雨風食堂 Episode6
十年後からやってきた子どもたちを見たとき、何て小さくて脆いものだろうかと、雲雀はわずかに驚きを覚えた。そして、十年という年月は、これまで自分が捉えていた以上に、ずっと長く、重いものなのだと気付いた。
積み重ねるだけのものに意味があるとは思わない。ただ、自分の知る大人の彼らと目の前の子どもたちは根が同じものであることははっきりしているのに、どうしても別個の人間なのだと感じてしまう。それは、あとから書き込まれ、蓄積されていくデータが人格を形作るものの中で、無視できないほど重要な位置を占めている、ということなのだろう。
――――まぁ、だからどうというわけでもないけどね。
基本的に、彼らに深く関わるつもりはない。だから大人だろうと子どもだろうと、あまり大差はないような気もする。だが、今は沢田の修行に付き合うために、向こう側のアジトに行く機会が多く、必然的に子どもの彼らに鉢合わせることも多いのだが、その度に、どうしても自分の知る大人の彼らの存在がちらついてしまうのは面倒だった。
「あっ、ヒバリ!」
沢田の修行に付き合って、自分の屋敷に戻ろうかと廊下を歩いていたところを、山本に見つかって呼び止められた。また、よりにもよって一番厄介なのにつかまってしまったな、と内心では思ったけれど、それを説明するのも面倒で、雲雀は無言のまま足を止めた。
山本は昔から、基本は天然で鈍感なくせに、妙に敏いところもあったりする不思議な男だった。振り返った雲雀の顔を見て、何かを感じたのだろう。しまった、という言葉がその額にはっきりと浮かんだのが、雲雀にもわかった。
――――本能で危険を察知できない草食動物は食われるだけだしね。
そういう意味では、山本は草食動物として優秀だと言えるのかもしれない。但し、その察知した危険を回避するということをしないのでは、結局は同じことになる。要するにただの馬鹿だ。
「今、帰り? メシ、こっちでみんなと食ってけばいいのに」
「何度も言ってるけど、僕は君たちと群れるつもりはないよ。いい加減覚えたらどう?」
ばっさりと切り捨てると、山本はさしてダメージを受けた風もなく、へらりと笑った。
「だよなー。いや、断られるだろうなとは思ったんだけど、もしかしたら今日はウンって言うかもしれねーじゃん? ホラ、お前って結構気まぐれなところもあるしさ」
そう言ったあと、山本は何かに気づいたように口をつぐみ、そろりとうかがうように雲雀を見上げた。視線を感じて、雲雀は眉根を寄せる。
「―――何なの。言いたいことがあるなら、早く言ったら?」
「いや、言いたいことっつーか、俺がヒバリって呼び捨てにすんの、平気かなーって思ってさ。こんな年下のガキに呼び捨てされて、実は腹立ててたりしねぇ?」
「君は、最初に会ったときから今まで他の呼び方で僕を呼んだことはないよ。今さらそんなこと言い出されるのも不気味で気持ちが悪いんだけど」
「うわっ。すげー言い方」
あまりにきっぱりと言われてしまって、山本は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。別に事実を述べただけなので非難されるいわれはない、と雲雀は思った。
そもそも、最初から山本は雲雀よりも年下なのだ。歳など、差があるという意味で言えば、一年も十年も同じようなものだ。歳の差を気にしてそんなことを言い出すのだとしたら、それこそ今さら過ぎる話だ。
さっさと戻ってやらなければならないこともたくさんある。こんな子どもにかかずらっている暇はないはずなのだが、ふと気が変って、雲雀はもうしばらくだけこの男に付き合ってやることにした。この辺りが、気まぐれと言われる所以なのだろう。
「君が年上への礼儀を今さら気にするなんて殊勝な性格とも思えないけどね。どういう風の吹きまわし?」
腕を組んで壁に寄りかかりながら、雲雀はうっすらと微笑んで見せた。この廊下をあと十メートルも進めば、ボンゴレのアジトと自分の施設を結ぶ接続地点に辿り着く。そこには特殊な扉が用意されており、通るには自分か草壁の許可が必ず必要となる。因みに、この目の前にいる子どもについては、一度も許可したことはない。
山本は雲雀の指摘にとっさに弁解の言葉が見つからないらしく、困惑したように唸った。ガシガシと黒い短髪をかき回し、どうやって説明したらよいものかと思案しているようだった。
「それは……まぁ、その、急にヒバリが俺よりも大きくなって……って、これはそっちにしたら逆なんだろうけど。とにかく大人のヒバリを見て、そうだ俺より年上なんだな、って思い知らされたっていうか……。俺と獄寺が二人がかりでもまるで太刀打ちできなかったγをあっさり倒したとか聞かされちゃうとさ、あぁやっぱりすげぇのなー、って思って……」
