雨風食堂 Episode4
十年後の世界にやってきてから、自分の知る世界とあまりに違うことに何度も驚かされているが、その最たるものが、このボンゴレの地下アジトである。地上に出れば案外見慣れた街並みなのに比べて、まるでSF映画そのもののような施設で、それがかえって、自分たちの身に起きている事実の現実味を薄くしていたような気がする。
とはいえ、こちらの世界にやってきてからのほとんどの時間をこの空間で過ごしているのである。元々が適応能力は高い方なので、さすがに今は頻繁に迷ったり驚いたりすることもなくなった。
――――けどまぁ、慣れたのかって言われると、それは別問題だな。
いつまでだって慣れるはずはないと思う。ここは自分が生きる世界ではないのだ。だが、この世界もまた自分の大切なひとたちが生きている場所であることには変わりない。そして何より、元の世界に全員で戻るためにも、今はこの場所でやるべきことをやるしかないのだ。
リボーンに課せられた修行メニューは、冷静に考えれば無茶苦茶な量だろうと思う。だが、そういう無茶をふっかけられれば受けて立たないわけにはいかない負けず嫌いの性格で、緊迫した状況の中で不謹慎だとは思うが、案外楽しんでやっている。
毎日、朝起きてから寝るまでの間、食事以外の時間はほとんどが修行に費やされている。晩ご飯のあとも、用意された修行メニューはないのだが、何だかんだと自主的にトレーニングを行っている。綱吉や獄寺も、詳しくは聞いていないが似たようなものだ。
その日も、山本はいつものように晩ご飯の休憩のあと、一人でトレーニングをしていたのだが、どうも小腹が空いて集中できないので、何か余りものでも冷蔵庫にないかと思い、台所の部屋へと向かった。
ウィン、と音を立てて自動ドアが開くと、誰もいないと思っていたその部屋には、笹川京子がこちらに背を向ける恰好で立っていた。
「あれっ? 笹川、もう寝たんじゃなかったのか?」
山本が驚いて素っ頓狂な声を上げると、京子も山本が部屋に入ってきたことに気づいていなかったらしく、驚いたように振り返った。
「山本君! あ〜びっくりした、いつからそこにいたの?」
「いや、ついさっき入ってきたとこだけど。何、もしかして明日の朝飯の準備とか?」
台所に向かって立っていた京子が、袖まくりをして剥きかけのイモと包丁を持っているのを見て、そんな予想を立てる。京子も気がついたように、ああこれね、と呟いて笑った。
「そう、明日の朝ご飯の準備だよ。サンドイッチにしようかなと思って、ポテトサラダの準備をしているところ。山本君こそ、こんな遅くにどうしたの?」
「あー…、俺はさっきまでトレーニングしてたんだけど、ちょっと腹が減ったんで、何か余りもんでもねーかなーと思ってさ。こっそり漁りにきたんだ」
「そうなんだ。遅くまでおつかれさま。………あ、そうだ。少し待っててもらえたら、簡単におにぎり用意するよ?」
剥きかけの野菜は一旦置いて、京子はタオルで手を拭きながらにっこりと微笑んだ。思いがけない申し出に、山本は慌てて手を振った。
「いーって! 自分で適当に用意するし! 笹川はさっさとそれ終わらせて早く寝ろよ」
すると、京子はくすくすと笑いながら構わず冷蔵庫の中を眺めて、いくつかのタッパーを取り出し始めた。
「大丈夫だよ。山本君、修行で疲れてるでしょ? 折角なんだから、そこで少し座って休んでてよ。その間にちゃちゃっと作っちゃうから。私の方はもうあと少しだし、気にしないで」
おっとりとした調子ではあるものの、きっぱりと言われてしまった山本は、ここは素直に言われた通りにするのがベストだと判断した。あまりごねては、折角の好意を無にすることになる。
「じゃあ、お言葉に甘えることにする。ほんと、テキトーでいいからな?」
「心配しないで。私、あんまり料理上手じゃないから、手の込んだものを作れって言われても作れないもの」
京子は大きな炊飯器をあけて、中のご飯をしゃもじで手の上に落としながら、そんな風に笑って言った。山本はちょうど椅子に座ろうとしたところだったのだが、つい驚きがそのまま口をついて出ていた。
「ええ〜? だって、今まで何度か笹川が作ったもん食わしてもらったことあるけど、どれもすげー美味かったぜ? こっちきてからは、ぶっちゃけ毎日の飯が一番楽しみだしな、俺。笹川は十分料理上手だって」
「や、やだなぁ山本君てば……。それは誰が作っても同じような簡単な料理しかしてないからだよ。それに、ここでの毎日の料理は、ハルちゃんと一緒に作ってるわけだし……」
