キャッチボール
戻ってくると、獄寺はしっかりとグローブをはめていた。さっき拾ったボール以外にも、色々な部活のボールが転がったままだったらしい。鮮やかなレモンイエローのテニスボールを手持ち無沙汰に弄っていた。
「何だ、やる気あるんじゃん」
嬉しさに笑いそうになるのを堪えながら、山本がそうからかう。獄寺はキッと山本を睨むと、テニスボールを山本に向かって投げ、立ち上がった。
「嫌だ、つっても勝手に決めるじゃねえか。しょうがねえから付き合ってやるよ」
「あーそう、素直じゃねえなぁ」
「あぁ? 喧嘩売ってんのかてめえ」
怒り出しそうな獄寺を笑いながら宥める。そういえば、獄寺の笑顔はツナと一緒に居る時しか見たことがないな、と、そんな事を思いながら山本は小走りでグラウンドに出る。
「んじゃ、こっちから投げるから」
「いいか! 少しは手加減しろよ! 野球バカ!」
獄寺の言葉に山本は手を振って答える。一つ息を吐いて気持ちを落ち着けて、山本は手に持ったレモンイエローのボールを獄寺に向かって投げた。
ボールは、夕闇の中を真っ直ぐ獄寺に向かって飛んでいく。その球威に、獄寺は一瞬驚いた表情を浮かべて、慌ててグローブを構えた。
ボスッっと鈍い音を立てて、ボールは獄寺がはめているグローブの中に収まる。それでも痛かったのか、獄寺は軽く顔を顰めて山本を睨んだ。
「だから手加減しろって言ったろ! このバカ!」
「あ、ワリイ! 手加減忘れてた!」
手を合わせて何度も頭を下げる。獄寺が口元だけ笑みを浮かべて山本を指差す。
「てめえが真剣にやるなら、こっちもマジでやらせてもらうぜ。ワリイが飛びモンには自信があるんだ、おりゃ!」
獄寺がボールを投げる。それは意外な程早いスピードでこちらに向かってきていて、山本は表情を引き締めてグローブを軽く拳で叩く。
顔の真横に飛んできたそれをギリギリでキャッチする。予想外の威力に、山本は目を丸くする。
「なあ獄寺、お前野球やらねーの?」
「あぁ? やんねーよ! そんな呑気な事やってる暇ねーっての!」
「えー、もったいねー。お前ならエース狙えるぜ。煙草止めれば」
「るっせーな! さっさと投げてこいっての!」
「はいはい、んな怒鳴るなって」
言われるままにボールを放る。どうしても野球の事になると手加減出来ず、ボールはさっきより早いスピードで飛んでいく。獄寺は驚きながらも、正確にそれをキャッチしていった。
遊びで始めたはずのキャッチボールなのに、いつしか二人とも真剣になっていた。中学生同士の遊びとは思えない球威のそれに、通りすがりの生徒が唖然とした顔を浮かべていた。
黙々とボールを投げながら、山本はふと、余計な事を考え始める。
キャッチボールの相手が転校してきたのは、ほんの数ヶ月前。初めて見た時から、気になる存在だった。
ツナの事がきっかけで仲良くなった。仲良くと言っても、向こうは自分を友人と思っているのかは分からない。すぐにつっかかってくるし、二人きりになれば、いつも不機嫌な顔をしている。そのくせ、ツナが現れると「十代目!」と嬉しそうな顔をする。
いつかその笑顔を自分にも向けてくれるようになったら。そんな風に思い始めたのは最近の事だ。眉間に皺を寄せた仏頂面ではなく、ツナに見せる最高の笑顔を。
自分の中での獄寺の位置付けは、他の友人とは違う。そう意識し始めたのはついこの間だった。顔を見ていると嬉しくなる。傍にいればもっと。だから、自分は嫌がる素振りを見せる獄寺の傍にくっ付いていた。
今日だって、もしかしたら自分を待っていてくれたのかもしれないと思った。そうだったら最高に幸せなのに、とも。そんな訳がないとは分かっていたけれど、どうしても期待してしまう。
この思いの名前が、山本は分からなかった。分かっていることはただ一つ。
その最高の笑顔を、オレにも向けてくれ―――思いを込めてボールを投げる。
けれど、余計な事を込めてしまったせいか、ボールはあさっての方向へと飛んでいってしまった。獄寺が何かを怒鳴りながらボールを追いかける。
取れないだろう、と思った。取れなくてもいい、とも。思いを込めたボールは、きっと獄寺には届かない。
「バカ野郎! どこに向かって投げてんだよ!」
獄寺の怒鳴り声で我に返る。獄寺のグローブの中には、思いを込めたレモンイエローのボールが、しっかりと収まっていた。
「あ、ワリイ! つーか、取れたんだ」
「おう、しっかり取ったぞ」
グローブを高く掲げて、獄寺は誇らしげな顔で鼻を鳴らした。やっぱり笑顔ではないけれど、獄寺のその顔が嬉しくて、山本は笑顔を浮かべる。
「何笑ってんだよ! てめえも取ってみやがれ」
獄寺が大きく腕を振りかぶってボールを投げる。途中ですっぽ抜けてしまったボールは、細い月の浮かぶ夜空に向かって、高く、高く飛んでいった。
「うわっ! わざと変なトコ投げんなって!」
ボールは弧を描きながらゆっくりと落ちてくる。山本はそれを追いかける。
いつかきっと、さっき投げたボールのように、獄寺がこの思いをキャッチしてくれれば、と思いながら。