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君が何かを企んでいても

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俺の恋人はいつの時代もたくましく生き抜き、

東洋の真珠と呼ばれるほど美しい。

彼には東洋と西洋、その他のありとあらゆる入り込んでくる混沌を

がぶ飲みする包容力がある。

全てが集まり、全てが去って行く事を許している

——それは、俺も例外ではないのだろうか…

   今日もイギリスはダイニングでアーコールのクェーカーチェアに腰掛け、紅茶を啜りながら雑誌に目を通す。ただ、彼がその素朴な曲げ木の背もたれに身体をあずけながら読んでいるのは愛読のタブロイド紙でも政経新聞でもない。
「恋人が喜ぶプレゼントTOP10」だの「”好き”と言わせるテクニック」といった、昔の彼なら鼻で嗤い飛ばしそうな浮ついた見出しの踊る数冊の雑誌を、なにやら熱心に読みいっているのだ。いつもはうるさくこだわりを持つ紅茶の香りも彼の脳を刺激せず、カップに手を伸ばす瞬間にコーヒーに取り替えたところで気付きもしなそうな執心ぶりである。
そう、チャンピオンズリーグの結果より、ページスリー・ガールの挑発的な姿態よりも、今イギリスにとってのトップトピックスは彼の恋人である香港のことなのだ。
   はじめ、「どうすれば恋人って喜んでくれるんだ」と神妙な面持ちでイギリスに相談を受けた彼の部下は、きっと明日から槍が降るに違いないと嘆いた。また彼がタブロイド紙などを購入する馴染みの売店の売り子は、真っ赤な顔をして胡散臭い恋愛哲学の載るおよそ彼には似合わない雑誌をレジに持って来たイギリスを見て、顔を真っ青にした。
あの女でも男でも抱ければ何でもいいし、二枚舌で皮肉屋のイギリスが恋愛云々で真面目に一喜一憂をしている様は周囲の人間を驚かせ、恐怖すら覚えさせるのに十分だったのだ。一方そんな周囲の心境など眼中にないイギリスは、今日も雑誌のコラムと自分の恋人の性格を照らし合わせている。しかし、どの記事も彼を納得させるものではなく、逆に頭を混乱させる種になるのであった。
イギリスの手に危なげに弄ばれるティーカップの中身はすっかり冷めてしまい、鮮紅の水色は濁りはじめていた。

   そうしてイギリスは一通り気になる記事を読み終えると、忌々しそうに頭を振って雑誌をテーブルに放り出し、冷たく渋味の増してしまった紅茶を取り替える為にキッチンへ向かった。
ケトルに湯をたっぷり沸かし、お気に入りの紅茶店が出した季節のフレーバーティの缶に手をかける。ティースプーンで梃子を利用して缶のふたを開けると、シナモンやクローブのスパイシーで甘い香りが鼻孔を駆け抜け、瞬間イギリスを恍惚へと導く。ラベルには“クリスマスティー”と金のイタリックタイプの文字が主張していた。ミルクを温めながら、白磁のぷっくりとしたティーポットのなかでジャンピングしている茶葉が次第に落ち着いていくのを想像すると、少しずつ彼のモヤモヤとした気分も静かに沈んでいくような心持ちがした。
紅茶をいれている時間だけはイギリスを無心にさせてくれ、下世話な雑誌の恋愛指南も茫洋なる不安も彼の中から形を潜めた。

