LOVERS' KISS
LOVERS' KISS
岩の月一日。トレイの誕生日である。
例年、マザーを囲んで魔導院外局で暮らす兄弟たちとともに、ささやかながら誕生日会を開いていた。マザーお手製のケーキと、普段よりもわずかながら豪勢な食事。兄弟の人数が多い為、誕生日会は毎月のように行われていた。だが毎回主役の変わる催しは、代わり映えのしない外局での生活の中において各々の楽しみの一つだった。
生活の場が外局から魔導院に移ってから、始めての誕生日。もう誕生日だからといってうきうきと心待ちにするような歳ではなくなったが、それでも『特別な日』であることには変わりない。今年も去年とそう変わらない誕生日がやってくると思っていたのだが、予想は大きく外れた。
現在朱雀は戦時下である。
岩の月一日をもって、皇国軍に侵攻されたルブルム地方を奪還するために『レコンキスタ作戦』が発動したのだ。悠長に浮かれている場合ではない。魔導院に出入りする軍人や教官、候補生の多くが作戦に参加するために慌ただしく動いていた。0組ももちろん作戦に参加し、その結果として華々しい功績を上げることができた。戦に勝った高揚感。いくら冷静さを装ったところで、現実は変わらない。周りの雰囲気に飲みこまれ、流されていくようだった。戦争という非日常が依然として続く毎日の中で、トレイ自身も自分の誕生日があったことなど忘れてしまっていた。
岩の月も半月ほど過ぎた、ある日のことだ。場所は魔導院内にある候補生用の男子寮である。階級や組によって違うのだろうが、0組は幸いなことに個室が与えられていた。壁が薄いことは仕方がないが、それでも最低限のプライバシーが守られるのはありがたい。
コン、コン、コン。
トレイの自室をノックするものがいた。
こんな時間に誰かが来るなど珍しい。時計を見ればまだ消灯時間前だ。確かに誰かが出歩いてもおかしくはない時間ではある。トレイといえばすでに夕食も入浴も終え、明日の予習を軽くしたら後は眠るだけだったが、眠るにはまだ早い。自分に用事がある者というのは広い魔導院の中でもごく一部の者に限られている。寮は女子禁制の為、いくら仲が良くてもシンクやケイトといった女子が来る可能性はない。ならば教官や0組の男子しかいないではないか。トレイは読みかけの魔導書にしおりを挟み、椅子から立ち上がった。
返事をしてドアを開けると、案の定ドアの前にはクラスメイトであるジャックがいた。
「おや、ジャックじゃありませんか。こんな時間にどうしたのです」
「ん~、トレイに渡したいものがあって」
「私に、ですか」
どうやら授業やミッションのことではないらしい。いくら岩の月といっても夜はまだ冷える。廊下で話し込むのもどうかと思うので、ひとまずジャックを部屋に入れた。
トレイがコーヒーの一杯でも入れようとして、小さな薬缶をプレートの上に置いた。プレートには魔晶石の欠片が配置されていた。ファイアの力が籠められている、簡易的なコンロだった。直接触れても火傷するほど熱くはならない。その間に勝手知ったる他人の部屋、とでも言うように、ジャックはトレイのベッドに腰をかけた。
「何かしてた?」
「本を読んでいました。急ぎではないですから大丈夫ですよ。それで、私に渡したいものとは一体何です」
「じゃ~ん!誕生日プレゼントだよぉ~」
「たん、じょうび…?私の、ですか」
何度かまばたきを繰り返して、トレイはジャックを見つめた。そういえば月の初め、一日こそトレイ自身の誕生日だったが、そのことをトレイ自身すっかり忘れていた。クラスメイトのうち誰かが覚えていてくれたのかもしれなかったが、雑談をする余裕もなく、それどころではなかった。
「覚えていてくださったのですか、ジャック」
「あたりまえじゃん。だってトレイの誕生日だよ」
プレゼントももちろんうれしいが、こんな状況で自分の誕生日を覚えていてくれたことが何よりもうれしい。自然と目じりが下がり、目が細められた。ジャックの隣に腰かけると、トレイはジャックから箱を受け取った。手のひらに収まる小ぶりな箱は、まるでアクセサリでも入っているような、白いリボンがかけられている黒いシックなものだった。
「これは?」
「開けてみてよ」
ふふふ、と笑うジャックの笑顔を横目に、トレイはしゅるりと音を立ててリボンを解いた。箱の中身は細工のされたチョコレートが五粒、行儀よく並んでいた。箱の表に書かれた店名から、魔導院の中ではけして手に入らない高価なものだとわかる。コルシまでいかないと直営の店舗はなかったのではないか。その店だって、飲食店というよりまるでブティックのような店構えだったように記憶している。ジャックはこれを一体どんな顔をして買いに行ったのだろうか。付き添いを頼んだ女子でもいたのだろうか。聞いてみたい気もしたが、さすがにそれは意地悪だろうかとトレイは思いとどまる。鼻を近づければ、シャンパンやアーモンドだろうか、さわやかな香料と、カカオ特有の芳醇な香りがした。巻貝のような形や、つやつやと色とりどりにコーティングされたチョコレートは見目鮮やかで、口に入れる前からトレイを幸せな気分にさせてくれた。
