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不随意な感情

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「うん。それ読んでると夜更かししてしまうから、返す。ありがとう非常に面白かった」

そうなのか?これはつい夜更しをしてしまうほど、そんなに面白い読み物だとは到底思えないんだが。
水谷さんはカバーに傷がつくといけないからと、風呂敷に包んだそれを大事そうにカバンから出してきた。

「だって、所有者よりも先に読ませてもらったのだし、当然でしょ」

そういうところに何の不自然さもなく気遣いできるのか。俺はまた水谷さんにドキリとさせられて、知らないうちに見つめてしまっていた。
そうなんだよ、こういう意表を衝くんだ、この人は。
しかし、風呂敷・・・ しかも紫。あり得ねえな、やっぱり面白い。

「あ、それから・・」
「あの・・山口君。教えて欲しいんだけど」

数人の女子が俺の隣に来て話しかけてきて、水谷さんの話は途切れてしまう。気を遣ったのか彼女は席を立ってしまった。
授業開始ギリギリで戻ってきた水谷さんに、『さっきは何か言いかけた?』 と書いたメモをそっと机の上を滑らせる。彼女は何か書いて戻してきた。『後でいい』
何のことだ?
既に勉強モードの鬼の形相の水谷さんに、これ以上メモを渡しても返事は貰えなさそうだった。

授業が終わると、水谷さんに視線で教室の外へ呼ばれた。

「何? こんなところで何の話?」
「これ、早く鞄にしまって」

素早く渡された小さな紙袋。言われたままにする。

「外で渡して、ハルに見つかるとまた詮索されて面倒くさいから。多分さっきの女子にも見つかってないと思う」

そういう気遣い、俺には無用なんだけど。
俺から離れかけた水谷さんは振り向いて小さな声で言った。

「辞典のお礼ね」

俺は片手を上げてサンキュって返すだけで精一杯だった。なんだ。何をくれたんだ。
タクシーに乗ってカバンから紙袋を出すと、開けてみる。
めちゃくちゃ定番のクッキーが入っていて、どう見ても手作り感にあふれていた。

「マジで!?」

つい独り言が出る。
ガリ勉だけどこんなこともするのか。これは期待してなかったサプライズだ。
今年のクリスマスは、勢いとはいえ冬期講習をとったから何も予定が入れられない。でも、悪いことばかりじゃないな。
吉田に「手足切り落としてやる」なんて脅されても、やっぱこんなことがあると気持ちが上がる。
少しくらいドキドキするってくらいで、まだ何も始まっていないし、始まるかどうかもわからないんだ。
無理に断ち切らなくても、いいよな。

窓の外の景色を見ながら、少し先の未来を思う。
エリート人生を歩む俺の隣にはずっとあいつが居て、きっと大学終わっても勉強したいからって院に進んだりしてるんだ。論文だとか学会だとかで、一緒に暮らしててもお互い忙しくて、だから・・・
赤信号で止まって我に返る。なんてことを想像してるんだ俺は。
あいつのことで顔が赤くなる、熱くなることがやたらと多い気がする。気のせいじゃないか。
でも、いつまでも今と変わらない化粧っけも色気もないあいつがいいだなんて、俺はかなりイカレてるな。
滑り出した車の中で、俺はそうなればいいのにと思った。
未来は不確定要素の塊だ。今はハルに気持ちが行っていても、ずっと未来はわからない。

とりあえずは、近い未来の話。
明日あいつに、クッキー美味かったって、それだけは素直に伝えたい。
絶対に。
まだ食べてないけど、絶対に旨いに決まってるから。

作品名:不随意な感情 作家名:沙羅紅月