キャッチボール
校庭の桜の葉が茶色に色を変え始める頃、夕暮れの時間はぐっと早くなる。
「うっわ、もう真っ暗じゃねえか」
部室を出ると、周囲はもう薄く暗闇に包まれていた。山本は肩の鞄を担ぎ直して空を見上げる。群青から深いオレンジへと変わっていくグラデーションの中に、細い月がぽっかりと浮かんでいる。
「つーか、山本邪魔。そんなトコにつっ立ってんじゃねえよ」
背後から級友に文句を言われて、山本は上を見たまま慌てて体をずらす。それでもなお空を見上げる山本を、級友は不思議そうな顔で見る。
「何か面白いモンでも飛んでるのかよ」
「いや、別にー? 細っそい月だよなーと思ってさ」
「月? あ、ホントだ」
級友も空を見上げる。ぽかんと口を開けて空を見上げる部員二人を、他の部員が怪訝そうな目を向けながら通り過ぎていく。
「って、呑気に空見上げてる場合じゃねえんだよ。さっさと帰らねぇと、夕飯喰いっぱぐれる。山本、お前も待ってんじゃねえのか?」
ふと我に帰った級友がそんな事を聞いてきた。「待ってる? 誰が?」と問い返して、山本は首を傾げる。あいにく、部活を終える自分を待っていてくれる相手も、待たせるような相手も思いつかない。
「誰って、あれだよ」
級友が、校庭の隅に置いてあるベンチを指差した。校舎から漏れる明かりに照らされていたのは、足を組んで煙草を咥える獄寺の姿。不機嫌そうな表情はいつもの事だが、今日はいつもに増して苛立っているように見える。
「最近お前、獄寺とかと仲良いじゃん。あれお前が待たせてるんじゃねえのか?」
「いやー、そういう訳じゃないけど」
ぽりぽりと頭を掻いて、山本はベンチに向かって歩き出した。背後から級友の声がした。それに手を振って答え、獄寺の元へと近付いていく。
まさか、とは思う。けれど、もしかしたら、とも思ってしまう。
そんな事はあり得ないという諦めと、ひょっとしたらという期待。そんな思いを巡らせながら、一歩一歩足を進める。
足音に気付いたのか、獄寺が顔を上げた。ニッと笑って手を振ると、心底嫌そうな顔でこちらを睨んだ。
「別に、オメーを待ってた訳じゃねえぞ」
咥えていた煙草を手元の空き缶に捨てて、獄寺は不満そうに鼻を鳴らして言った。
「分かってるって。こんなトコで何してんだよ」
獄寺の隣に腰掛ける。獄寺は少し体をずらして間に隙間を作り、ふいっとそっぽを向く。
「何って、10代目をお待ちしてんだよ」
「ツナを? あいつがどうかしたのか?」
「担任に呼び出し喰らってる。待ってんだけど、中々出てこねえ」
「へー、こないだのテストの事かね」
「知るかよ」
そこで会話は途切れた。それもいつもの事でさして気にもせず、山本はベンチに座ったまま、また空を見上げる。空の色は、先程よりぐっと濃さを増していた。
「……お前なんで居るんだよ、さっさと帰れよ」
「え、俺もツナ待ってようかと思ってさ。どうせもうすぐ出てくんだろ?」
視線を戻して答える。獄寺は「勝手にしろ」と呟いて、新しい煙草に火を点けた。
日が暮れ、気温は一気に下がっていた。日に日に冷たさを増していく風が汗をかいた肌に当たり、山本は軽く身震いする。
「なあ、寒くねえか?」
山本が訊ねると、獄寺はちらりとこちらを見た。いつも通りの仏頂面で、いかにも面倒臭そうに嘆息する。
「別、に……」
返事は途中から派手なくしゃみに変わった。思わず声を上げて笑う。獄寺は何度かくしゃみを繰り返した後、また山本を睨んだ。
「笑ってんじゃねえよ」
「笑うって、強がっても寒いんじゃねえか」
「るっせえな、寒くねえっていってんだろ!」
そう強がってみても、くしゃみは止まらないらしい。鼻を真っ赤にしてくしゃみをする獄寺があまりに面白くて、山本は笑い続ける。
「だから笑うなって言ってんだろ!」
「はいはい、悪かったって」
鼻どころか顔まで真っ赤にして怒鳴る獄寺を、山本が笑いながら宥める。それが気に入らなかったのか、獄寺はまたそっぽを向いた。
ふと、ベンチの横に野球ボールが一つ転がっているのを見つけた。それを拾い上げて、手の中で軽く転がす。ただじっと待っていても冷えていくだけだ、少し身体を動かせば温まるかもしれない。そう思い、山本はバックからグローブを取り出す。
「なあ、ツナが出てくるまでキャッチボールしねえか?」
「はぁ?」
突然の山本の一言に、獄寺がこちらを見て素っ頓狂な声を上げた。山本は持っていたグローブを獄寺に押し付けて立ち上がる。
「だってじっと待ってても寒いだけだろ? 少しは身体暖まるんじゃねえかなと思って。俺の分のグローブ取って来るから待ってて」
山本が部室に向かう為に走り出す。
「おい、オレはやるなんて言ってねえぞ! 勝手に決めんな!」
背後で獄寺が怒鳴る。それに構わず、山本は校庭を突っ切って灯りの消えた部室へと足を向けた。
