【静帝】 SNF 第四章
ともあれ、順調に片付いてくれたお陰で、外回りから早く会社に戻れたトムは、「時間も余った事だし、まぁ〜話くらいは聞いてやっから…」と慰めの言葉をかけてやり、しょげ返った後輩を伴って、人払いした休憩室にだらりと腰を落ち着けた。
静雄はしばらく黙り込んでじっと俯いていたが、やがて話す気になったのか、トムの用意してやった飲料水で口を湿らせてから、ぽつりぽつりと昨夜の出来事を口重に語りだした。
夜分遅くに愛し子の元へと赴いてしまった事。あの子は嫌な顔一つせずに歓迎してくれた事。幸せ過ぎて喪失の恐怖にふと駆られ、思わず華奢な身体を膝に乗せて両腕の中に囲ってしまった事。
それから…とめどなく溢れる愛情を伝えたくて、あの子に希(こいねが)ってその甘やかな唇にそっと触れた事……。
それを聞いた瞬間、過ぎった痛みを隠蔽する様に、一刹那だけトムの顔から全ての感情が消失した。けれど、己の葛藤だけで一杯一杯だった男は、その翳りに気付くことなく、沈んだ声で言い難そうに話を続けた。
ただ触れ合わせただけの淡い口づけに、あの子は含羞みながら「…初めてのキス、静雄さんとしちゃった」と、わざとおどけた口調で茶目を言って、照れ隠しに「えへへ」と笑って見せたという。
可愛らしい言葉を紡がれて、すっかり舞い上がってしまった男は、普段だったら恥ずかし過ぎて絶対に口に出来ないような気障なセリフも、雰囲気に酔っていたその時ばかりはサラリと言ってのけられた。
「二度目も、三度目も…ずっと、オレだけにしとけ…」
低めの囁きを小さなキスと共にあの子の耳元にそっと落として、男は啄むだけの軽い接吻を、告げたとおり幾度も愛らしいその唇に贈った。
恍惚とした表情で男のキスを受け止める子供の色香に煽られて、情欲を抑え切れなくなった男は、本能に突き動かされるまま、少しずつ…口づけを深いものへと変えていった。
薄く開かれた唇の隙間からそっと舌を差し込めば、びくりと身体を震わせて瞠目したものの、子供は潤んだ瞳をすぐに瞑って承諾の意を男に示し、拒むことなく侵入してきた男の舌を迎え入れた。
息継ぎの仕方を教え、角度を変えて執拗に子供の口内を味わい尽くす。
喉頭深くに潜り込みねっとりと舌を絡めてきた男に、つたないながらも懸命に応えようと小さな舌を差し出す子供の、色好い反応が嬉しくて…男は「つい有頂天になってしまった」のだと自嘲した。
ぴちゃりと舌を絡ませあう淫靡な水音が、静かな部屋の中に秘めやかに響く。少し鼻にかかった甘やかな嬌声が、あえかに熱い吐息に溶け合って、男の官能を刺激した。
このまま先に進めてもイイんじゃないだろうか。つか…雰囲気に乗じて今ならイケる気がする!
