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釣り人日記・余話

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猫、もといそのネコボルトは明らかに呆れた様相だった。以前よりやや裕福そうな衣服を身に纏っている。位置的に交易の要所たりうる事もあるのだろう、あの頃よりやや開発が進んだ港湾施設と以前には影も形も無かった建物が海の果てより舞い戻ってきた男を出迎えた。
こうも変容してはあの少年はどうしているのやらと思ったが、ネコボルトの話によると島の裏側、要するに彼が過ごしていた付近は立ち入り規制が敷かれており、オベル管轄下にしては厳しく禁を破った物にはそう安くもない罰金刑と商権停止の重い処分が下されているという事だった。
唯一の例外が、目の前のネコボルトだ。この島の開発がこれ以上進むことは無いだろうと彼は言った。立地的に優良であるにもかかわらず、オベルの王は港湾整備と時折訪れる人々の為の宿泊設備、そしてチープーという名のネコボルトが店の整備をする以上の事は決して許していないという事だった。
「よくもまあまたここまで来られたもんだねぇ」
「出ていく時は何とも無かったが」
「あの時は、特別。彼……の、願いだったから、見逃したんだよ。みーんな」
そういう事だったのか、と男は納得した。確かに衣類や少々伸びた髪型などは違えど、髭は剃っていたし知るものがいれば顔を覗き込まれれば正体など一発でばれていただろう。だが確かにあの日、この島を出てクールークと呼ばれる土地に至るまでの間、彼は決して誰にも見とがめられず、それらしい役人や警備の者達は完全に彼の偽名を信用し疑うこともなく彼を通過させていた。
確かにおかしいとは思っていたのだ。いくら群島が大らかな土地柄とはいえ、警戒心が緩いにもほどがある。その謎があれから年月が流れた今になってようやく解明されたという訳だ。
猫が呆れるほど、この島を目指す旅路は困難という訳でもなかった。彼が直接関わる事の無かったどうにもならぬ内部崩壊の果てにかつての故国は瓦解した。今となっては近しい身内もおらず、敬意を払っていた対象の人々はある者は既にこの世の住人ではなく、また最後に残った少女は自ら故国を消滅させる道を選んだ。
それもやむなしと彼自身も考えている。一介の軍人に過ぎなかった男は、だが表向き見えぬ場所、奥深い部分から故国がじわりじわりと崩壊して行きつつある事に早くから気づいていた。だが慣例という名の妄執に囚われたかの国では、ある意味実績しかない──人脈も人望も、年齢に見合った信頼というものにも恵まれていなかったトロイという男はただ指示されるがまま先の見えぬ果てを目指すしかなかったのだ。
そして故国で死んだものとされ、歪の生け簀から舞い戻った彼は、ただ黙ってかつて全てを捧げていた国が消滅するのをひっそりと見届けたのだった。
最後に一度だけ、生き残りの皇女に面会を求めた。大層驚いた彼女は、しかし彼を責めなかった。まるで崩壊してゆく故国に準じるかのごとく大海に滅したと思われていた男が存命だった、その事実を素直に喜び、そしてもう何にも囚われずどうか自由に生きてくれと彼女は言った。
僅かに惜しいと感じた。おそらく彼女は良き皇王となったことだろう。だがその才能は結局芽吹く事も無く、芽吹くべき場所自体が消滅してしまった。古き臣下として彼が最後にできたのは、今やだたの力なき娘となった彼女の先行きに幸多からんと願う事だけだった。

そして全てを見届けたトロイはこうしてこの名もない島に戻ってきた。今度は顔を入念に隠して、時には付け髭までつける念の入れようだった。あれからどれほど年月が経っただろうか、独り言のようにつぶやくと傍らの猫は二年だよ、とやはり独り言のように呟いた。


表港と違い全く人の手が加わっていない島の裏側、少年の暮らす小さな小屋はまるで時が止まったかのように変わらずそこにあった。だがよく見ると柱はささくれ、屋根にもいくぶんか補強の跡があり、ひっかかって乾いた海藻を滋養に苔やこまかな草がちらちらと生えていた。土地柄的に時折嵐や大雨、高潮は避けられぬからだろう。
あれ、ほとんどオレが直したんだよね、結構大変だったよと呟いて、猫はぴたりと足を止めた。あと一つ石段を下れば彼の住まいにたどり着くという場所だった。
「お前が直したのか?…一緒には行かないのか」
「もう、「彼」にはそういう事はできないから。……オレ、いない方がいいでしょ?戻ってるから、用が済んだら声かけてよね」
そう言うと、しっぽを左右に振りながらネコボルトは元来た道を辿り帰って行った。
確かに彼が側にいたところでうまく話せるとも思えなかった。心遣いに感謝しながら、そして内心どこかざわめく不安に気づかぬふりをしつつ、トロイは粗末な小屋に近づき扉代わりの日よけ布をまくり上げた。

「彼」は、そこにいた。
釣り道具が入り口に立てかけてある。手入れされている所を見ると、釣りはまだ続けているらしい。そして以前と明らかに違うのは、そう広くもない小屋の壁面一面に魚拓がびっしりと張り巡らされているという事だった。
そう丁寧にとったものでもないのだろう、インクが飛び散っていたり、輪郭もおぼろだったり、だが新しい魚が釣れるたびに形として残しているものらしかった。そして壁に貼る事もできない大量の魚拓が床はおろか作り付けの棚や寝台の上にまで散乱しており、その粗末な寝台の上にそれらを作り出した本人が膝を抱えて蹲っていた。
ばさり、と日よけのまくれ落ちる音に気づいたのか、魚拓に囲まれていた少年はのろのろと顔を上げた。相変わらず薄汚れて、髪も少し伸びたのか、だが小刀か何かで適当に切ったのだろうその毛先はあまり綺麗に整ってはいなかった。頬についている黒いものは、おそらくは魚拓を取った後のインクか何かだろう。ひょっとしたら入り口の釣り竿近くに置いてあった桶の中でまだにょろりと蠢いているタコのものかもしれないが。
ガラス玉のようにも思える蒼が瞬きも忘れたように見つめてくる。何か声をかけようとして、しかし口から出たのは実に間抜けな一言だった。
「……そこのタコは魚拓には取らんのか?」
「もう、取った。それは晩飯だ」
「そうか」
もう少しマシな言葉が出てこなかったのかと内心で自分を罵倒していると、少年はふらりと寝台から降り立った。さらに痩せたな、と感じた。贅肉はもとより、筋肉も落ちた感がある。今かつてのように剣を取り戦ったとしたら、五合ももたず彼の首をはね飛ばす事ができる気がする。この二年間、彼は釣り竿や料理包丁以外のものを手にした事があったのだろうか。
そのような事をつらつらと考えていたので、突然彼がべたりとへばりついてきた時咄嗟の反応ができなかった。慌てて肩を掴み、かつての記憶よりも一段と薄くなってしまったその感触にまたぎくりとする。狼狽を振り切るように強引に引きはがすと、少年は、
「なんで帰ってきた、トロイ。どうして戻ってきた。あんたは阿呆か」
「……私のことは覚えていたんだな」
「うん。そうだな、……覚えてた。覚えてたよ」
もうそれ以外のことはほとんどなくなっちゃったよ、そう呟いて、彼は瞬いた。大きな瞳いっぱいに貯まっていた滴がその拍子にぼろりと零れ流れて、薄汚れた彼の面に酷く目立つ筋をつけた。
作品名:釣り人日記・余話 作家名:滝井ルト