雨風食堂 Episode2
幼い頃から周囲はマフィア関係者がほとんどで、一般家庭でごく普通に育つということがどういうものか、正直なところ、ディーノにはいまだに理解できていない。
かつて自分の家庭教師であったリボーンの今の生徒が、生まれてこの方マフィアと関わり合いになったこともない日本の中学生なのだと知ったとき、一体どんなやつなのだろう、と純粋に興味を持った。
実際に会いに行ってみて、沢田綱吉は想像していたどんなタイプとも違っていた。少ないながらも、そのファミリーたちも何とも興味深い面子で、一見頼りなさそうだが、これは案外化けるかもしれないな、と思った。何より、あのリボーンが家庭教師を務めているのである。身をもって彼の「教育」を知っているディーノにとっては、それだけでも期待を寄せるには十分だった。
それからというもの、ディーノは何かと口実を見つけては日本に足を運び、かわいい弟分に会いに行くのを楽しみにしている。偶には修行に付き合ってみたり、一緒になって馬鹿騒ぎをしたり、年下連中に混ざって過ごすその時間は、ディーノにとってはとても特別なものだった。
だから、イタリアに戻る段になると、いつもさびしくて仕方なくなる。こいつらをイタリアに連れて帰れたら楽しいだろうに、と思ったことも、実は一度ならずあった。
それが今回、ひょんなことから部分的に実現したわけで、ディーノは自分でもそれと自覚できるくらいには浮かれていた。
「おい、山本。お前の部屋はこっちだぞ」
「あ、ハイ!」
ぼけっと突っ立っていた山本は、荷物をゴロゴロと引っ張りながら、慌ててこちらへ駆けてくる。ディーノはくすくすと笑って、自分よりもまだ低い位置に並んだ山本の肩をぽんと叩いた。
「どうした、そんなに珍しいもんでもあったのか?」
「いや、ていうか、どれもこれも初めて見るようなものばっかりっスよ」
「あはは、そーか! 俺が初めて日本に行ったときみてぇなもんだな!」
初めてディーノが日本に行ったのは、キャバッローネファミリーのボスとなってまだ日の浅い頃だった。何を隠そう、そのときの案内役が綱吉の父である家光である。散々妙な知識を植え付けられて痛い目を見たのも、今にしてみればよい思い出だ。彼に息子がいることは知っていたが、まさかその頃は、それが自分の弟分になるとは夢にも思っていなかった。
「山本は、海外旅行は初めてだったよな」
獄寺の綱吉への忠誠心を試す、という目的で一芝居打ったのだが、なぜか成り行きで山本をイタリア本国へ連れてくることになった。果たして獄寺がどういう風に山本に説明したのかはわからないが、とりあえず、イタリア観光に無料で連れて行ってくれる、ということになっているようだった。
「そうそう、実は飛行機乗るのも初めてで。もっと揺れたりするもんなのかと思ってたけど、案外そうでもなかったかな。あ、でも、窓から外見たら本当に雲の上で面白かった!」
「今回はずっと天気が良かったからな。気流に巻き込まれたりすると、もっと揺れたりもするんだぜ。そうそう、乗り物繋がりだが、また、こっちにいる間に、クルーザー出してウチで持ってる島にでも連れてってやるよ。普通のジェット機に乗るよりは、多分こっちの方が面白いと思うぜ」
「うわっ、すげー! ありがとうございます!」
「堅苦しいこと言うなって。ツナは俺のカワイイ弟分で、お前はその親友なんだからな。お前だって俺の弟みたいなもんさ」
そう言って、ディーノは山本の短い黒髪をわしゃわしゃとかき回した。照れ臭そうに笑う山本を見て、本当に弟ができたみたいだ、とディーノも妙にくすぐったい気持ちになった。
最初の頃は、山本もマフィアのことはすべて承知の上で、ボンゴレ十代目のファミリーとして綱吉と付き合っているのだと思っていた。だが、何度か顔を合わせる内に、どうやらそうではないらしい、とさすがのディーノも気がついた。疑問に思って綱吉に訊いてみれば、山本はそんなんじゃないんだと首をぶんぶん振って否定された。どうやら、山本が天然な性格であるのをいいことに、マフィアごっごだという誤解をそのままにして上手く丸めこんでしまっているらしい。
――――リボーンのやつ、相変わらず無茶するぜ……。
山本は綱吉とディーノの関係を、遠い親戚のひと、くらいに思っているらしい。そして、頻繁に日本にやってきたり大勢の取り巻きを連れていたりすることについては、海外を股にかけた青年実業家、というような認識をしているらしい。あながち間違っているとは言えないので、ディーノも敢えて否定はしていない。綱吉が未だに誤魔化そうとしているなら、自分の口からは言うべきではないだろう、というスタンスでいる。
