Perfect morning
「うん……」
「起きたか」
「お、おはようございます、キング」
「おはよう」
部屋の中はすでに清々しい朝の光で満たされていた。朝日というにはすでに高すぎたかもしれない。だいぶいつもより寝坊してしまったが、問題ない。今日は講義も、訓練も何も予定の無い一日だった。何をしてもいい。休日のようなものだ。起き上がろうとすると、腰にひどい痛みが走った。
「うっ……」
「大丈夫か」
大丈夫だ、と口では言っても思わず固まる。でも、動けないわけじゃない。のろのろとベッドから起き上がり、上半身を起こした。キングはと言えば、すでに身支度を整え、髪もいつものようにオールバックにまとめていた。おまけに優雅にコーヒーまで飲んでいる。
部屋に朝特有のパリッとした空気と、コーヒーの匂いが充満する。悪くなかった。
「飲むか」
「ええ、頂きます」
キングの背中を見送る。カップとスプーンが触れ合う音、お湯を注ぐ音、濃いコーヒーの匂い。自分の部屋にいるのに、自分じゃない誰かがそういった生活音を立てるのが不思議だったが、嫌じゃなかった。むしろ、心地よかった。
目を閉じて、音や匂いに意識を研ぎ澄ませてみる。魔導院の周りを飛ぶ鳥の声、微かに聞こえる候補生たちの足音、湿り気を含んだ海風。
「ひぁっ」
ふいに、コーヒーを持ってきたキングが、トレイの頬にキスをした。目を閉じていたからといって気づけないほどトレイは鈍感ではない。それなのに、全く気付かなかった。わざと気配を消して近づいたのだろう。何をするのかと口を開こうとしたが、それよりも気になることがあった。
「キング……髭、伸びていますね」
「ん、そうか?」
先程頬にキスされた時、唇よりも皮膚に触れた顎の方が気になった。ちくちくして、痛かったのだ。キングは自身の顎に手のひらを押し当て、左右に動かしてみるが、それほど気にならないようだ。
「でも休みなら、別にいいだろう。無精髭ぐらい」
「いいえ、よくありません!髭剃りは男の身だしなみの一つですよ。いいですか、人間見た目が大事です。剃り跡の無い美しい肌は男女ともに好印象を与えます。故事に『姿は俗性をあらわす』という言葉があります。これは、人は身なりや何気ない立ち居振る舞いで、その品格がわかってしまうという意味です。ですから……」
「トレイ、トレイ。ストップ」
「っ、なんです」
話している最中を止められ、眉間にトレイは皺を寄せた。
「冷めるぞ」
「……」
キングにコーヒーを差しだされる。トレイは黙ってマグカップを受け取った。ずず、と両手でマグカップ抱え口をつけた。何かを考えるように、カップの中を見つめているトレイの姿を、キングもコーヒーを飲みながら見つめていた。
「……キング」
「なんだ」
「髭……剃りましょう」
「あぁ、わかった。そんなにお前が気になるなら、剃る」
「そうではなく、私が剃ります」
トレイの言葉を、キングは一度聞いただけでは理解できなかった。いや理解はできているのだが、はいそうですか、と納得することはできなかった。
「……何?」
「私が、あなたの髭を剃ります。顔は洗っていますね? 私の仕度が終わったら始めますから、あなたはベッドに仰向けに横になって待っていてください」
「おい、トレイ」
「大丈夫ですよ、優しくします」
「そうじゃなくて」
先程と打って変わってなにか素晴らしいことを思いついたかのように、トレイはいきいきしていた。一度決めたら、些細なことでは考えを覆さないトレイだ。何を言っても止めさせることはできないだろう。まぁいい。どうせ今日は休日だ。昨日散々トレイを好きに扱ってしまったから、今日はトレイの好きにされてもいい、とキングは覚悟を決めた。
そうと決まればとトレイはベッドから立ち上がり、身支度のために洗面所に消えた。そんなトレイの後姿を見て、キングは溜息をついた。
トレイの言うとおり、キングは普段寝る方向とは逆の方向に頭と足を向けて、ベッドに横になっていた。周りを汚さないように、バスタオルを何枚か重ねて頭の下に敷く。まさしくまな板の上の鯉状態だ。心なしか、トレイがとても楽しそうに見えるのはなぜだろう。昨日の仕返しのつもりなのだろうか。
「では、いきますよ。あまり緊張しないでください。私まで緊張してしまいますから」
トレイはスツールに座り、反対側からキングの顔を覗き込んだ。洗面所から持ってきたシェービング用品を背後の机に順序良く並べおく。カシャカシャとボトルを振ると、手のひらにシェービングクリームをとり、キングの顔に塗っていく。左右の人差し指と中指を揃えて、くるくる、くるくる、顔全体に広げていく。むず痒い感覚に、キングは鼻を鳴らした。