照れて顔を赤くして慌てる京子を見て、褒めているんだからもっと素直に喜べばいいのに、と思いつつ、山本はくすりと笑った。
クラスはずっと一緒だし、普通に話もできるけれど、考えてみればお互いに沢田綱吉という存在を通じて初めて知り合ったようなものだ。学年を問わず、京子に憧れる男子生徒が多いことは山本も知っている。こうして改めてまじまじと観察してみると、確かにその辺の女子とはレベルが違うのだということは、山本にだって十分理解できる。顔がかわいくて、思いやりがあって、明るくて、素直で、気配りもできる。並べ立ててみた限りではけちの付けどころがない。
――――ツナが惚れるのも無理ない、ってことか。
綱吉は自分自身にコンプレックスが強すぎるせいか、そういうわかりやすいものに弱いところがある。だが同時に、綱吉の人を見る目がそんな安っぽいものではないということも、よくわかっているつもりだった。
だからきっと、他の誰にでもわかるようなところではなく、綱吉だけが見つけることのできる何かがあるのだろう。それはもしかしたら、他の近しい人間も、本人さえ知らないような何かなのではないか、と思う。
「どうしたの? 山本君。考えごと?」
こちらを振り返らずに、ふいに京子がそんな風に訊いてきた。後ろからとはいえ、じっと見ていたので勘付かれてしまったかなと思いつつ、山本ははぐらかすように笑った。
「んー? 次々におにぎりができてくのが、何だか魔法みてぇだなー、と思って見てただけ。やっぱ手際が違うよな〜」
「そんな煽てても何も出てこないよ。もう……、今さらだけど、山本君が女子にもてるの、わかったような気がする」
「もてる? 俺が?」
首をひねる山本に、京子は笑って肩をすくめた。
「何言ってるのよ。今年のバレンタイン、チョコの数ものすごかったくせに」
「だってあれ、義理チョコだろ?」
だから数の問題じゃないと言おうとして、目の前で呆れたようにあからさまに溜め息を吐かれてしまった。
「山本君……。それ、チョコくれた女の子には言っちゃダメだよ?」
「え? あ、あぁ……わかった」
何が何だかわからないままに山本が頷いたのと同時に、背後でまた自動ドアが開く音が聞こえた。二人は同時にそちらを振り返り、新しい客を見て、これもまた同時にその名を呼んだ。
「ハルちゃん!」
「ハルじゃねーか! どうしたんだ、こんな時間に」
部屋に入るなり二重音声で名前を呼ばれたハルは、驚いて目を丸くし、ぱちぱちと瞬きをして立ち尽くしていた。
とはいえ、こちらの世界にやってきてからのほとんどの時間をこの空間で過ごしているのである。元々が適応能力は高い方なので、さすがに今は頻繁に迷ったり驚いたりすることもなくなった。
――――けどまぁ、慣れたのかって言われると、それは別問題だな。
いつまでだって慣れるはずはないと思う。ここは自分が生きる世界ではないのだ。だが、この世界もまた自分の大切なひとたちが生きている場所であることには変わりない。そして何より、元の世界に全員で戻るためにも、今はこの場所でやるべきことをやるしかないのだ。
リボーンに課せられた修行メニューは、冷静に考えれば無茶苦茶な量だろうと思う。だが、そういう無茶をふっかけられれば受けて立たないわけにはいかない負けず嫌いの性格で、緊迫した状況の中で不謹慎だとは思うが、案外楽しんでやっている。
毎日、朝起きてから寝るまでの間、食事以外の時間はほとんどが修行に費やされている。晩ご飯のあとも、用意された修行メニューはないのだが、何だかんだと自主的にトレーニングを行っている。綱吉や獄寺も、詳しくは聞いていないが似たようなものだ。
その日も、山本はいつものように晩ご飯の休憩のあと、一人でトレーニングをしていたのだが、どうも小腹が空いて集中できないので、何か余りものでも冷蔵庫にないかと思い、台所の部屋へと向かった。
ウィン、と音を立てて自動ドアが開くと、誰もいないと思っていたその部屋には、笹川京子がこちらに背を向ける恰好で立っていた。
「あれっ? 笹川、もう寝たんじゃなかったのか?」
山本が驚いて素っ頓狂な声を上げると、京子も山本が部屋に入ってきたことに気づいていなかったらしく、驚いたように振り返った。
「山本君! あ〜びっくりした、いつからそこにいたの?」
「いや、ついさっき入ってきたとこだけど。何、もしかして明日の朝飯の準備とか?」
台所に向かって立っていた京子が、袖まくりをして剥きかけのイモと包丁を持っているのを見て、そんな予想を立てる。京子も気がついたように、ああこれね、と呟いて笑った。
