サンタクロース幻想(前編)
クリスマス・イブといえば、サンタクロースがトナカイのソリでやってきて、子どもたちの枕元にプレゼントを置いて回る日。……そんな幻想に胸をワクワクさせていたのも今は昔。高校生にもなった朱志香はさすがにサンタの存在などこれっぽっちも信じておらず、プレゼントよりも彼氏が欲しいなあ、なんて考えるお年頃。そんな彼女は、年の近い使用人を自室に連れ込んでガールズトークに華を咲かせていた。
「そんなこといってさー、どうせ麻音だって彼氏いるんだろー? うぜーぜ!」
口を尖らせながら朱志香が手元にあるクッションを投げつける。麻音は飛んでくるクッションをひょいひょいと避けながら大きく溜め息を吐いた。
「いやいや彼氏いたらイブの日のシフトなんか入りませんよー。今日明日にシフト入ってる子は、みんな独り身ですねえ。」
「勤務シフトは源次さんが決めるんだろ? 彼氏とデートだからシフト変えてくださ〜いとか、出来るのかよ?」
「源次さまって意外とそういうのに融通きかせてくれるんですよ。そうだなあ。休憩中にお菓子作りを教えて下さったりもしますし、ああ見えて若い子に人気なんですよー?」
「へー……。源次さんっていつも寡黙で、祖父さまの隣にずっしり控えてるってイメージだけど、そんな一面があるのなー。」
そういう公私の使い分けられる人って素敵ですよねえ、と麻音は床に散乱したクッションをぎゅっと抱きながら、何かに耽っているようだった。
「でも、そんなクリスマスにシフト入るなんてなんか癪じゃねーか? 私だったら、見栄張って休み貰っちゃいそうだぜ。」
「休暇取得して遊びに行ったって、どうせアベックばっかりですよ。……それに、右代宮家のクリスマスディナーは郷田さん担当じゃないですか。料理も普段以上に豪華だし。まかないも期待できるかなあ、って。」
郷田は昨年から雇用している右代宮家専属の料理人だ。以前はホテルシェフだったらしく、その腕は確かなもの。右代宮家のクリスマス料理は昔から豪華ではあったが、昨年のそれは高級ホテルにも劣らないようなフルコースだった。なるほど、使用人に振舞われるまかないも、また美味に違いない。
……郷田の担当したクリスマスディナーは予想通り豪華で素晴らしいものだった。もっとも朱志香は料理の蘊蓄などわからないが、郷田が何かを説明するたびに斜向かいで感嘆の声を上げる次期当主の姿を見て、それはそれは大層なものなのだろうなと思っていた。メインディッシュに出てきたチキンが美味かったなあ、とぽんぽんと腹をさすりながら自室へ戻ろうとする朱志香。夕食のあとも、しばらく食堂で歓談していたし、その後も客間でごろごろテレビを見ていたので、すっかり夜は更けている。もうすぐ日付が変わろうかという時間帯だ。朱志香は玄関ホールを足早に横切ろうとする。なぜなら、そこには不気味な肖像画が掲げられているからだ。……ベアトリーチェ。かつて右代宮金蔵に莫大な額の融資をしたと噂される“魔女”。恐らくは金蔵の気まぐれだろう。昨年よりその巨大な肖像画は屋敷の玄関に鎮座しているのである。もっと幼い頃に掲げられていたら間違いなくトラウマになってたな、と朱志香は苦笑する。……その時だった。
「……メリぃいいいぃいいい、クリスマスッ!!」
突然、後ろから声を掛けられ、朱志香は肩をビクッと震わせる。恐る恐る背後を振り返ると、そこには大きな人影。……赤い服に赤い帽子。大きな袋を引っ提げて、その顔には白いヒゲを蓄えている。……つまり、サンタクロースだ。いや、正確にはサンタクロースの格好をした男が立っていた。
「ふっふふふ! すまぬすまぬ、驚いたであろう。」
妙に背格好の大きなそのサンタはしわがれた声で話しかける。年老いてはいるが、少し厳つい印象の目つき。その辺りがちょっとサンタらしくない。朱志香は肩をすくめて、どうしたものかと考えあぐねる。
「えーっと。こんな夜中に何してるの? ……お祖父さま。」
「……む。お祖父さまとは何か。私はサンタクロースであるぞ。」
サンタと名乗る老人は少し気分を害したようで、不機嫌そうに答えた。それを見て朱志香は、ああ、そういうノリで続ければいいのね、と妙に納得した様子で謝罪の言葉を口にした。
「あー、ごめんごめんッ! 私のお祖父さまにちょっと似てたものだからさ。それにまさかサンタクロースに出会えるなんて思ってもみなかったし!」
「そうであろう、そうであろう! いやはや、最近のそなたは私の存在に疑いを持っているようであったからな。こうして、わざわざ姿を現したのであるわッ。」
