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二人と結婚式

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六太と結婚式


「ちょっとおっさん!!!出して!!!早く!!!!」

叫びながらタキシードを着た男が扉を蹴破るように乗り込んでくる。ぎゅうぎゅうと真っ白な燕尾服を着こんだ男を奥に押し込んで、勢いよく扉を閉めた。少々その勢いにのまれながらどこまででしょうか、と呟けば、どこへでもとその整った容姿の男が叫んだ。どこへでもってお客さん、大方の場所くらい言ってもらわないと、しょうがなくそういえば、海が見えるところまでと男は言った。海ですねとわたしは返す。パタリと扉が閉まり、車を動かすためにアクセルを踏んだ。外が随分騒がしい様子であったが、私は気にも留めなかった。この世界は広く、人知を超える事象がいくつもあるわけで、少しばかり扉の向こうが騒がしいくらいほんの些細なことにすぎないからだ。

車の中で日々人は六太が想像していたよりもずっと静かに椅子に座っていた。問い詰められるだろうということは理解していたし、多少は殴られるといった暴力を受ける覚悟さえ決めていたが、日々人はそのどちらもしなかった。裏切ったのは自分だと理解していた六太は、自分の右腕を強い力で握りしめる日々人の手を振り払おうとは思わない、けれども、自分よりもはるかに苦しそうな顔をする日々人を見つめて、やっぱり話すべきではなかったと一つそれだけを後悔した。

「仕方がないことだろ。」

六太は窓の外を流れていく景色を見つめながら言った。空は突き抜けるように青く高く、無彩色のビルとのコントラストがまぶしくて痛い。日々人はそれに言葉を返さなかった。運転手も重たい空気を察してか何も言わない。海はまだ遠く、都市部にはよくある渋滞につかまって二人の間には重たい沈黙ばかりが居座っていた。
窓の向こう側の景色が閑散としだしたのは大体一時間は後のことだ。何でも小さな接触事故があったらしく渋滞はそのせいだったようで、渋い顔で運転手は笑う。メーターをみながらどうしますか、と運転手は言った。日々人はポケットに突っ込んであった数枚のお札を渡し、行けるところまでと明朗といった。今更特に異論はない六太は、ぼんやりと窓の向こう側を見つめたままでいる。掴まれた右の手首が少し痺れ始めていたけれど、日々人にそれを言うことはなかった。


「ありがとうおっさん。おつりは取っといて、悪いことをさせたから。」

海の見える場所まで来ると日々人はそういって車から降りた。運転手は少しばかり悪戯っぽい顔をして、また悪事を働く際は呼んでくださいと返している。日々人はその言葉に肩をすくめ、考えとくと笑った。そうしてタクシーは道路を遠くへと走り去っていく。日々人はそのタクシーをしばらく見つめてから踵を返した。相変わらず右腕は掴まれたまま、別に逃げ出したりなんかしねーのに、と六太は思うがきっと日々人は信じないだろうと思うから言わなかった。

六月の空の下で海はあまりにも青く広がっている。ビーチがにぎわう季節にはまだ少しばかり早く、砂浜に人影はない。真夏になったところでここらに海水浴に来る物好きはいないだろうが。六太は目を細めてひとしきりそれを眺めてから日々人を見上げた。
日々人は光彩にすっかり青と白を映しこんだまま前をみている。握られた手首は放されることもなく、日々人の片足がようやく湿った砂に沈んだ時、きらきらと光を閉じ込めた瞳が六太を映した。歪んだ自分ほど醜いものは何のかもしれないと六太はふとそんなことを思う。日々人は言ったん眉根を寄せてからムッちゃんととても苦々しくつぶやいた。そんな顔をさせるためじゃなかったのに、と六太は思うが何もかももう遅い。そして今さらだった。

「俺は嫌だ。」
「日々人。」
「ムッちゃんがどっか行くのも、誰かの物になるのも、無理やり結婚させられんのも、我慢させられんのも、全部嫌だ。」

日々人は鮮やかな海を背にしてそう吐きだした。六太の腕を握ったまま、そうして海へと向かって歩いて行く。六太はそれに引っ張られるような形で前に進んだ。耳鳴りのような海のさざめきが、鼓膜をやわやわと揺らしている。

「幸せなんてものは誰かに押し付けられたり決めつけられたりするものじゃねぇ。俺のため?いつ誰がそんなこと頼んだよ。ムッちゃんを犠牲にして一体何が幸せだ。そんなもの本気で俺が望むとでも思ってたのかよ」

六太の視線に答えるように、日々人はそこでいったん言葉を切った。ゆっくり息を吐き、心を落ち着けるようにして六太を再度見る。

「俺から逃げるなよ。ムッちゃん」

相変わらずの強い眼差しだった。六太は彼のまなざしが強いことにひどく安心したし、それと同時に悲しくなった。もう少しだけ彼が庇護すべき弟でいてくれたならば、この選択を後悔のないものにできていたという確信が六太にはあったからだ。
逃げているわけじゃない、というのはもうすでに言い訳になってしまって長い。両親が死んでから坂を転がり落ちていくように困窮の真っただ中に立たされ、六太は日々人を守るだけで精いっぱいだった。両親の葬儀の際震えるようにして握り返してくる日々人の手の小ささを、六太は今でも覚えている。弟を守らなければと六太の中に閃いた誓いは、長い時を経て六太の一部になった。日々人にこれ以上つらい思いをさせなくて済むと知ったからこそ六太は迷ったりしなかった。たとえそれが自分を代償にしていたとしても。

六太は少しもそらすことのない日々人の瞳を見つめて、なんて鮮やかな色だろうと思った。世界との境界線がひどく微弱なものに見えてしょうがない。きらきらした太陽を背に浴びる日々人の向こう、地平線のもっとかなたで空と海が混じり合い、一つに解けていくような感じだ。六太は白い燕尾服の袖口を握り締めた。手首を握り締める日々人の手が震えていることに気が付いたからだ。

「生活のことなんてどうとでもなる。なんとかする。だから、俺を選んでよ。」

他の誰でもなく。日々人はそういって眉根を寄せた。泣きそうな顔だった。そしてそんな日々人の表情をみたのは何日ぶりくらいだろうことをついでにおもいだす。最後に見たあの日は夕暮れ、割れたガラスを背にして表情の潰れた日々人が言った小さな告白に六太は何と返したんだったか。いきなりすぎて唖然としたことは確かだ、六太がちゃんと言葉を返せたどうかはひどく疑わしい。
六太はただ怯えていた。日々人の告白を受け止められないからではなく、自分のせいで日々人が生きるべき幸せな未来を奪ってしまうことが恐ろしかった。
結婚はいい口実だ。離れることもできる。何よりそれによって、日々人をたくさんのしがらみから解き放ってやれる。六太はそう思った。日々人が反対することぐらい目に見えていたから、当日になるまで隠し通した。けれども日々人は六太をこうして浚いに来た。まるでチープなドラマのワンシーンのように”その結婚まったぁあああああ”なんて叫びながら。呆然とする中で、日々人に腕を掴まれて転がるようにして純白のチャペルを走り出してそれから、こんなところに来るまで決して離されない腕を六太はもう一度眺める。
作品名:二人と結婚式 作家名:poco