「それで、僕にはどう足掻いても敵わないと思ったわけだ」
にっこりときれいに微笑んで、たっぷりと毒を含ませる。そうすれば、この男がどんな表情をするのか、雲雀には想像ができていた。
――――君のそういう表情は、悪くないね。
普段は温和でいたって呑気なものなのに、じわりと奥底に潜む闘争心がにじみ出す瞬間がある。誰かを傷つけることを厭いながらも、同時にそれとは相反するものを抱えている。おそらくは、ボンゴレの他の守護者の中でもっとも物騒なのがこの男だろう、と雲雀は思っていた。
雲雀にしてみれば、山本のそれは致命的な矛盾だ。だが、当人はそれをあまり自覚していない。ひょっとしたら、彼の中ではそれが矛盾ではなく成り立っているのかもしれない、とさえ思うほどだ。
「………余裕なのな。全部お見通しって感じだ」
顔は笑っているけれど、その目が明らかに違う。その目の光は、確かに自分が知る十年後の彼と目の前の少年が繋がる存在なのだということを思い出させた。
「僕が君より強いのは、今も昔も変わらない。決定的にね」
「確かに今も昔も俺があんたに敵わないってのは認めるけど、これから先はわかんねーじゃん。歳の差とは違って、いつか追い越すことだってあるかもしんねーし」
「ふーん、本気でそんな風に思ってるの? おめでたい頭だね。何なら今すぐ、その楽観的観測を僕のトンファーで木っ端みじんにしてあげるよ?」
微笑みながらすぐ側でささやくと、山本はびくっと肩を揺らし、慌てて後ろに跳び退った。
「それはマジ勘弁!」
「そう? 僕はいつでも構わないけど」
「俺は構う! そ、それにほら! 俺はまだ修行中だし、ヒバリだって手応えなくちゃ戦っても楽しくねーだろ? な?」
必死過ぎる山本の言い分は、とっさにしてはなかなか的を射ていた。雲雀はくすりと笑うと、手に持っていたトンファーをおさめた。
「……まぁ、それは一理あるかもしれないね。果実は熟してから摘み取る方が美味しいしね。せいぜい頑張って、僕を退屈させないでくれよ」
命拾いをした山本はあからさまにホッとした表情で胸を撫で下ろしていた。それを見ながら、そういえばこの男の修行を担当しているのはあの赤ん坊だったのだということを思い出し、ふと、どんな修行をしているのか興味が湧いた。
「ねぇ。赤ん坊との修行はどんな感じ?」
唐突な質問に、山本は驚いたように目を瞬いた。
積み重ねるだけのものに意味があるとは思わない。ただ、自分の知る大人の彼らと目の前の子どもたちは根が同じものであることははっきりしているのに、どうしても別個の人間なのだと感じてしまう。それは、あとから書き込まれ、蓄積されていくデータが人格を形作るものの中で、無視できないほど重要な位置を占めている、ということなのだろう。
――――まぁ、だからどうというわけでもないけどね。
基本的に、彼らに深く関わるつもりはない。だから大人だろうと子どもだろうと、あまり大差はないような気もする。だが、今は沢田の修行に付き合うために、向こう側のアジトに行く機会が多く、必然的に子どもの彼らに鉢合わせることも多いのだが、その度に、どうしても自分の知る大人の彼らの存在がちらついてしまうのは面倒だった。
「あっ、ヒバリ!」
沢田の修行に付き合って、自分の屋敷に戻ろうかと廊下を歩いていたところを、山本に見つかって呼び止められた。また、よりにもよって一番厄介なのにつかまってしまったな、と内心では思ったけれど、それを説明するのも面倒で、雲雀は無言のまま足を止めた。
山本は昔から、基本は天然で鈍感なくせに、妙に敏いところもあったりする不思議な男だった。振り返った雲雀の顔を見て、何かを感じたのだろう。しまった、という言葉がその額にはっきりと浮かんだのが、雲雀にもわかった。
――――本能で危険を察知できない草食動物は食われるだけだしね。
そういう意味では、山本は草食動物として優秀だと言えるのかもしれない。但し、その察知した危険を回避するということをしないのでは、結局は同じことになる。要するにただの馬鹿だ。
「今、帰り? メシ、こっちでみんなと食ってけばいいのに」
「何度も言ってるけど、僕は君たちと群れるつもりはないよ。いい加減覚えたらどう?」
ばっさりと切り捨てると、山本はさしてダメージを受けた風もなく、へらりと笑った。
「だよなー。いや、断られるだろうなとは思ったんだけど、もしかしたら今日はウンって言うかもしれねーじゃん? ホラ、お前って結構気まぐれなところもあるしさ」
そう言ったあと、山本は何かに気づいたように口をつぐみ、そろりとうかがうように雲雀を見上げた。視線を感じて、雲雀は眉根を寄せる。