「そ、そうなんだ。ごめんなさい、……だってその、実際に自分の目で見たことなかったから……。」
どうにもこのサンタは、自分の存在を認めて欲しいらしい。そういえば、さっきの客間で、サンタなんて本当にやって来たら住居不法侵入で通報ものだよなあ、などと馬鹿にした覚えがある。それが何故かこのサンタに伝わってしまい、こうして私の目の前で仁王立ちをしているわけだ。……私だってもう高校生だぜ。いいかげんサンタを信じる歳じゃないんだけどなあ。まあ、このお方はサンタに限らず、精霊だとか、亡霊だとか、そういうちょっとオカルトチックな存在を否定されるのを嫌う。ロマンチックと言えばそれまでだけどよ。私はこう見えて現実主義者だ。神に対する信仰心みたいなものさえほとんどない。そういう面では似てねえよなあ……。私と祖父さま。
「それでだ。そなたは今から自室に戻り、朝までぐっすり眠ることだろう。そして目を覚ましたとき、私と出会った奇跡を夢か幻かと勘違いされては困る。……というわけで、私からそなたに贈り物を用意した。」
サンタはごそごそと袋の中を漁り、可愛らしい小さな箱を取り出した。包装紙と金色のリボンでラッピングしてあり、高級デパートで買ってきたような印象を受ける。男は年季の入った皺だらけの手で、そのプレゼントを朱志香に差し出す。彼の口元は付け髭(必要あるのか?)に隠れてあまり見えないが、歯を見せてニッカリ笑っているように思えた。
「あ、ありがとう。開けてみてもいいかな……?」
「今はよせ。自室に帰って枕元に置き、明日の朝、目が覚めてから確認するがよかろう。」
「う、うん。わかった……!」
朱志香は顔を紅潮させて、はにかみながら、こくこくと頷く。その仕草は、年齢不相応だけれど、年老いたサンタを満足させるに十分なものだった。……何年前になるだろうか。祖父からクリスマスプレゼントに大きなぬいぐるみを貰った時も、朱志香は今と同じように照れ笑いを見せていた……。男は朱志香の頭をワシワシ撫でると、くぐもった笑い声を聞かせながら廊下の闇に消えていった。
明くる朝、朱志香が小箱の包みを開けると、……そこには蝶の形を模したブローチが。金色に光るそのブローチは、キュートと形容するよりも、むしろエレガント。どことなく高級感を漂わせており、ちょっと大人びたい年頃の朱志香にはいいアイテムだ。
「あ、素敵……。」
朱志香はさっそくブローチを着けて朝食の場に現れた。自分の席に座ると、左隣で新聞を読んでいる蔵臼に、似合うかな、と尋ねてみる。
「そんなこといってさー、どうせ麻音だって彼氏いるんだろー? うぜーぜ!」
口を尖らせながら朱志香が手元にあるクッションを投げつける。麻音は飛んでくるクッションをひょいひょいと避けながら大きく溜め息を吐いた。
「いやいや彼氏いたらイブの日のシフトなんか入りませんよー。今日明日にシフト入ってる子は、みんな独り身ですねえ。」
「勤務シフトは源次さんが決めるんだろ? 彼氏とデートだからシフト変えてくださ〜いとか、出来るのかよ?」
「源次さまって意外とそういうのに融通きかせてくれるんですよ。そうだなあ。休憩中にお菓子作りを教えて下さったりもしますし、ああ見えて若い子に人気なんですよー?」
「へー……。源次さんっていつも寡黙で、祖父さまの隣にずっしり控えてるってイメージだけど、そんな一面があるのなー。」
そういう公私の使い分けられる人って素敵ですよねえ、と麻音は床に散乱したクッションをぎゅっと抱きながら、何かに耽っているようだった。
「でも、そんなクリスマスにシフト入るなんてなんか癪じゃねーか? 私だったら、見栄張って休み貰っちゃいそうだぜ。」
「休暇取得して遊びに行ったって、どうせアベックばっかりですよ。……それに、右代宮家のクリスマスディナーは郷田さん担当じゃないですか。料理も普段以上に豪華だし。まかないも期待できるかなあ、って。」
郷田は昨年から雇用している右代宮家専属の料理人だ。以前はホテルシェフだったらしく、その腕は確かなもの。右代宮家のクリスマス料理は昔から豪華ではあったが、昨年のそれは高級ホテルにも劣らないようなフルコースだった。なるほど、使用人に振舞われるまかないも、また美味に違いない。
