違いない。
ピコピコハンマーを素振りする遊馬の耳に、エンジンの爆音が届いた。続いて、猛スピードで走る大型のバイクが、遊馬たちの目の前でキュキュキュッと急ブレーキを掛けて停止する。
「遊馬! アストラル!」
「シャーク!」
ヘルメットを取るのももどかしく、凌牙がバイクから転がるように降りて来た。緑袖の制服ではなく、私服姿だ。そんな彼の姿に、遊馬は自分が学校帰りの格好だということを何となく思い出す。
凌牙はつかつかと遊馬に歩み寄ると、がっと遊馬の肩をつかんで揺さぶった。
「遊馬! お前身体は大丈夫なのか! 意識は!」
「あ、うん。大丈夫、平気……でも酔う」
頭をがっくんがっくん揺らされながらも遊馬がどうにか答えれば、凌牙は揺さぶるのを止めて、腹の底から大きなため息をついた。
「ホープレイの攻撃名が聞こえたから、何事かと思ったぜ」
「それ、大体アストラルのせい」
〈私のせいか〉
遊馬が事情を話す前に、凌牙が目ざとくピコピコハンマーを見つけた。
「何だ、お前もなのか」
「お前もって、まさかシャークも?」
凌牙はこくりとうなずいてピコピコハンマーを取り出す。彼のハンマーには青いリボンが結ばれていた。
「璃緒の影は逃げ出すし、医者や看護師も皆寝ちまって全然起きやしねえ。でもお前は無事なんだな」
「ああ。でも影が……」
空白の地面を遊馬の足が蹴りつける。遊馬はふと、凌牙の足元に視線を向けた。
「あれ? でもシャークの影はちゃんとあるぜ?」
「本格的に逃げ出す前にこれをお見舞いしてやったからな」
璃緒は異様に素早かったが、こいつがとろくて助かったぜ、と凌牙。よくよく見れば、彼の影ぼうしは酷くしょんぼりしている様子だ。祭りが始まったと同時に終わってしまうのは、本人にとっては不完全燃焼以外の何物でもないのだろう。
〈彼も気の毒に〉
「ははは……」
〈ところでシャーク、今しがた私の影は捕まえたが、遊馬の影がまだなのだ。君は彼の行方について心当たりはないか?〉
「いや、ねえな。オレはこれから学校周辺を回ってみる。もし見つけられたらこっちで仕留めておくぜ」
「おお、ありがとなシャーク。こっちも手分けして探してみるから」
別れ際、凌牙はバイクに乗り込んでこう言った。
「そうだ、遊馬。行方の分からない探し物ってのは、意外と近くに紛れてることが多いらしいぜ。お前の影も、もしかしたら身近な場所に潜んでるんじゃねえか?」
手近な影ぼうしをハンマーで叩いて回りながら、遊馬とアストラルは繁華街を探索する。
街中には相変わらず影ぼうしがふらふらしている。だが、事件発生直後の大群に比べればかなり減少しているようだ。その理由を目の当たりにしたのは、彼らが二ブロック先に着いた時だった。
交差点のど真ん中で、ドーナツ型の人だかりができている。中心部からはあのピコピコ音が絶え間なく鳴り響いている。カイト一行かと遊馬たちが人垣に乗り込んで覗いてみれば、そこにいたのはパンプキング男だ。
彼は手慣れた身のこなしで、ハンマーを影ぼうしに向かって振り回す。疲労の色を全く表さず、着ているタキシードには土ぼこり一つ付いていない。
男の仕事が一段落した所で、遊馬は大声で呼びかけることにした。
「おーい、カボチャ頭!」
「か、カボチャ頭って……」
心外そうにつぶやいてこちらを向いた声の主は、遊馬たちが会ったのと同一人物だった。男は肩をぐいぐい回して軽くストレッチをする。それから左手に携えていたお菓子袋から小さなチョコレート菓子を出し、包みを剥いて着ぐるみの口の中にぽいと入れた。
「調子はどうです?」
「いいように見えるかよ。オレの影がまだ見つかってねえんだよ」
「それは申し訳ない」
ぺこんと手を合わせて男は遊馬に謝った。
「当日になって欠員が三人出てしまいまして。私たちだけで済めばよかったんですけど、結局は助っ人を頼まざるを得なくなりました。今年は逃げる気ゼロの影ぼうしが大半なのが不幸中の幸いでしたね」
「逃げる気ゼロって、そんな奴もいるってことか?」
「逃げる影、逃げない影、むしろ本体のところに帰りたい影、後は本体や私たちをおちょくって遊びたい影、色々です」
裏事情を説明する内に、男のテンションが段々上がって行く。
「大体、ありえないでしょう。たった十三名ですよ! 十三名でこのだだっ広いハートランドシティ全域を担当するんですよ! 影ぼうしを捕まえるだけじゃない、道端で倒れた人の保護も、企業秘密な場所の潜入も全部自分たちでしなきゃいけない! 一体チーフたちは何を考えてるんですか、ブラックもいいとこですよこの仕事!」
「分かった。分かったから、――てめえ一人で盛り上がってんじゃねーよ」
このままだと延々と続きそうだったので、遊馬は頃合いを見計らってカボチャ頭にきついチョップを一発叩き込んだ。返ってきた感触に、おや、と思う間もなく、
「大変失礼致しました」
「分かったんならいいぜ。でもよ、逃げる気ない奴が大半って、そんな必死になって捕まえなくてもいいんじゃねえか?」
「そういう訳にもいかないのが、この仕事の嫌なところでしてね」
パンプキング男は、ふっと紅の月を見上げた。
「万が一。夜が明けて日が昇るまでに影ぼうしを捕まえられなかったら」
「捕まえられなかったら? どうなるんだよ」
「影ぼうしの持ち主は眠ったまま、二度と目を覚まさなくなります」
「二度と」
「ええ、二度と」
予想だにしなかった返答に固まる遊馬とアストラルに、パンプキング男は励ましの言葉を掛けた。
「夜明けまでに捕まえてしまえば問題ないですよ。まあ、間に合わなくても何とかなるもんですが、あなたもまだ人間のままでいたいでしょう? それでは、私は仕事の続きがあるのでこれで。あなたも、タイムリミットまで諦めず頑張ってください」
至って爽やかにその場を去るパンプキング男。
「……んなっ、マジかよ――!」
がらんとした交差点に、遊馬の叫びが響く。
チョップした手に残る、やけに中身の詰まった生温かいカボチャの感触のことは、完全に彼の頭から吹き飛んでしまっていた。