「―――何なの。言いたいことがあるなら、早く言ったら?」
「いや、言いたいことっつーか、俺がヒバリって呼び捨てにすんの、平気かなーって思ってさ。こんな年下のガキに呼び捨てされて、実は腹立ててたりしねぇ?」
「君は、最初に会ったときから今まで他の呼び方で僕を呼んだことはないよ。今さらそんなこと言い出されるのも不気味で気持ちが悪いんだけど」
「うわっ。すげー言い方」
あまりにきっぱりと言われてしまって、山本は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。別に事実を述べただけなので非難されるいわれはない、と雲雀は思った。
そもそも、最初から山本は雲雀よりも年下なのだ。歳など、差があるという意味で言えば、一年も十年も同じようなものだ。歳の差を気にしてそんなことを言い出すのだとしたら、それこそ今さら過ぎる話だ。
さっさと戻ってやらなければならないこともたくさんある。こんな子どもにかかずらっている暇はないはずなのだが、ふと気が変って、雲雀はもうしばらくだけこの男に付き合ってやることにした。この辺りが、気まぐれと言われる所以なのだろう。
「君が年上への礼儀を今さら気にするなんて殊勝な性格とも思えないけどね。どういう風の吹きまわし?」
腕を組んで壁に寄りかかりながら、雲雀はうっすらと微笑んで見せた。この廊下をあと十メートルも進めば、ボンゴレのアジトと自分の施設を結ぶ接続地点に辿り着く。そこには特殊な扉が用意されており、通るには自分か草壁の許可が必ず必要となる。因みに、この目の前にいる子どもについては、一度も許可したことはない。
山本は雲雀の指摘にとっさに弁解の言葉が見つからないらしく、困惑したように唸った。ガシガシと黒い短髪をかき回し、どうやって説明したらよいものかと思案しているようだった。
「それは……まぁ、その、急にヒバリが俺よりも大きくなって……って、これはそっちにしたら逆なんだろうけど。とにかく大人のヒバリを見て、そうだ俺より年上なんだな、って思い知らされたっていうか……。俺と獄寺が二人がかりでもまるで太刀打ちできなかったγをあっさり倒したとか聞かされちゃうとさ、あぁやっぱりすげぇのなー、って思って……」
「それで、僕にはどう足掻いても敵わないと思ったわけだ」
にっこりときれいに微笑んで、たっぷりと毒を含ませる。そうすれば、この男がどんな表情をするのか、雲雀には想像ができていた。
――――君のそういう表情は、悪くないね。
普段は温和でいたって呑気なものなのに、じわりと奥底に潜む闘争心がにじみ出す瞬間がある。誰かを傷つけることを厭いながらも、同時にそれとは相反するものを抱えている。おそらくは、ボンゴレの他の守護者の中でもっとも物騒なのがこの男だろう、と雲雀は思っていた。
雲雀にしてみれば、山本のそれは致命的な矛盾だ。だが、当人はそれをあまり自覚していない。ひょっとしたら、彼の中ではそれが矛盾ではなく成り立っているのかもしれない、とさえ思うほどだ。
「………余裕なのな。全部お見通しって感じだ」
顔は笑っているけれど、その目が明らかに違う。その目の光は、確かに自分が知る十年後の彼と目の前の少年が繋がる存在なのだということを思い出させた。
「僕が君より強いのは、今も昔も変わらない。決定的にね」
「確かに今も昔も俺があんたに敵わないってのは認めるけど、これから先はわかんねーじゃん。歳の差とは違って、いつか追い越すことだってあるかもしんねーし」
「ふーん、本気でそんな風に思ってるの? おめでたい頭だね。何なら今すぐ、その楽観的観測を僕のトンファーで木っ端みじんにしてあげるよ?」
微笑みながらすぐ側でささやくと、山本はびくっと肩を揺らし、慌てて後ろに跳び退った。
「それはマジ勘弁!」
「そう? 僕はいつでも構わないけど」
「俺は構う! そ、それにほら! 俺はまだ修行中だし、ヒバリだって手応えなくちゃ戦っても楽しくねーだろ? な?」
必死過ぎる山本の言い分は、とっさにしてはなかなか的を射ていた。雲雀はくすりと笑うと、手に持っていたトンファーをおさめた。
「……まぁ、それは一理あるかもしれないね。果実は熟してから摘み取る方が美味しいしね。せいぜい頑張って、僕を退屈させないでくれよ」
命拾いをした山本はあからさまにホッとした表情で胸を撫で下ろしていた。それを見ながら、そういえばこの男の修行を担当しているのはあの赤ん坊だったのだということを思い出し、ふと、どんな修行をしているのか興味が湧いた。
「ねぇ。赤ん坊との修行はどんな感じ?」
唐突な質問に、山本は驚いたように目を瞬いた。
作品名:雨風食堂 Episode6 作家名:あらた