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及川さんと月島くん

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 何度目かの激しい殴打の音に、僕は視線を室内に戻した。家具の一つもない殺風景な部屋で、数十分前まで威勢よく吠え立てていた名も知らない男は床にうずくまり、呪詛のような言葉を吐き出し続けていた。口の中もずたずたなのだろう、何を言いたいのか僕にはさっぱり聞き取れない。
「まだ落ちないんだ」及川さんはため息混じりに呟くと、すっとしゃがみこんだ。男の髪を引っ掴み、無理矢理顔を上げさせる。「これ以上意地張ってもいいことないと思うんだけどなあ。吐くか寝るかのどっちかにしたら?」
 喉元を締め上げられた男は不明瞭に何事かを訴えたが、もっとはっきり喋りなよと笑ってあしらわれ、けれど気絶させてももらえなかった。言わずもがな、どちらの道も塞いでいるのは彼なのだ。本当に性格が悪い。
 いい加減付き合っていられない、外の空気でも吸ってこようとドアノブに手をかけたそのとき、無人のはずの階下で物音がした。風ではない、人のしわざだ。時計を見るといつのまにか一時間も経っている。これだけあればどんな馬鹿でも追いつく。及川さん、と僕は声をかけた。「そろそろ行かないと」
「あれ、もう来ちゃった?」
 目を閉じて耳を澄ませる。下でうごめく足音は三人、いや四人。うち一人はほとんど動かず指揮を取っている。統率がとれている。鉢合わせたら面倒なことになりそうですよ。うんざりしながら言うと、及川さんはようやく重い腰を上げた。白いシャツの胸元には点々と血が飛び散っていて、一枚いくらしたんだろうと下世話なことを考える。
「どしよっか。この建物、追いつめられたら終わりだよねえ。困った困った」
「アンタが楽しんでたからでしょうが」さっさと潰して逃げていれば、今頃家でのんびりしていられた。不満をあらわにした僕に、
「ほたるちゃんさあ」と及川さんは口を尖らせた。「君がさわりたくないって言うから俺が全部やってんだよ。それに対するねぎらいとかいたわりとか全然ないわけ?」
 ――じゃあ俺と組む? 他人の肌には触れたくないと主張した僕に、手を伸べたのは彼だった。まあ戦車でも持ってこられたら別だけどさ、相手が生身の人間なら絶対負けないし。トビオちゃんから色々聞いてんでしょ俺のこと。え、何も企んでなんかないよ、お互い苦手分野は持ちつ持たれつで行きませんかって提案してるだけ。君にとっては悪い話じゃないんじゃない?
 実際に組んでみたら、バランスの取れた能力を持つ彼に苦手分野などありはしなかった。大抵のことは難なくこなし、他については特別秀でていた。僕は文字通りノータッチでいられた、ただ一人の例外を除いて。
「……感謝してますよ」
 アンタが見積もってるよりずっと。滲ませた本音を知ってか知らずか、
「感謝よりもご褒美が欲しいなあ」
「はあ?」
 及川さんは意地の悪い笑みを浮かべて僕のネクタイを掴んだ。その意図に気付き、致命的なタイムロスだ――思いつつも、顔を傾けて目をつむった。閉じた唇をこじ開けるように濡れた舌が入ってきた。
作品名:及川さんと月島くん 作家名:マリ