「髭剃りってどれくらいの間隔で行います?」
「そうだな……週に二回くらいか」
「まぁ、そんなものですよね」
十七歳前後の健全な男子ならば、個人差はあれども週に二回程度が妥当なところだろう。それほど髭の濃い者は周りにはいなかった。元々毛の色が金色のせいもあり、さほど目立たないことも要因かもしれない。それよりも、トレイがシェービング用品を持っていることの方が驚きだった。トレイに髭が生えている姿を見たことがなかったし、想像もしたくなかった。
「え?それは持っていますよ。男のたしなみというものです。私は週に一回程度ですがね。……さ、蒸しタオル載せますよ。熱かったら言ってください」
トレイが硬く絞った熱いタオルを額、そして左右の頬と三角になる様に折りたたみ載せた。
「ふぁ、あぁ……」
本当に気持ちがいい、というようなキングの溜息をトレイは聞いて、くすと笑った。快楽に従っているときというのは、人間が一番無防備になる瞬間ではないだろうか。現に、目の前のキングも目元にタオルを置いてしまっているから表情こそ解らないが、口はだらしなく半開きになっていた。
三分ほどたったところで、顔の上のタオルを外した。そしてもう一度シェービングクリームを顔全体に塗ると、ようやく準備が出来た。
「おい、トレイ…」
「大人しくなさい」
トレイの手には剃刀が握られていた。何かをされるとは思っていないが、やはり刃物を顔に当てられる、というのはたとえキングであっても少し恐ろしさを感じた。しかし今のトレイには何とも言えない威圧感があり、抵抗できなかった。キングは仕方なく目を閉じた。
トレイはキングの頬に冷たい剃刀の刃を宛がった。上から下へ。上から下へ。トレイの手付きは慣れたもので、また丁寧だった。左手で皮膚を張り、右手に持った剃刀で優しく撫でるように滑らせていく。口周りだけでなく、眉間や額の際まで丁寧に剃っていった。そっと目を開くと、見たこともないほど真剣な顔のトレイがそこにいた。見てはいけないもののような気がして、キングはまた眼を閉じた。
「起きたか」
「お、おはようございます、キング」
「おはよう」
部屋の中はすでに清々しい朝の光で満たされていた。朝日というにはすでに高すぎたかもしれない。だいぶいつもより寝坊してしまったが、問題ない。今日は講義も、訓練も何も予定の無い一日だった。何をしてもいい。休日のようなものだ。起き上がろうとすると、腰にひどい痛みが走った。
「うっ……」
「大丈夫か」
大丈夫だ、と口では言っても思わず固まる。でも、動けないわけじゃない。のろのろとベッドから起き上がり、上半身を起こした。キングはと言えば、すでに身支度を整え、髪もいつものようにオールバックにまとめていた。おまけに優雅にコーヒーまで飲んでいる。
部屋に朝特有のパリッとした空気と、コーヒーの匂いが充満する。悪くなかった。
「飲むか」
「ええ、頂きます」
キングの背中を見送る。カップとスプーンが触れ合う音、お湯を注ぐ音、濃いコーヒーの匂い。自分の部屋にいるのに、自分じゃない誰かがそういった生活音を立てるのが不思議だったが、嫌じゃなかった。むしろ、心地よかった。
目を閉じて、音や匂いに意識を研ぎ澄ませてみる。魔導院の周りを飛ぶ鳥の声、微かに聞こえる候補生たちの足音、湿り気を含んだ海風。
「ひぁっ」
ふいに、コーヒーを持ってきたキングが、トレイの頬にキスをした。目を閉じていたからといって気づけないほどトレイは鈍感ではない。それなのに、全く気付かなかった。わざと気配を消して近づいたのだろう。何をするのかと口を開こうとしたが、それよりも気になることがあった。
「キング……髭、伸びていますね」
「ん、そうか?」
先程頬にキスされた時、唇よりも皮膚に触れた顎の方が気になった。ちくちくして、痛かったのだ。キングは自身の顎に手のひらを押し当て、左右に動かしてみるが、それほど気にならないようだ。
「でも休みなら、別にいいだろう。無精髭ぐらい」
「いいえ、よくありません!髭剃りは男の身だしなみの一つですよ。いいですか、人間見た目が大事です。剃り跡の無い美しい肌は男女ともに好印象を与えます。故事に『姿は俗性をあらわす』という言葉があります。これは、人は身なりや何気ない立ち居振る舞いで、その品格がわかってしまうという意味です。ですから……」