……郷田の担当したクリスマスディナーは予想通り豪華で素晴らしいものだった。もっとも朱志香は料理の蘊蓄などわからないが、郷田が何かを説明するたびに斜向かいで感嘆の声を上げる次期当主の姿を見て、それはそれは大層なものなのだろうなと思っていた。メインディッシュに出てきたチキンが美味かったなあ、とぽんぽんと腹をさすりながら自室へ戻ろうとする朱志香。夕食のあとも、しばらく食堂で歓談していたし、その後も客間でごろごろテレビを見ていたので、すっかり夜は更けている。もうすぐ日付が変わろうかという時間帯だ。朱志香は玄関ホールを足早に横切ろうとする。なぜなら、そこには不気味な肖像画が掲げられているからだ。……ベアトリーチェ。かつて右代宮金蔵に莫大な額の融資をしたと噂される“魔女”。恐らくは金蔵の気まぐれだろう。昨年よりその巨大な肖像画は屋敷の玄関に鎮座しているのである。もっと幼い頃に掲げられていたら間違いなくトラウマになってたな、と朱志香は苦笑する。……その時だった。
「……メリぃいいいぃいいい、クリスマスッ!!」
突然、後ろから声を掛けられ、朱志香は肩をビクッと震わせる。恐る恐る背後を振り返ると、そこには大きな人影。……赤い服に赤い帽子。大きな袋を引っ提げて、その顔には白いヒゲを蓄えている。……つまり、サンタクロースだ。いや、正確にはサンタクロースの格好をした男が立っていた。
「ふっふふふ! すまぬすまぬ、驚いたであろう。」
妙に背格好の大きなそのサンタはしわがれた声で話しかける。年老いてはいるが、少し厳つい印象の目つき。その辺りがちょっとサンタらしくない。朱志香は肩をすくめて、どうしたものかと考えあぐねる。
「えーっと。こんな夜中に何してるの? ……お祖父さま。」
「……む。お祖父さまとは何か。私はサンタクロースであるぞ。」
サンタと名乗る老人は少し気分を害したようで、不機嫌そうに答えた。それを見て朱志香は、ああ、そういうノリで続ければいいのね、と妙に納得した様子で謝罪の言葉を口にした。
「あー、ごめんごめんッ! 私のお祖父さまにちょっと似てたものだからさ。それにまさかサンタクロースに出会えるなんて思ってもみなかったし!」
「そうであろう、そうであろう! いやはや、最近のそなたは私の存在に疑いを持っているようであったからな。こうして、わざわざ姿を現したのであるわッ。」
「そ、そうなんだ。ごめんなさい、……だってその、実際に自分の目で見たことなかったから……。」
どうにもこのサンタは、自分の存在を認めて欲しいらしい。そういえば、さっきの客間で、サンタなんて本当にやって来たら住居不法侵入で通報ものだよなあ、などと馬鹿にした覚えがある。それが何故かこのサンタに伝わってしまい、こうして私の目の前で仁王立ちをしているわけだ。……私だってもう高校生だぜ。いいかげんサンタを信じる歳じゃないんだけどなあ。まあ、このお方はサンタに限らず、精霊だとか、亡霊だとか、そういうちょっとオカルトチックな存在を否定されるのを嫌う。ロマンチックと言えばそれまでだけどよ。私はこう見えて現実主義者だ。神に対する信仰心みたいなものさえほとんどない。そういう面では似てねえよなあ……。私と祖父さま。
「それでだ。そなたは今から自室に戻り、朝までぐっすり眠ることだろう。そして目を覚ましたとき、私と出会った奇跡を夢か幻かと勘違いされては困る。……というわけで、私からそなたに贈り物を用意した。」
サンタはごそごそと袋の中を漁り、可愛らしい小さな箱を取り出した。包装紙と金色のリボンでラッピングしてあり、高級デパートで買ってきたような印象を受ける。男は年季の入った皺だらけの手で、そのプレゼントを朱志香に差し出す。彼の口元は付け髭(必要あるのか?)に隠れてあまり見えないが、歯を見せてニッカリ笑っているように思えた。
「あ、ありがとう。開けてみてもいいかな……?」
「今はよせ。自室に帰って枕元に置き、明日の朝、目が覚めてから確認するがよかろう。」
「う、うん。わかった……!」
朱志香は顔を紅潮させて、はにかみながら、こくこくと頷く。その仕草は、年齢不相応だけれど、年老いたサンタを満足させるに十分なものだった。……何年前になるだろうか。祖父からクリスマスプレゼントに大きなぬいぐるみを貰った時も、朱志香は今と同じように照れ笑いを見せていた……。男は朱志香の頭をワシワシ撫でると、くぐもった笑い声を聞かせながら廊下の闇に消えていった。
明くる朝、朱志香が小箱の包みを開けると、……そこには蝶の形を模したブローチが。金色に光るそのブローチは、キュートと形容するよりも、むしろエレガント。どことなく高級感を漂わせており、ちょっと大人びたい年頃の朱志香にはいいアイテムだ。
「あ、素敵……。」
朱志香はさっそくブローチを着けて朝食の場に現れた。自分の席に座ると、左隣で新聞を読んでいる蔵臼に、似合うかな、と尋ねてみる。
作品名:サンタクロース幻想(前編) 作家名:Long28