「ありがとうございます、ジャック。それはそうと、バレンタインデーは一月ほど前に終わっていたのではないでしたか」
「バレンタインは関係ないって。前にトレイ、頭使うときは甘いものがいいんだって言ってたじゃない。だからチョコ選んだんだ」
「あぁ、なるほど」
そんな話をいつだったか、したかもしれなかった。
「そうですね。たしかにチョコレートには集中力、記憶力、思考力を高めて、やる気を出す成分が含まれていましたね。吸収の時間も考えて、たとえば試験の一時間前に摂取すると効果的だとか。」
「トレイ、僕はそんな話を聞きに来たんじゃないよぉ」
「すみません」
ぶう、と顔を膨らませるジャックに、トレイは慌てて謝った。いつもの悪い癖が出てしまった。
「ねぇ、どれか食べてよ」
「いいですよ。……そうですね、せっかくですからあなたの手で食べさせてください」
「えぇ?」
「口に入れるだけですよ。ほら。私の誕生日なのですから、少しぐらい甘えてもいいでしょう?」
「んも~、仕方ないなぁ。じゃあ、これ」
ジャックが選んだのはオレンジ色のプレートが乗っている粒だ。見目通り、オレンジの香りが強い。
「はい、あーん」
素直に口を開けて待っている姿はまるでヒヨチョコボみたいだが、トレイがそんなに可愛い動物ではないことはジャックも重々承知していた。トレイの口元に近付けると、予想した通り、持っていた指先ごとトレイの口に含まれた。
「僕の指はチョコじゃないよぉ」
「わかっています」
口にチョコレートと指を含みつつ、トレイは器用に返事をした。
指先にはまだチョコレートの感触がある。だがそれよりもトレイの口腔の温かさや、指先に絡まるねっとりとした舌の軟らかさに、ジャックの意識は持っていかれてしまう。ちゅぷ、くちゅ、という濡れた音がときどき耳に届くのがたまらなかった。
「ねぇ、トレイ。これってさ……」
「んん」
これって、疑似セックスじゃないの。
岩の月一日。トレイの誕生日である。
例年、マザーを囲んで魔導院外局で暮らす兄弟たちとともに、ささやかながら誕生日会を開いていた。マザーお手製のケーキと、普段よりもわずかながら豪勢な食事。兄弟の人数が多い為、誕生日会は毎月のように行われていた。だが毎回主役の変わる催しは、代わり映えのしない外局での生活の中において各々の楽しみの一つだった。
生活の場が外局から魔導院に移ってから、始めての誕生日。もう誕生日だからといってうきうきと心待ちにするような歳ではなくなったが、それでも『特別な日』であることには変わりない。今年も去年とそう変わらない誕生日がやってくると思っていたのだが、予想は大きく外れた。
現在朱雀は戦時下である。
岩の月一日をもって、皇国軍に侵攻されたルブルム地方を奪還するために『レコンキスタ作戦』が発動したのだ。悠長に浮かれている場合ではない。魔導院に出入りする軍人や教官、候補生の多くが作戦に参加するために慌ただしく動いていた。0組ももちろん作戦に参加し、その結果として華々しい功績を上げることができた。戦に勝った高揚感。いくら冷静さを装ったところで、現実は変わらない。周りの雰囲気に飲みこまれ、流されていくようだった。戦争という非日常が依然として続く毎日の中で、トレイ自身も自分の誕生日があったことなど忘れてしまっていた。
岩の月も半月ほど過ぎた、ある日のことだ。場所は魔導院内にある候補生用の男子寮である。階級や組によって違うのだろうが、0組は幸いなことに個室が与えられていた。壁が薄いことは仕方がないが、それでも最低限のプライバシーが守られるのはありがたい。
コン、コン、コン。
トレイの自室をノックするものがいた。
こんな時間に誰かが来るなど珍しい。時計を見ればまだ消灯時間前だ。確かに誰かが出歩いてもおかしくはない時間ではある。トレイといえばすでに夕食も入浴も終え、明日の予習を軽くしたら後は眠るだけだったが、眠るにはまだ早い。自分に用事がある者というのは広い魔導院の中でもごく一部の者に限られている。寮は女子禁制の為、いくら仲が良くてもシンクやケイトといった女子が来る可能性はない。ならば教官や0組の男子しかいないではないか。トレイは読みかけの魔導書にしおりを挟み、椅子から立ち上がった。
返事をしてドアを開けると、案の定ドアの前にはクラスメイトであるジャックがいた。
