LOST ①
伏せられた瞼をそっと開くと、視界に広がるのは暗闇だった。平古場の明るい金色の髪さえも、その暗闇では色を失う。夜の闇が支配する部屋で、唯一の光は手に握る携帯の小さな液晶に輝く、日付と時刻だけだった。液晶の光が消える度に、携帯の側面に着いているボタンを押して時間を表示させる。機械的なまでの動作を、平古場は無表情のまま繰り返す。
灯りが消えて、灯り、また消える。
その繰り返しを、もう数十回と続けた。その光の点滅は、まるで川辺に漂う蛍の光のようだった。
いつも使っている勉強机の前に座り、顔を腕に乗せて携帯だけを一心に見つめた。部屋にある壁掛け時計から響く秒針の音以外は、何の音もしなかった。その他の生き物の気配を夜の闇が全てを奪ってしまったかのようだった。
その闇の中で、平古場はゆっくりと顔を上げて、部屋の時計を見つめた。液晶の画面が示した時刻は"23:59"。残り1分で今日が終わろうとしていた。
平古場は微動だにせず、ただ秒針が1秒1秒を刻む様を静かに見つめていた。秒針が文字盤の6の文字を過ぎ、次に9の文字を過ぎた所で、平古場は一度目を閉じた。そして、次に目を開いた時は11の文字を過ぎた頃だった。それを確認した平古場は、そっと口の中で声に出さずにカウントする。
"3"
"2"
"1"
全ての針が12の文字で一つになる。それを見つめた後、携帯の液晶を開いた。
そこにある文字は、もちろん新しい日付と時刻だった。それを見て、平古場は行き場の無い感情に襲われた。ゆっくりと机の上を巡らせた視線の先には、綺麗に包装された箱が、闇に溶けることなく存在していた。闇の中でまるでそれだけが異様なほど存在感を主張し、平古場の胸へと押し迫る。それから逃れる様に、椅子に両足を上げてその間に顔を埋め、携帯が壊れるのでは無いかと思うほど強く握り締めた。
携帯の液晶だけが、静かな闇を抱く部屋で寂しく光を放っていた。
携帯の液晶に表示された日付は、11月10日だった。
***
「「「「とぅーしびーかりゆし!永四郎!!」」」」
朝の登校中や教室で、休み時間や廊下をすれ違う時に、または部活へと向う下駄箱で、そして部室に入った時に。
木手は、沢山の人から生まれたことを祝う言葉を贈られた。時に、プレゼントを伴っていることもあった。その一つ一つの言葉に、丁寧にお礼を述べて笑顔を浮かべる。女生徒の中には、顔を赤くして必死にプレゼントを渡してくる子もいた。そんな様子を可愛いなと思いながら受け取ると、逃げるように立ち去って行く。木手の趣味とは少し違うが、それでも好意を寄せられることは素直に嬉しかった。近くにいた男子学生に冷やかしを受けても10倍の嫌味で返す。男に対しては容赦するつもりはなかった。
鞄に入らないほどのプレゼントを抱えて、家へと帰る道を歩く。部員達からはお祝いの言葉も、プレゼントも山の様に貰った。普段余り笑顔を見せない木手だったが、この日は随分と笑った様な気がした。部室で部員達が見せた笑顔を思い出すだけで胸が温かくなる。
一緒にテニスをする仲間が、彼らで本当に良かったと心から思えた。
ふわりとした温かい気持ちで、家へと続く道を歩いている先に金色が視界に映り込んだ。家の前まで来ると、門の近くの壁に座りこむ平古場の姿がそこにはあった。部室に最後まで引き止められていた木手よりも先に、部室を出ていたことは知っていた。もう帰ったのかと思っていたのにと、心の中で不思議に思いながら、平古場へと足を進めた。
「どうしたんです?」
傍まで近寄り声をかけると、ぱっと顔を上げて人懐っこい笑みを浮かべた。待ち人である木手がやっと帰ってきたことを喜ぶ姿は、さながら犬のようだと思った。
「やーを待ってたんやっし」
「俺を?」
わざわざ木手の家の前で待っていたと言う平古場に、ますます訳が分からなかった。先ほどまで、一緒になって散々騒いでいたのに、まだ何かあるのだろうかと首を傾げていると、鞄の中に手を入れて何かを探し始めた。
その様子を黙って見つめていると、黒い箱を鞄から取り出して木手へと差し出した。その箱と平古場の顔を交互に見つめいると、突き出すように箱を揺らした。
黒い包装紙に包まれた箱は、光沢のある細い紫色のリボンで綺麗にラッピングされていた。一目でプレゼントだと分かるその箱に、木手の顔に困惑が浮かぶ。
それもそのはずで、先ほど部室で部員からのプレゼントを受け取っていたからだ。甲斐や田二志、知念や不知火、そして平古場などといった2年メンバーから合同のプレゼントを貰っていた。だから、平古場からプレゼントを貰う理由が分からなかった。
「プレゼントは先ほど頂きましたが…」
「あー…あれは、2年全員からだろ?くりは…その、わんから…」
最後の言葉は小さくて酷く聞き取りにくかった。目もまともに合わせようとしない姿に、「はっきりと喋ろ」と言おうと思ったが、それよりも早く平古場が顔を上げた。
「あーもう!!いいから、受け取れ!」
横柄な物言いに苛立ちを覚えて、平古場の顔を睨みつけると、そこには真っ赤に染まった顔があった。予想外のその顔をじっと見つめていると、焦ったように視線を彷徨わせ始めた。その姿が一瞬、昼間に木手へとプレゼントを渡した女生徒と姿が被った。
「そんなはずは無い」と、思うと同時に反射的にプレゼントを押し返していた。
「受け取れません」
「…何、で」
そう聞いてきた平古場の顔に浮かぶ、困惑と悲しみが混ざった縋る様な表情が、木手が内心で否定した感情を揺らがせる。
「それこそ、俺のセリフですよ。受け取る理由がありません」
「今日は…やーの誕生日やっし」
「先ほど、プレゼントは頂きました。"君から"もらう理由がありません」
「……」
押し黙ってしまった平古場に焦りを覚えた。理由なんて何でも良かった、こじ付けでもいいから何か言えばそれで受け取るにしろ、受け取らないにしろ話を流すことが出来た。それなのに、真剣に何かを考える様な表情で、手元にある黒い箱をじっと見つめている。
二人の間に流れる沈黙が、気まずい空気を作り出す。随分と長い沈黙だと木手は感じていたが、実際は数十秒に過ぎなかった。もう、家の中へ入ってしまおうかと、視線を扉へと向けた時に、空気が動いたのが分かった。
平古場が、ゆっくりと木手へと近づいて来た。人が1人分立てるほどの距離を空けて、平古場は真っ直ぐに木手の瞳を見つめた。お互いの身長差は7cmで、木手が平古場を見下ろすかたちになる。見上げてくる視線は、覚悟を決めた意志の強さを秘めて、キラキラと輝いていた。木手はその瞳がとても嫌だと思った。こういう時の平古場は人の話を聞かない上に、それが正論の場合が多いからだ。どこか、追い詰められた様な気分になった木手は、眉間に皺を寄せて平古場の言葉を待った。
「永四郎……理由があれば受け取るんだな」
「理由にもよりますがね」
「手強いな……」
唇を笑みの形に動かした平古場は、どこか切なげだった。それでも視線は逸らすことなく木手を捕らえている。今のあやふやなままの現状を、そのままにしておくつもりがないのが伝わってきた。