朔日と静寂
二十三時四十八分、部屋の中はしんと静まっている。
准と、准の好きな人とふたりきりで一つ部屋の中にいて、けれど准の唇からはいつもの睦言は零れない。
今日この日、准の好きなこの人はとても口数が少なくなるから。
今日この日、准もまた好きな人の心を汲んで、その唇を噤ませるから。
今日──四月一日、世界中でたくさんの人が他愛ない嘘に興じる日。
この日、准と糸色は、ふたりそっと口を噤んでただ、寄り添う。
それは以前の四月一日のこと。
准はこの人を、例え無邪気なものであっても偽りでからかうようなことを好ましいとは思わなかったから、その日を何事もないただの春の一日として過ごしていた。
そうしていつもと同じように、
「先生、好きです」
と囁いたとき、彼はふと不安げに眉を寄せて、准のことを、もの問いたげな目でじっと見つめたのだった。
「──どうしたの? 先生」
いつだって、同じ言葉で返してくれることはなくとも、それでもその眼差しの奧に柔らかな暖かさを宿して頷いてくれる彼なのに。寒さに竦むような表情をする糸色が気に懸かって、こめかみのあたりにそっと口接けを触れさせながらそう問うと、彼は少し躊躇ってから、すっと目を伏せて准に答えた。
「……あの──やっぱり嘘だ、って……云われるのではないかと思って──」
途切れがちに告げられた言葉に、准は驚いて目を瞠った。
好きです、好きです、好きですと、これまでにもう何度も言葉で彼に告げたか知れないくらいなのに。そして言葉の上だけの嘘でなど有り得ないということだって、ふたりの肌が何度も知ったはずなのに。
由来も謂われも知れぬ他愛のない俗習にこんなにも心惑わされてしまうくらい、彼は誰かにただ好かれることを、信じられないでいるのだろうか。
「僕は、そんなこと決して云いませんよ──」
そう真摯に誓った言葉に、彼は仄かに微笑んでくれはしたけれど、それでもやっぱりその瞳の奧に、その言葉すら真実であろうかと惑う揺らぎが見える気がしたから。