「おや、ジャックじゃありませんか。こんな時間にどうしたのです」
「ん~、トレイに渡したいものがあって」
「私に、ですか」
どうやら授業やミッションのことではないらしい。いくら岩の月といっても夜はまだ冷える。廊下で話し込むのもどうかと思うので、ひとまずジャックを部屋に入れた。
トレイがコーヒーの一杯でも入れようとして、小さな薬缶をプレートの上に置いた。プレートには魔晶石の欠片が配置されていた。ファイアの力が籠められている、簡易的なコンロだった。直接触れても火傷するほど熱くはならない。その間に勝手知ったる他人の部屋、とでも言うように、ジャックはトレイのベッドに腰をかけた。
「何かしてた?」
「本を読んでいました。急ぎではないですから大丈夫ですよ。それで、私に渡したいものとは一体何です」
「じゃ~ん!誕生日プレゼントだよぉ~」
「たん、じょうび…?私の、ですか」
何度かまばたきを繰り返して、トレイはジャックを見つめた。そういえば月の初め、一日こそトレイ自身の誕生日だったが、そのことをトレイ自身すっかり忘れていた。クラスメイトのうち誰かが覚えていてくれたのかもしれなかったが、雑談をする余裕もなく、それどころではなかった。
「覚えていてくださったのですか、ジャック」
「あたりまえじゃん。だってトレイの誕生日だよ」
プレゼントももちろんうれしいが、こんな状況で自分の誕生日を覚えていてくれたことが何よりもうれしい。自然と目じりが下がり、目が細められた。ジャックの隣に腰かけると、トレイはジャックから箱を受け取った。手のひらに収まる小ぶりな箱は、まるでアクセサリでも入っているような、白いリボンがかけられている黒いシックなものだった。
「これは?」
「開けてみてよ」
ふふふ、と笑うジャックの笑顔を横目に、トレイはしゅるりと音を立ててリボンを解いた。箱の中身は細工のされたチョコレートが五粒、行儀よく並んでいた。箱の表に書かれた店名から、魔導院の中ではけして手に入らない高価なものだとわかる。コルシまでいかないと直営の店舗はなかったのではないか。その店だって、飲食店というよりまるでブティックのような店構えだったように記憶している。ジャックはこれを一体どんな顔をして買いに行ったのだろうか。付き添いを頼んだ女子でもいたのだろうか。聞いてみたい気もしたが、さすがにそれは意地悪だろうかとトレイは思いとどまる。鼻を近づければ、シャンパンやアーモンドだろうか、さわやかな香料と、カカオ特有の芳醇な香りがした。巻貝のような形や、つやつやと色とりどりにコーティングされたチョコレートは見目鮮やかで、口に入れる前からトレイを幸せな気分にさせてくれた。
「ありがとうございます、ジャック。それはそうと、バレンタインデーは一月ほど前に終わっていたのではないでしたか」
「バレンタインは関係ないって。前にトレイ、頭使うときは甘いものがいいんだって言ってたじゃない。だからチョコ選んだんだ」
「あぁ、なるほど」
そんな話をいつだったか、したかもしれなかった。
「そうですね。たしかにチョコレートには集中力、記憶力、思考力を高めて、やる気を出す成分が含まれていましたね。吸収の時間も考えて、たとえば試験の一時間前に摂取すると効果的だとか。」
「トレイ、僕はそんな話を聞きに来たんじゃないよぉ」
「すみません」
ぶう、と顔を膨らませるジャックに、トレイは慌てて謝った。いつもの悪い癖が出てしまった。
「ねぇ、どれか食べてよ」
「いいですよ。……そうですね、せっかくですからあなたの手で食べさせてください」
「えぇ?」
「口に入れるだけですよ。ほら。私の誕生日なのですから、少しぐらい甘えてもいいでしょう?」
「んも~、仕方ないなぁ。じゃあ、これ」
ジャックが選んだのはオレンジ色のプレートが乗っている粒だ。見目通り、オレンジの香りが強い。
「はい、あーん」
素直に口を開けて待っている姿はまるでヒヨチョコボみたいだが、トレイがそんなに可愛い動物ではないことはジャックも重々承知していた。トレイの口元に近付けると、予想した通り、持っていた指先ごとトレイの口に含まれた。
「僕の指はチョコじゃないよぉ」
「わかっています」
口にチョコレートと指を含みつつ、トレイは器用に返事をした。
指先にはまだチョコレートの感触がある。だがそれよりもトレイの口腔の温かさや、指先に絡まるねっとりとした舌の軟らかさに、ジャックの意識は持っていかれてしまう。ちゅぷ、くちゅ、という濡れた音がときどき耳に届くのがたまらなかった。
「ねぇ、トレイ。これってさ……」
「んん」
これって、疑似セックスじゃないの。
作品名:LOVERS' KISS 作家名:ヨギ チハル