「そう、明日の朝ご飯の準備だよ。サンドイッチにしようかなと思って、ポテトサラダの準備をしているところ。山本君こそ、こんな遅くにどうしたの?」
「あー…、俺はさっきまでトレーニングしてたんだけど、ちょっと腹が減ったんで、何か余りもんでもねーかなーと思ってさ。こっそり漁りにきたんだ」
「そうなんだ。遅くまでおつかれさま。………あ、そうだ。少し待っててもらえたら、簡単におにぎり用意するよ?」
剥きかけの野菜は一旦置いて、京子はタオルで手を拭きながらにっこりと微笑んだ。思いがけない申し出に、山本は慌てて手を振った。
「いーって! 自分で適当に用意するし! 笹川はさっさとそれ終わらせて早く寝ろよ」
すると、京子はくすくすと笑いながら構わず冷蔵庫の中を眺めて、いくつかのタッパーを取り出し始めた。
「大丈夫だよ。山本君、修行で疲れてるでしょ? 折角なんだから、そこで少し座って休んでてよ。その間にちゃちゃっと作っちゃうから。私の方はもうあと少しだし、気にしないで」
おっとりとした調子ではあるものの、きっぱりと言われてしまった山本は、ここは素直に言われた通りにするのがベストだと判断した。あまりごねては、折角の好意を無にすることになる。
「じゃあ、お言葉に甘えることにする。ほんと、テキトーでいいからな?」
「心配しないで。私、あんまり料理上手じゃないから、手の込んだものを作れって言われても作れないもの」
京子は大きな炊飯器をあけて、中のご飯をしゃもじで手の上に落としながら、そんな風に笑って言った。山本はちょうど椅子に座ろうとしたところだったのだが、つい驚きがそのまま口をついて出ていた。
「ええ〜? だって、今まで何度か笹川が作ったもん食わしてもらったことあるけど、どれもすげー美味かったぜ? こっちきてからは、ぶっちゃけ毎日の飯が一番楽しみだしな、俺。笹川は十分料理上手だって」
「や、やだなぁ山本君てば……。それは誰が作っても同じような簡単な料理しかしてないからだよ。それに、ここでの毎日の料理は、ハルちゃんと一緒に作ってるわけだし……」
照れて顔を赤くして慌てる京子を見て、褒めているんだからもっと素直に喜べばいいのに、と思いつつ、山本はくすりと笑った。
クラスはずっと一緒だし、普通に話もできるけれど、考えてみればお互いに沢田綱吉という存在を通じて初めて知り合ったようなものだ。学年を問わず、京子に憧れる男子生徒が多いことは山本も知っている。こうして改めてまじまじと観察してみると、確かにその辺の女子とはレベルが違うのだということは、山本にだって十分理解できる。顔がかわいくて、思いやりがあって、明るくて、素直で、気配りもできる。並べ立ててみた限りではけちの付けどころがない。
――――ツナが惚れるのも無理ない、ってことか。
綱吉は自分自身にコンプレックスが強すぎるせいか、そういうわかりやすいものに弱いところがある。だが同時に、綱吉の人を見る目がそんな安っぽいものではないということも、よくわかっているつもりだった。
だからきっと、他の誰にでもわかるようなところではなく、綱吉だけが見つけることのできる何かがあるのだろう。それはもしかしたら、他の近しい人間も、本人さえ知らないような何かなのではないか、と思う。
「どうしたの? 山本君。考えごと?」
こちらを振り返らずに、ふいに京子がそんな風に訊いてきた。後ろからとはいえ、じっと見ていたので勘付かれてしまったかなと思いつつ、山本ははぐらかすように笑った。
「んー? 次々におにぎりができてくのが、何だか魔法みてぇだなー、と思って見てただけ。やっぱ手際が違うよな〜」
「そんな煽てても何も出てこないよ。もう……、今さらだけど、山本君が女子にもてるの、わかったような気がする」
「もてる? 俺が?」
首をひねる山本に、京子は笑って肩をすくめた。
「何言ってるのよ。今年のバレンタイン、チョコの数ものすごかったくせに」
「だってあれ、義理チョコだろ?」
だから数の問題じゃないと言おうとして、目の前で呆れたようにあからさまに溜め息を吐かれてしまった。
「山本君……。それ、チョコくれた女の子には言っちゃダメだよ?」
「え? あ、あぁ……わかった」
何が何だかわからないままに山本が頷いたのと同時に、背後でまた自動ドアが開く音が聞こえた。二人は同時にそちらを振り返り、新しい客を見て、これもまた同時にその名を呼んだ。
「ハルちゃん!」
「ハルじゃねーか! どうしたんだ、こんな時間に」
部屋に入るなり二重音声で名前を呼ばれたハルは、驚いて目を丸くし、ぱちぱちと瞬きをして立ち尽くしていた。
作品名:雨風食堂 Episode4 作家名:あらた