「うっわ、もう真っ暗じゃねえか」
部室を出ると、周囲はもう薄く暗闇に包まれていた。山本は肩の鞄を担ぎ直して空を見上げる。群青から深いオレンジへと変わっていくグラデーションの中に、細い月がぽっかりと浮かんでいる。
「つーか、山本邪魔。そんなトコにつっ立ってんじゃねえよ」
背後から級友に文句を言われて、山本は上を見たまま慌てて体をずらす。それでもなお空を見上げる山本を、級友は不思議そうな顔で見る。
「何か面白いモンでも飛んでるのかよ」
「いや、別にー? 細っそい月だよなーと思ってさ」
「月? あ、ホントだ」
級友も空を見上げる。ぽかんと口を開けて空を見上げる部員二人を、他の部員が怪訝そうな目を向けながら通り過ぎていく。
「って、呑気に空見上げてる場合じゃねえんだよ。さっさと帰らねぇと、夕飯喰いっぱぐれる。山本、お前も待ってんじゃねえのか?」
ふと我に帰った級友がそんな事を聞いてきた。「待ってる? 誰が?」と問い返して、山本は首を傾げる。あいにく、部活を終える自分を待っていてくれる相手も、待たせるような相手も思いつかない。
「誰って、あれだよ」
級友が、校庭の隅に置いてあるベンチを指差した。校舎から漏れる明かりに照らされていたのは、足を組んで煙草を咥える獄寺の姿。不機嫌そうな表情はいつもの事だが、今日はいつもに増して苛立っているように見える。
「最近お前、獄寺とかと仲良いじゃん。あれお前が待たせてるんじゃねえのか?」
「いやー、そういう訳じゃないけど」
ぽりぽりと頭を掻いて、山本はベンチに向かって歩き出した。背後から級友の声がした。それに手を振って答え、獄寺の元へと近付いていく。
まさか、とは思う。けれど、もしかしたら、とも思ってしまう。
そんな事はあり得ないという諦めと、ひょっとしたらという期待。そんな思いを巡らせながら、一歩一歩足を進める。
足音に気付いたのか、獄寺が顔を上げた。ニッと笑って手を振ると、心底嫌そうな顔でこちらを睨んだ。
「別に、オメーを待ってた訳じゃねえぞ」
咥えていた煙草を手元の空き缶に捨てて、獄寺は不満そうに鼻を鳴らして言った。
「分かってるって。こんなトコで何してんだよ」
獄寺の隣に腰掛ける。獄寺は少し体をずらして間に隙間を作り、ふいっとそっぽを向く。
「何って、10代目をお待ちしてんだよ」
「ツナを? あいつがどうかしたのか?」
「担任に呼び出し喰らってる。待ってんだけど、中々出てこねえ」
「へー、こないだのテストの事かね」
「知るかよ」
そこで会話は途切れた。それもいつもの事でさして気にもせず、山本はベンチに座ったまま、また空を見上げる。空の色は、先程よりぐっと濃さを増していた。
「……お前なんで居るんだよ、さっさと帰れよ」
「え、俺もツナ待ってようかと思ってさ。どうせもうすぐ出てくんだろ?」
視線を戻して答える。獄寺は「勝手にしろ」と呟いて、新しい煙草に火を点けた。
日が暮れ、気温は一気に下がっていた。日に日に冷たさを増していく風が汗をかいた肌に当たり、山本は軽く身震いする。
「なあ、寒くねえか?」
山本が訊ねると、獄寺はちらりとこちらを見た。いつも通りの仏頂面で、いかにも面倒臭そうに嘆息する。
「別、に……」
返事は途中から派手なくしゃみに変わった。思わず声を上げて笑う。獄寺は何度かくしゃみを繰り返した後、また山本を睨んだ。
「笑ってんじゃねえよ」
「笑うって、強がっても寒いんじゃねえか」
「るっせえな、寒くねえっていってんだろ!」
そう強がってみても、くしゃみは止まらないらしい。鼻を真っ赤にしてくしゃみをする獄寺があまりに面白くて、山本は笑い続ける。
「だから笑うなって言ってんだろ!」
「はいはい、悪かったって」
鼻どころか顔まで真っ赤にして怒鳴る獄寺を、山本が笑いながら宥める。それが気に入らなかったのか、獄寺はまたそっぽを向いた。
ふと、ベンチの横に野球ボールが一つ転がっているのを見つけた。それを拾い上げて、手の中で軽く転がす。ただじっと待っていても冷えていくだけだ、少し身体を動かせば温まるかもしれない。そう思い、山本はバックからグローブを取り出す。
「なあ、ツナが出てくるまでキャッチボールしねえか?」
「はぁ?」
突然の山本の一言に、獄寺がこちらを見て素っ頓狂な声を上げた。山本は持っていたグローブを獄寺に押し付けて立ち上がる。
「だってじっと待ってても寒いだけだろ? 少しは身体暖まるんじゃねえかなと思って。俺の分のグローブ取って来るから待ってて」
山本が部室に向かう為に走り出す。
「おい、オレはやるなんて言ってねえぞ! 勝手に決めんな!」
背後で獄寺が怒鳴る。それに構わず、山本は校庭を突っ切って灯りの消えた部室へと足を向けた。