しかし、知らぬ間にマフィア間のもめごとに巻き込まれていくのだとしたら、それはとても危険だ。どれだけ運動能力に優れていてセンスがあるのだとしても、こうして話をしている限り、やはり山本はただの中学生でしかない。マフィアとは、その辺りのごろつき共が群れをなしているのとは、わけが違う。生半可な気持ちで首を突っ込めるようなものではないのだ。
自分自身、こうしてボスとなる決心が着くまでには様々な葛藤があった。だからこそ、綱吉の戸惑いは他人事ではない。そしてその側にいる山本のことも、ディーノにとっては他人事とは思えなかった。
「さぁ、着いたぜ。ここがお前の部屋だ」
滞在中、山本に与える部屋までたどり着き、ディーノは手ずから山本を中に招き入れた。敢えて小さめの客室を選んだのは、無駄に広い部屋では山本が気おくれしてしまって落ち着かないのではないか、という配慮からだった。日本の一般的な家屋の大きさを考えれば、これでもまだ広すぎる、ということになるのだろう。事実、山本は部屋に入るなり目を丸くして感嘆をあげた。
「うっわぁ……、この部屋、マジで俺が一人で使うんですか?」
部屋の壁は石煉瓦を重ねた重厚感のある造りで、その上にキャバッローネの紋章をモチーフとした巨大なタペストリーが掛けられている。この季節では使われることもないが、小さな暖炉もあり、その上には金色の獅子に縁取られた大きな時計を置いてあった。装飾品らしいものはその程度だが、ベッドやソファなど、置かれたものはどれも見るからに品が良く、アンティークと言って差し支えないような風合いに満ちたものばかりだ。
「気に入らないか? 他にも空いてる部屋はたくさんあるから、見て選んでくれても構わないぞ。お前の滞在が居心地の良いものになるよう、俺にできることは何でもするからな。いくらでも我儘を言ってくれ」
「もしかしてこの部屋って、ディーノさんが選んでくれたんスか?」
「まぁな。多分お前なら、変にびらびらしたような部屋よりは、こういう無骨な感じの方が落ち着くんじゃないかと思ったんだが……」
そこまでディーノが言いかけたところで、急に傍らの山本が吹き出した。話の途中でいきなり笑われて不快になってもおかしくない場面なのに、まるで悪い気はしないのがディーノにも不思議だった。むしろ不快になるどころか、心の中を五月の風が洗っていくような清々しささえ抱いた。
「……どうかしたのか? 山本」
かつて自分の家庭教師であったリボーンの今の生徒が、生まれてこの方マフィアと関わり合いになったこともない日本の中学生なのだと知ったとき、一体どんなやつなのだろう、と純粋に興味を持った。
実際に会いに行ってみて、沢田綱吉は想像していたどんなタイプとも違っていた。少ないながらも、そのファミリーたちも何とも興味深い面子で、一見頼りなさそうだが、これは案外化けるかもしれないな、と思った。何より、あのリボーンが家庭教師を務めているのである。身をもって彼の「教育」を知っているディーノにとっては、それだけでも期待を寄せるには十分だった。
それからというもの、ディーノは何かと口実を見つけては日本に足を運び、かわいい弟分に会いに行くのを楽しみにしている。偶には修行に付き合ってみたり、一緒になって馬鹿騒ぎをしたり、年下連中に混ざって過ごすその時間は、ディーノにとってはとても特別なものだった。
だから、イタリアに戻る段になると、いつもさびしくて仕方なくなる。こいつらをイタリアに連れて帰れたら楽しいだろうに、と思ったことも、実は一度ならずあった。
それが今回、ひょんなことから部分的に実現したわけで、ディーノは自分でもそれと自覚できるくらいには浮かれていた。
「おい、山本。お前の部屋はこっちだぞ」
「あ、ハイ!」
ぼけっと突っ立っていた山本は、荷物をゴロゴロと引っ張りながら、慌ててこちらへ駆けてくる。ディーノはくすくすと笑って、自分よりもまだ低い位置に並んだ山本の肩をぽんと叩いた。
「どうした、そんなに珍しいもんでもあったのか?」
「いや、ていうか、どれもこれも初めて見るようなものばっかりっスよ」
「あはは、そーか! 俺が初めて日本に行ったときみてぇなもんだな!」
初めてディーノが日本に行ったのは、キャバッローネファミリーのボスとなってまだ日の浅い頃だった。何を隠そう、そのときの案内役が綱吉の父である家光である。散々妙な知識を植え付けられて痛い目を見たのも、今にしてみればよい思い出だ。彼に息子がいることは知っていたが、まさかその頃は、それが自分の弟分になるとは夢にも思っていなかった。
「山本は、海外旅行は初めてだったよな」
