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03:スプーン三杯の記憶

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 卵、白砂糖、蜂蜜、牛乳。それらをボウルでかき混ぜて、四つに切った食パンを浸す。少女たちがフレンチトーストを所望するのはいつだって突然だったから、食パンを数時間浸すなんて手間をかける暇なんてなかった。フライパンを熱して、バターを一欠片。重ねるように食パンを。たったそれだけの単純な流れ作業。だからこそ、今作っているのだが。ろくに頭を働かさなくても、軽やかに動く手。これは思い出なのだろうか。それとも、単なる過去という知識の一片に過ぎないのだろうか。後者をとりたい臨也は、されどもバターの焦げる芳しい匂いで、意図せぬ記憶の扉をノックされる。臨也はフライパンの蓋を閉じると、棚から真っ白な皿を取り出した。覚えている。覚えているさ。昔は小さな二つの手で支えられていた三枚の皿ががちゃがちゃと危なげな、けれど耳に心地良く馴染む微笑ましい音を立てていたことを。それを眺めるもう一人の少女がフォークを握りしめていたことも。今、臨也の手の皿は沈黙している。記憶の中の音ばかりが鮮明だ。
「ねえ、グラニュー糖ってどこだっけ?」
 盛りつけのときに掛けたいのに見あたらなくて、ソファで作業している波江に声を掛ける。キッチンは波江の城だ。彼女のほうがこの家の主よりも、ずっと詳しい。何しろ、ここのキッチンは彼女の日常の色を留めているのだから。本人が聞けば怒りそうなことを考えながら、臨也はフライ返しでフレンチトーストを裏返す。いい焼き色。いつのまにかキッチンに来た波江は、フライパンに目をやって、それから蜂蜜、ボウルへと視線を動かした。まるで順番が決まっているかのように、てきぱきとした動きだった。揶揄するような視線。
「貴方、甘いの嫌いじゃなかった?」
「……ただの気分だよ。ないなら別にいい」
 この間のアップルパイを思い出して、つ、と臨也は視線を細めた。あの甘ったるい匂いがフラッシュバックしてきそうな気がする。レモンの傷ついた表面の色も。
「そう。このあいだ切れたから、貴方が買い足してなければないはずよ」
「あれ、そうなんだ」
 そう答えながらも、不満に思う自分は子供じみてる。けれど、皿に盛ってから、グラニュー糖を振り掛けて、ようやく完成したと思えるのだ。透明なグラニュー糖は、一袋数百円しかしないくせに、もったいぶって指先から流れていく感じが、たまらなく綺麗だ。あの陳腐さがたまらない。それでもないならないで、かまわないと思えたのは、もうそれを望む声が聞こえないからだ。
「灯台もと暗し、ね。情報屋の癖に」
「精進するよ」
「それから、換気扇ぐらい付けたらどうなの。貴方、このあいだ人の料理に甘ったるいってケチ付けたけれど、匂いだけなら今のほうがひどいわよ」
 忘れてた。細い指先が、換気扇を付ける。コォォとまわる、まわる。それでも波江の言う澱んだ甘さがわからない。なるほどこれは確かに灯台もと暗しらしい。波江のアップルパイしかり。内心で呟きながら、臨也は甘い混合液の残るボウルをシンクに放った。人間はいつだって、自分の過去には鈍感だ。


スプーン三杯の記憶
臨也と波江
作品名:03:スプーン三杯の記憶 作家名:きり