そんな確かな手応えを子供の感じ入った様子に見て取り、男は名残惜しく思いつつも、重ね合わせていた唇を一旦離して、腕の中でくたっと身体を弛緩させている子供の顔を、爛々と期待に満ちた双眸で覗き込んだ。
子供は息も絶え絶えに浅い呼吸を繰り返しながら、欲情した男に向かってこう言ったそうだ。
「た…たばこの味、は、ちょっと、苦手かも…です」
困ったように眉をへにゃりと曇らせ、半べそをかきながら子供は小さな舌をチロリと出したのだと、声を詰まらせながら昨夜の仔細を語り終えた男は、力尽きたようにがっくり肩を落として項垂れた。
(ぶっ…実にあっぱれなムードぶち壊し攻撃だ!いやぁ〜ホント、神業的な天然っぷりを披露してくれる子だゎ。純真無垢にして素敵に無敵な、我等が愛すべき“お子様”は…。)
キスの余韻に甘く酔い痴れながら、潤んだ瞳で見詰められたいと思うのが、男心というもの。
そんな、まさかのしょっぱい理由で涙ぐまれても、濃厚なキスを仕掛けた男の方が、逆に切なさで涙ぐんでしまいそうな痛ましさだ。
けれど…軽くトラウマ級のダメージを食らってめげてる静雄には気の毒だが、どうにも苦笑が禁じえなくて困る。
延々と「…おめぇ、実はただ単にノロケたいだけとは言わねぇよなぁ〜っ?」な艶話を聞かされ続けて少々辟易していた後なだけに、あの子の純潔が守られたとの結末は、いたくトムを喜ばせた。
静雄の恋を応援すると決めた時、トムの心奥にともっていた仄かな灯りは、恋慕に色を纏うことなく慈愛のそれへと形を変えた。
二人がうまくいけば良いと願っていたのは本当。二人が幸せそうに寄り添ってる姿を、傍で眺めていられるだけで満足なのも本当。それでも――せめて、もう少しだけ…あの子には清らかなままで居て欲しいと、心のどこかに未練を残しているのも本当だった…。
あの後、静雄はトムに「もう金輪際たばこは吸わねぇっス!」と、きっぱり断ち切る意思を宣言した。
そこらの、ワイルドさが売りの肉食系ホストなら、「大人のキスは煙草の味がするものさ」位の、気障なセリフの一つも吐いて、馴染ませる方向に持って行きそうなものだが…そこで禁煙に走るところが、いかにも生真面目で実直な静雄らしいと、トムは思い出し笑いをほろ苦く零した。
『だ、大丈夫です。小さい頃苦手だったピーマンも、今は大好きになりましたから!』
だから…きっとその内、たばこの味も慣れると思うんです!と、まるで「慣れるまで沢山キスして下さい」と、暗に誘ってるとも受け取れる際どい発言をブチかまして、あの子は“お預け”を食らって落胆していた男に、そうとも知らず更なる追い打ちを掛けてくれたそうだ。
(初キッスはレモン味…とまでは言わないが、サカってがっついた挙句の果てが、“ピーマンの克服話”に繋げられちまったんじゃあ、素敵な思い出を作ってやるどころじゃねえわな。くっくっ…。)
そりゃあ、恋人思いのベタ惚れ男としては、躍起になって禁煙に励むしかないだろう。この先、キスする度にピ−マンを想起されたのでは、余りにもわびし過ぎるし…何よりムードもへったくれも無い!
まぁ、あの子の大切なファーストキスを、欲張ってべろチュウまで致して台無しにしてくれやがった不埒者には、我慢を覚えさせる意味でも、今回の失敗はいい教訓になった事だろう。
何しろ、意図的でないだけに性質(たち)が悪い、あの子の“思わせ振り”な言動にスケベ心を刺激され、もよおした劣情の赴くままうっかり手を出そうものなら…確実に、悪意なき天然かわし攻撃を再度見舞われることは必至だ。
如何な堪え性のない静雄とて、記念すべき初キッスでしでかした失態を二度も演じたくなければ、なけなしの理性を総動員してでも、次に求愛する時は慎重な態度で臨まざるを得まい。
ともあれ――恋愛ステップの最初の一歩でつまづき、あの子の天然っぷりに手痛い“洗礼”を受けたことが余程堪えたのか、辛抱の利かなかった短気な男は、奇特にも我慢する事を覚えた。
初々しい逢瀬の日々を重ねる中で、あの子に理性を試され続けて忍耐力を培ったお陰で、最近では仕事中にキレて暴れる回数も減っている。(しかも、それなりに手心を加えてやってる様子まで窺えるとは…人間、成長すればするモンだ。)
『怪我の功名』のたとえ有り。何がきっかけで転機が訪れるか分からないからこそ、人生ってやつは面白い。
(いい子と巡り合えて良かったな、静雄。…大事にしてやれよ?)
作品名:【静帝】 SNF 第四章 作家名:KON