   そもそも彼が何故こんな風に年甲斐もなく恋に悩むハメになったのか。こんなに彼を悩ませる恋人は一体何者なのか。
   彼と恋人になった香港は、英国からはるか離れた亜細亜の東に位置する世界五大都市のひとつである。二人の付き合い自体はそれなりに長く、イギリスが大英帝国と呼ばれていた時代からかれこれ一世紀以上の時間を共に過ごしている。晴れて恋人同士になるまで時間がかかったのは、それまでの歴史や政治・経済の事情に加えて、なかなか自分の気持ちに素直にならないイギリスとマイペースな香港の二人だったからだろう。
   長い時間を経てようやく恋人になった香港の為に、イギリスも彼なりに“恋人”を頑張ってきたつもりだ。しかし、その態度が気持ちと裏腹の天の邪鬼になってしまうことがある点を差し引いても、イギリスのアプローチは香港に届いているのか解らないことが多かった。次第に彼は、ときどき本当に香港が自分のことを好きでいてくれているかどうかさえ疑ってしまうようになる。
その暗澹とした気持ちの膨らみは、彼らを隔てる物理的な距離がさらに助長させたのだろう。だが、その暗く冷たい魔物に食いつぶされるほどにはイギリスも青いわけではなく、ほどほどに付き合えるぐらいの器量はある。イギリスと香港の恋人関係はこうして微妙なバランスのもとに保たれていた。
   少し濃いめにいれた先ほどのミルクティーにした紅茶を口に含むと、そのあたたかさと幸せな風味に少し気分が晴れる思いがした。
“クリスマス”などと言っても、お互い多忙なことは重々承知しているので、決してイギリスはイベントに浮かれたいわけではなかった。が、それでも彼は人並みに恋人のために何か努力したいと思ったのだ。

   二杯目のミルクティーをカップに注ぎ、仕事の資料に目を通そうとしたその行動は、一本の電話によって遮られた。受話器の向こうから聞こえてきた声の主は、名前を訊かなくてもわかる。
「どうしたんだよ、香港。おまえから掛けてくるなんて珍しいな。」
イギリスは努めて落ち着いた声を出そうとしたが、胸は驚きと嬉しさで早鐘を打つのをやめない。
「別に…たまにはいいじゃん。でもメールは俺の方が送ること多いし?お互い様的な。」
イギリスもいい加減にメール慣れてよ、と少し不満気に続けられて、うっと言葉を詰まらせた。努力はしているのだが、如何せんまだケータイ電話でのメールには特に不慣れで、タイプミスもよくしてしまうし、格好のつく文面を送るのに四苦八苦してしまうのだ。
香港はそんなイギリスの苦労も知ってか知らずか、だっせーなんて悪態を返してくる。イギリスはそんな恋人の笑い声に心の中で言い訳をしながらも、耳がくすぐったいのを感じる。
  ふと、壁に掛けた時計に目をやると、針はもう昼前を指していた。が、亜細亜はもうとっくに陽が暮れてしまっているのか、と彼の頭は自然に時差を計算してしまう。時差でも俺は彼を追い掛けなくてはならないらしいなどと、自嘲にもならない女々しさが途端にイギリスの心を揺らした。
——俺はいったい何を焦っているんだ。

   こんな自分の情けない様子を恋人に悟られまいとイギリスは新しい話題を振った。
「そういえば、もうバースのクリスマスマーケットとっくに始まってんぞ。早く行かなきゃ終わっちまうからな。香港、その…おまえもうちゃんとこっち来る飛行機のチケット取れてるのか?久しぶりだし、シーズンだからな。しっかりしろよ!」
「あー…それさ、sorry……ぶっちゃけ、無理だったって言ったら怒る?」
「えっ…?」
——ああ、目の前が真っ暗になると言う言葉があるけど、なるほどこういう時に遣うのか。
たしかに自分の手元に存在している白磁のカップも、お気に入りの椅子も、イギリスの意識からすうっと遠ざかってゆく。開いているはずの目に映らない。ちょうど口をつけていた、まだあたたかいはずのミルクティーからは熱が消えた。

「ガチでごめん。旅行会社の奴がマジ最悪でダブルブッキングみたいな?俺もずっと会議とか立て込んでたから色々余裕なかったし、他の便も探してみたけどやっぱ来週とかどこも席空いてないしで、もうほんと最悪。」