獄寺の綱吉への忠誠心を試す、という目的で一芝居打ったのだが、なぜか成り行きで山本をイタリア本国へ連れてくることになった。果たして獄寺がどういう風に山本に説明したのかはわからないが、とりあえず、イタリア観光に無料で連れて行ってくれる、ということになっているようだった。
「そうそう、実は飛行機乗るのも初めてで。もっと揺れたりするもんなのかと思ってたけど、案外そうでもなかったかな。あ、でも、窓から外見たら本当に雲の上で面白かった!」
「今回はずっと天気が良かったからな。気流に巻き込まれたりすると、もっと揺れたりもするんだぜ。そうそう、乗り物繋がりだが、また、こっちにいる間に、クルーザー出してウチで持ってる島にでも連れてってやるよ。普通のジェット機に乗るよりは、多分こっちの方が面白いと思うぜ」
「うわっ、すげー! ありがとうございます!」
「堅苦しいこと言うなって。ツナは俺のカワイイ弟分で、お前はその親友なんだからな。お前だって俺の弟みたいなもんさ」
そう言って、ディーノは山本の短い黒髪をわしゃわしゃとかき回した。照れ臭そうに笑う山本を見て、本当に弟ができたみたいだ、とディーノも妙にくすぐったい気持ちになった。
最初の頃は、山本もマフィアのことはすべて承知の上で、ボンゴレ十代目のファミリーとして綱吉と付き合っているのだと思っていた。だが、何度か顔を合わせる内に、どうやらそうではないらしい、とさすがのディーノも気がついた。疑問に思って綱吉に訊いてみれば、山本はそんなんじゃないんだと首をぶんぶん振って否定された。どうやら、山本が天然な性格であるのをいいことに、マフィアごっごだという誤解をそのままにして上手く丸めこんでしまっているらしい。
――――リボーンのやつ、相変わらず無茶するぜ……。
山本は綱吉とディーノの関係を、遠い親戚のひと、くらいに思っているらしい。そして、頻繁に日本にやってきたり大勢の取り巻きを連れていたりすることについては、海外を股にかけた青年実業家、というような認識をしているらしい。あながち間違っているとは言えないので、ディーノも敢えて否定はしていない。綱吉が未だに誤魔化そうとしているなら、自分の口からは言うべきではないだろう、というスタンスでいる。
しかし、知らぬ間にマフィア間のもめごとに巻き込まれていくのだとしたら、それはとても危険だ。どれだけ運動能力に優れていてセンスがあるのだとしても、こうして話をしている限り、やはり山本はただの中学生でしかない。マフィアとは、その辺りのごろつき共が群れをなしているのとは、わけが違う。生半可な気持ちで首を突っ込めるようなものではないのだ。
自分自身、こうしてボスとなる決心が着くまでには様々な葛藤があった。だからこそ、綱吉の戸惑いは他人事ではない。そしてその側にいる山本のことも、ディーノにとっては他人事とは思えなかった。
「さぁ、着いたぜ。ここがお前の部屋だ」
滞在中、山本に与える部屋までたどり着き、ディーノは手ずから山本を中に招き入れた。敢えて小さめの客室を選んだのは、無駄に広い部屋では山本が気おくれしてしまって落ち着かないのではないか、という配慮からだった。日本の一般的な家屋の大きさを考えれば、これでもまだ広すぎる、ということになるのだろう。事実、山本は部屋に入るなり目を丸くして感嘆をあげた。
「うっわぁ……、この部屋、マジで俺が一人で使うんですか?」
部屋の壁は石煉瓦を重ねた重厚感のある造りで、その上にキャバッローネの紋章をモチーフとした巨大なタペストリーが掛けられている。この季節では使われることもないが、小さな暖炉もあり、その上には金色の獅子に縁取られた大きな時計を置いてあった。装飾品らしいものはその程度だが、ベッドやソファなど、置かれたものはどれも見るからに品が良く、アンティークと言って差し支えないような風合いに満ちたものばかりだ。
「気に入らないか? 他にも空いてる部屋はたくさんあるから、見て選んでくれても構わないぞ。お前の滞在が居心地の良いものになるよう、俺にできることは何でもするからな。いくらでも我儘を言ってくれ」
「もしかしてこの部屋って、ディーノさんが選んでくれたんスか?」
「まぁな。多分お前なら、変にびらびらしたような部屋よりは、こういう無骨な感じの方が落ち着くんじゃないかと思ったんだが……」
そこまでディーノが言いかけたところで、急に傍らの山本が吹き出した。話の途中でいきなり笑われて不快になってもおかしくない場面なのに、まるで悪い気はしないのがディーノにも不思議だった。むしろ不快になるどころか、心の中を五月の風が洗っていくような清々しささえ抱いた。
「……どうかしたのか? 山本」
作品名:雨風食堂 Episode2 作家名:あらた