チェンジリング - 2
「うん、それで・・・今は誰と話してた?」
「・・・誰でもない、独り言」
アーサーは、体育座りで額を膝に押しつけてうつむきながら、そうつぶやいた。
「アーサー、ねえかわいいアーサー、顔を上げて?」
彼女の声は、まるで浮かれていて夢の中に居るみたいにふわふわしていた。よっぽど楽しいパーティーだったんだろうか。その余韻に今も浸っているのかも。あるいは、もしかして、まだ半分寝ているんだろうか とアーサーは訝しんで、彼女の瞳をのぞき込もうと顔を上げて――
パンッ
「あ」
彼女の顔を見た。現実を見ていない般若の顔。うつろな目を見開き、口を憎悪に歪ませた、酷い顔。
遅れてくる痛み。頬に手を当て、その熱さを確かめる。熱い、痛い、いたい。
頭の中に白い光が溢れる。鉄砲水のように溢れて、堤防を越えて心全部を浸食する。じわりじわりと迫る痛みに頭がぼーっとして たまらなくなった。
「どうっしてアンタは!私を騙すのッ!!?アンタも私を掌で転がして楽しい?ねえ、楽しい?馬鹿みたいに酒飲んで踊り狂って一緒に寝て、そういう私を嘲笑って楽しい!!?」
腹のそこからの怒号が、憎しみになって、アーサーの胸を捻り上げるように痛ませる。
ああ、だめだ。頭がぐるぐるする。白い光が頭の中をずっと支配して、考えられない。ただ声が聞こえる。声が 頭の中を右から左へ抜けていくだけで、考えられないんだ。
白い光に被さるように、声が聞こえる。なんて悪い人間でしょう、子供に手をあげるなんて、呪われてしまえ。
「ああ、やめて・・やめて。ようせいさん、悪く言わないで。ねえ。お母さんを悪く言わないで・・・」
ごめんなさい。
俺が居るばっかりに、みんな
「妖精なんて居ないッ!!!」
――アーサーが次に気づいたのは、寝間着姿で布団に潜り込みながら、目をぱっちりと開いて泣いている自分自身のことだった。
声は上げない。しゃくり上げることもしない。ただ、静かに瞳から悲しみがあふれ出す。今は冷静にその悲しみを見つめることが出来たけれど、だからといって悲しさが消える訳じゃないのだ。だから涙が出る。
あれから、どうしたんだろうか俺はと、記憶の紐をたぐり寄せる。ゆっくりとその紐を下から上に辿っていけば、自分がなにをしていたかは思い出せた。
ヒステリーの後にさめざめと泣く彼女の前から立ち上がり、自室に入って、寝間着に着替え、そして今ここ。そんな事をした実感はない。けれど確かに寝間着を着ていたし、なによりひどく他人事のように、それをした事実をアーサー自身が覚えていた。
「ごめん」
二人の幼子に優しく言った「おやすみ」と同じ声で、掠れた声でつぶやく。
ごめん。ごめんな。ごめんなさい。
アーサーは、体を小さく丸めて、体を温めるように両腕で抱きしめた。胸が冷たくて、ひどく凍えてしまうけれど、俺のせいなんだから仕方ないと思った。
両腕で胸元に抱きしめるのは、大人のてのひらほどの大きさの、妖精の死骸ふたつ。
「あー、カーペットの、そうじ」
作品名:チェンジリング - 2 作家名:速水湯子