神木出雲のある休日
どうやら、頼まれると弱いらしい。認めたくないけれども。
まったく。こんな奴らに押し切られるなんて。なんで断れないのよ? どうしちゃったってワケ?
稲荷の社に手を合わせる。少年たちも神妙な顔をして拝礼していた。やれば出来るんじゃないの。
じゃなくて。
なにやってんのよ、集中しなきゃ。
境内の空き地で出雲が魔方陣の紙を手に、祝詞を唱えて白狐を呼び出す。ぽん、と何かが弾けるような音と共に使い魔が姿を現わした。
「おや、今日は人間か。豪勢な贄だのう。何ぞ企んでおるのかや?」
「食べていい? 食べていいの?」
白狐たちは傍らに立つ少年たちを見て、舌なめずりをした。
「御饌津《ミケ》、保食《ウケ》、うるさい。こいつら贄じゃないから」
ほら、と出雲がビニール袋に入れてきていた油揚げを出す。
「神酒はないのか?」
「未成年が買えるワケないでしょ」
白狐がちぇ、と文句を言いながらも油揚げを頬張った。
「あの子たちは?」
やれやれ、と二匹が首を振りながら、兄弟の子狐たちを呼び出す。境内はあっという間に小さな狐たちで埋め尽くされ、わきゃわきゃと賑やかになった。拝殿の階段に腰掛けて見ていた勝呂たちが、小さく感嘆の声を上げた。
その声が聞こえたのか判らないが、子狐たちがあれよと言う間に勝呂たちを取り巻いて、よじ登ったり、膝の上で丸まったりと好き勝手に振舞い始める。二回も瞬きをした後は、少年達は白狐まみれになっていた。
「神木、なんとかしてくれ……」
勝呂が子狐に集られたまま物凄く困惑した顔で頼む。ソフトモヒカンとか言って、毎日セットを欠かさない髪の毛がもうぐちゃぐちゃだ。顎に生やした髭に狐がじゃれかかるのを避けようとしていたが、悪魔と分類されていても流石に神使だ。乱暴に叩き落としてしまわないように気を使ったせいで、逆に手を伸ばすのを支えてやっているような状態になっている。廉造と子猫丸もそれぞれ目一杯に集られて、引っかかれたり、舐められたりで笑いながら痛みを訴えると言う忙しい状態になっている。
イデデデッ! と勝呂が一際大きな声を上げる。見れば、人差し指に狐が食いついてぶら下がっていた。
ふっ、と溜め息を吐こうとしたのに、一息口から出た後は笑い声になった。しかも、止められなかった。
「ご……っ」
笑い出したのを謝ろうと思ったのに、笑いが後から後からこみ上げてきて、息が苦しいほどだった。たまらず腹を抱えて大笑いする。御饌津と保食の二匹がどうしたのか、ときょとんとした顔で出雲を見やる。
「あっ……! メガネ! 何も見えへん。アカンて、返してやぁ」
「ちょ、出雲ちゃん、笑うとらんと、助けてぇ~!」
子猫丸と廉造が情けない声で悲鳴を上げた。
ああ、もう。
こいつらに会ってから、調子狂ってばっかり。
護符を取り出して、使い魔たちを帰す。水を打ったように境内が静まり返る。そよ風が鎮守の森の梢を鳴らして行った。
「ほら、何とかしたわよ!」
「神木さん、おおきに」
「ありがとさん、出雲ちゃん」
少年達が噛まれた痕やら、食いつかれた手やらを振る。噛み付いた、といっても狐たちもちゃんと甘噛みに加減するくらいは出来たらしい。恐らく大事には至らないだろう。
「おう、邪魔して悪かったな」
「神木さん、使い魔見せて貰うておおきに」
なんでもない、と言う顔をしてみせる。
「……わ、悪かっ……」
ごにょごにょと言葉尻が萎んで、自分でも何を言っているのだか、判らない。御饌津と保食の兄弟達が、彼らにそんなに興奮して、噛み付くとは思っていなかった。怪我をさせてしまったことを謝ろうと思ったが、口が素直に動いてくれなかった。
まったく! なんで私がこんなこと……。
「も…、もういいでしょっ!? とっとと帰んなさいよ!」
「送ったらんでエエんか?」
「あんたたちに送ってもらわなくたって平気よ」
はん、といつも通りの憎まれ口を叩く。
「もう陽も落ちてはりますし……」
「女の子独りは危ないんと違う?」
廉造がそっと肩に手を掛けてくる。コイツは、本当に何度ヤメろと言っても、女の子にベタベタしたがる。
「あんたと一緒の方が、よっぽど危ないわよ、ヘンタイ!」
「志摩さんは相変わらずやなぁ」
「ま、でも、志摩の言うことも一理あるな。男の俺らが女一人放って帰るんも、なんや据わりが悪いわ」
勝呂の親切も、今は恥ずかしくてまともに受けられそうにない。もともと素直に受けたことなどないのだけれど。余計に気まずかった。
「平気だって言ってるでしょ、私をなんだと思ってんのよ!」
ホント、調子狂っちゃう。
そんなにイキナリ私の中へ踏み込んでこないでよ。あんた達も、杜山しえみも、奥村燐も。
朴さえいれば良かったのに。私の世界はそれで満足だったのに。
なのに、こいつらは喧しくやってきて、そのくせするりと入り込んで、かき乱していく。それがちょっと嬉しいなんて……。いいえ、そんなことない。何言ってんのよ。
「ほうか。まぁ、エエわ。その代わり危ない思うたら、電話しや」
その言葉に、廉造が真っ青な顔をして勝呂に詰め寄る。
「ちょっ…! ちょお、待って! 坊、いつの間に出雲ちゃんとケー番交換しはったんっ!? 俺には全然教えてくれへんのにっ!」
「志摩さん、落ち着いて!」
子猫丸が廉造をどうどう、と抑える。ホントこいつら、いつもいつもウルサイったら。
「知ってたからなんだってのよ、どーせ電話なんかしないし。なんかあったらすぐ使い魔出すわよ。そっちの方があんたたちより確実だもの」
「掛けてくれへんでも良いから、教えて!」
「教えなくても一緒でしょ、ソレ」
全然違う、と喚きながら、廉造が押さえつけている子猫丸を引きずったまま、出雲に迫ろうとする。その襟首を勝呂が抑えた。
「やかましいわ、志摩、帰るで。神木もエエから、ムリしたらアカンえ」
賑やかに去っていく少年達の姿を見送って、溜め息を吐く。
まったく、何なのよ? お節介! あたしは性格悪くて、負けるのは大嫌い。だから、ごめんとか有難うなんて、言わないんだから。
鬱蒼とした鎮守の森の枝をすり抜けて、残照が一時境内を真っ赤に染め上げた。
――うぬ、なんだか嬉しそうだぞ――
御饌津のからかうような声が聞こえる。ホント、コイツは口が悪くて、性格も悪くて、余計なことばっかり。
「嬉しくなんかないわよ」
黙れ、と念でぴしゃりと捻じ伏せて、もう一つ溜め息を吐く。そしてその直前まで口角が上がっていたと言う事実に驚いて、慌てて頬を叩いた。
ホント、調子狂っちゃう。