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薬指に証を

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漫画ならばガリッという音がしただろう。
 「――っ」
 トウコは自分の左手を両手でつかみ、薬指に噛みつく男性を睨み付けた。
 黒い制服、黒い制帽、アッシュの瞳の男性は、彼女の視線に気づき珍しく笑みを浮かべると、小さな音を立てて薬指に唇を落とした。薬指には小さな傷がついており、肌を破るほど噛むなんて何を考えているのだと思って文句を言おうとすると、それよりも前に彼が言葉を放った。
 「ここはわたくしの予約場所です。誰にも渡さないで下さい」
 その言葉を、顔を赤くせずに言い放つから、トウコは逆に顔が熱を持つのを感じた。


 トウコとノボリの出会いは、挑戦者とサブウェイマスターだ。
 トウコはマルチトレインでノボリと出会った。サブウェイマスターの噂は聞いていたけれど、どこで会えるのか知らなくて、とりあえずマルチに挑戦してみたのだ。
 マルチトレインはパートナーとのタイミングが合わなければ中々勝ち上がれない場所で、予想以上に難しかった。何度か幼馴染と協力して闘ったこともあるが、その時マルチトレインに行ったのは初めての人で、しかも地震を乱用するので組み合わせも考えなくてはならなくて、お互いに試行錯誤で迎えた20戦目を勝利した時、教えられた。
 次がサブウェイマスターだ、と。
 どんな人なのだろうか。きっと強くて、結構な歳の人だろうと思っていたが、その予想は外れ、若い男性二人だった。
 黒と白。それはまるで伝説のポケモンレシラムとゼクロムのようで、彼らの向こうに伝説のポケモンが見えたような、錯覚が起きた。
 片方は無表情で、片方は笑顔で、本当に正反対だった。
 彼らの挨拶が終わっても、鳥肌が消えなかった。
 それが、トウコとサブウェイマスターの出会いであり、ノボリとの出会いだった。その後シングルに向かい、シングルも担当していることを知った。
 サブウェイマスター・ノボリ。
 彼と出会い、トウコは『恋』を知る。
 だけれど、彼女は、ノボリに近づきたくても近づけない理由が存在した。それは、地上にて、彼女はプラズマ団を倒した『英雄』であり、チャンピオンも倒した存在であることだ。さらに言えば、自分が子供であり、ノボリたちの年齢は分からないけれど、相手されないことが分かりきっていた。
 子どもであることが辛い。だけど、すぐに大人になることも、彼との年齢が近付くことも無い。それが辛く、苦しい日々が続いた。
 なのに、少しでも覚えてほしくて、ギアステーションに、トレインに乗車することは欠かさなかった。
 才能があったのか、ノーマルトレインは全てクリアして、彼女はスーパーに挑む権利を手にしている。常連になったからか、ノボリも会話してくれるようになり、トウコはそれだけで満足だった。苦しいけれど、自分の名前を覚えてくれて、自分に話しかけてくれる。名前を呼んでくれるだけでも、良かった。
 この淡い想いは届くことが無い。言うつもりが無いのだから、届くはずがない。
 そんな時、地下にも彼女が『英雄』であることが流れた。それは、少しだけ覚悟していることだった。情報はいつか流れ、彼女が英雄であることが地下にも流れるかもしれない、と思っていた。
 英雄だから、伝説のポケモンに選ばれた人だから、強いのは当然だ、と言う人もいれば、英雄なのに負けることもあるんだなと嫌味を言う人もいるだろうと思っていたが、それは当たり、彼女は挑戦者の一人に壁に押し付けられた。その人はまだスーパーへのチケットを手に入れておらず、ノーマルの方で勝ったことがある。
 その人は言う。お前のような奴がここに来たら乱れる、と。
 英雄ならば地上で満足しておけ。地下にまで来て、英雄と言うのは、地上だけじゃ満足できないのか、と。でも、トウコにはそんなつもりは無かった。ただ、バトルしていただけなのに。
 英雄だって、Nを止めたくて選んだ道だったのに。
 ……友達を止めたくて選んだ道だったのに!
 辛くて、でも涙を出さないでいたら、相手の手が自分の首に触れた。ああ、これは危ないなあと思った直後に息が詰まる。首を絞められていた。
 「何をしているのですか」
 きっとその人は驚いただろうし怖かっただろう。その声は私でも怖い程だったのだから。
 「ギアステーションでの暴力行為は禁止しておりますが――それを承知の上での行動でしょうか?」
 「ま。待てよ、こいつは……〝英雄〟だぞ! 俺は英雄がなんでここに」
 「関係御座いません。英雄であろうと犯罪者であろうと。ここに来るお客様にあなたが手出しをした。その事実さえわかれば十分です」
 その言葉が嬉しかった。
 英雄であっても、なんであっても関係なく、私、という存在を見てくれたことに泣きそうなほど、嬉しかった。英雄のトウコではなく、ただトウコという存在だと言ってくれたその人が、どうしようもなく好きなのだと自覚してしまった。
 「大丈夫ですか、トウコ様」
 駅員に連れて行かれる人から私に目を向けたノボリさんは、先程の怖い雰囲気ではなく、少しだけ優しげに(でも、子供たちには怖がられるだろうけど)微笑んだ。
 「……はい」
 差し出された手を握りしめると、ノボリさんは私を引っ張り上げ、「失礼します」と言って首に触れる。
 「痣が残った場合、いえ、消えた場合もお教えください」
 「どうしてですか?」
 「大事な人の身体に痣が残っていたら、わたくしはあの男を許せそうにありませんので」
 どうしようもなく私は子供で、あの人は大人で。
 それでも、近づけた時、嬉しかった。

 そんな私は現在ノボリさんに傷つけられ、顔を赤くしている。
 「おや、可愛らしいですね、トウコ様」
 ぺろり、と唇を舐めて笑みを浮かべるノボリさんに私は顔を赤くするしかない。え、とか、あ、とか、言葉にならない声を出していると、ノボリはトウコの膝に頭を置いた。目を点にすると、ノボリは手を伸ばしトウコの頬に触れる。優しい手つきで触れ、そして手を降ろした。
 「ノボリさん?」
 「疲れたので寝ようと思います」
 「わ、私よりもベッドの方が良いと思いますよ!?」
 仮眠室に行きましょう、と説得するが、ノボリは「ベッドだと熟睡してしまいますので」と拒否をする。少しだけ枕になってください、と頼まれたら、拒否することはできない。先ほどの行為から、もう膝枕に移動しており、先程の行為は何だったのかと言いたくなるが、恥ずかしいので忘れようとした。
 「……ノボリさん、目を閉じないと寝られませんよ?」
 「やってほしいことがあるのです」
 「……なんですか?」
 ノボリの帽子を外し、机に置くと、ノボリがまだ寝ていないことに気付いたので言うと、ノボリは少しだけ楽しそうに言い放つ。
 「キスしてください」
 「はぁ!?」
 ノボリの言葉にトウコはつい声を張り上げてしまったが、自分を下から見上げるノボリは本気の表情をしていた。自分を見つめ、待っているように見える。
 「トウコ様からキスしてください」
 「……眠くて脳に思考能力が回らない?」
 「本気です」
 真剣な表情で言い放つ彼にトウコは顔を引き攣らせ、立ち上がろうとしたが、ノボリが先に体を起こしてトウコを抱きしめた。
 「ちょっと、ノボリさん!?」
作品名:薬指に証を 作家名:津波