「トレイ、トレイ。ストップ」
「っ、なんです」
話している最中を止められ、眉間にトレイは皺を寄せた。
「冷めるぞ」
「……」
キングにコーヒーを差しだされる。トレイは黙ってマグカップを受け取った。ずず、と両手でマグカップ抱え口をつけた。何かを考えるように、カップの中を見つめているトレイの姿を、キングもコーヒーを飲みながら見つめていた。
「……キング」
「なんだ」
「髭……剃りましょう」
「あぁ、わかった。そんなにお前が気になるなら、剃る」
「そうではなく、私が剃ります」
トレイの言葉を、キングは一度聞いただけでは理解できなかった。いや理解はできているのだが、はいそうですか、と納得することはできなかった。
「……何?」
「私が、あなたの髭を剃ります。顔は洗っていますね? 私の仕度が終わったら始めますから、あなたはベッドに仰向けに横になって待っていてください」
「おい、トレイ」
「大丈夫ですよ、優しくします」
「そうじゃなくて」
先程と打って変わってなにか素晴らしいことを思いついたかのように、トレイはいきいきしていた。一度決めたら、些細なことでは考えを覆さないトレイだ。何を言っても止めさせることはできないだろう。まぁいい。どうせ今日は休日だ。昨日散々トレイを好きに扱ってしまったから、今日はトレイの好きにされてもいい、とキングは覚悟を決めた。
そうと決まればとトレイはベッドから立ち上がり、身支度のために洗面所に消えた。そんなトレイの後姿を見て、キングは溜息をついた。
トレイの言うとおり、キングは普段寝る方向とは逆の方向に頭と足を向けて、ベッドに横になっていた。周りを汚さないように、バスタオルを何枚か重ねて頭の下に敷く。まさしくまな板の上の鯉状態だ。心なしか、トレイがとても楽しそうに見えるのはなぜだろう。昨日の仕返しのつもりなのだろうか。
「では、いきますよ。あまり緊張しないでください。私まで緊張してしまいますから」
トレイはスツールに座り、反対側からキングの顔を覗き込んだ。洗面所から持ってきたシェービング用品を背後の机に順序良く並べおく。カシャカシャとボトルを振ると、手のひらにシェービングクリームをとり、キングの顔に塗っていく。左右の人差し指と中指を揃えて、くるくる、くるくる、顔全体に広げていく。むず痒い感覚に、キングは鼻を鳴らした。
「髭剃りってどれくらいの間隔で行います?」
「そうだな……週に二回くらいか」
「まぁ、そんなものですよね」
十七歳前後の健全な男子ならば、個人差はあれども週に二回程度が妥当なところだろう。それほど髭の濃い者は周りにはいなかった。元々毛の色が金色のせいもあり、さほど目立たないことも要因かもしれない。それよりも、トレイがシェービング用品を持っていることの方が驚きだった。トレイに髭が生えている姿を見たことがなかったし、想像もしたくなかった。
「え?それは持っていますよ。男のたしなみというものです。私は週に一回程度ですがね。……さ、蒸しタオル載せますよ。熱かったら言ってください」
トレイが硬く絞った熱いタオルを額、そして左右の頬と三角になる様に折りたたみ載せた。
「ふぁ、あぁ……」
本当に気持ちがいい、というようなキングの溜息をトレイは聞いて、くすと笑った。快楽に従っているときというのは、人間が一番無防備になる瞬間ではないだろうか。現に、目の前のキングも目元にタオルを置いてしまっているから表情こそ解らないが、口はだらしなく半開きになっていた。
三分ほどたったところで、顔の上のタオルを外した。そしてもう一度シェービングクリームを顔全体に塗ると、ようやく準備が出来た。
「おい、トレイ…」
「大人しくなさい」
トレイの手には剃刀が握られていた。何かをされるとは思っていないが、やはり刃物を顔に当てられる、というのはたとえキングであっても少し恐ろしさを感じた。しかし今のトレイには何とも言えない威圧感があり、抵抗できなかった。キングは仕方なく目を閉じた。
トレイはキングの頬に冷たい剃刀の刃を宛がった。上から下へ。上から下へ。トレイの手付きは慣れたもので、また丁寧だった。左手で皮膚を張り、右手に持った剃刀で優しく撫でるように滑らせていく。口周りだけでなく、眉間や額の際まで丁寧に剃っていった。そっと目を開くと、見たこともないほど真剣な顔のトレイがそこにいた。見てはいけないもののような気がして、キングはまた眼を閉じた。
作品名:Perfect morning 作家名:ヨギ チハル