トウコも歩けばサブマスに当たる
ある夏の日。折しも地下鉄を走る列車がレールを這うように暗闇へと消え、マルチトレインのホームに生暖かい風が吹き、男たちのコートを翻した。
「うあー。天国から一変、地獄だー」
先程走り去った列車から先にホームに降り立った男は、白いコートの襟元で扇ぎ、喉を逸らしながら呻いた。空調管理の行き届いた車両の中と今とではそれほどまでの違いがあるらしい。
「クダリは白だらかまだマシです。わたしくを御覧なさい」
そう彼の後ろから声をかけた男は、視界に入れただけでも体感気温を確実に上げるであろう真っ黒な出で立ちをしていた。
「ノボリ……存在が熱い……」
「なっ。し、仕方がないでしょう! わたくしだって、出来る事なら不快指数を多少なりとも減らす努力を――」
「たとえば?」
クダリがネクタイを緩めつつ返す。その言葉に応えるより先に、ノボリは電車から降ろした鞄を持ちホームを移動し始めた。その後ろをゆっくりとクダリが付いていく。顔も体格もそっくりなせいか、それはゆらゆらと立ち上る陽炎の様にも見えた。
「そうですね……まずは、このコートを脱ぎます!」
「だよね! 夏にロングコートとか、エライ人なに考えてんの!?」
性格からか、正規の制服を真面目にかっちりと着込んでいるノボリの後ろで、既にクダリはコートを脱ぎ始めた。
「その後は……シャツを半袖に変えます!!!」
「キター!!! そうだよ、フツウに考えてそれだよ!」
ノボリは、ネクタイを緩めることにも抵抗があるらしく、時折首元に隙間を作り空気を送るも乱すことはしない。空気を送るだけ送るも逃げ道の狭い衣服のせいで、余計に暑さを倍増しているように見える。その後ろのクダリは既にYシャツの袖をまくっていた。熱さに負けただらしの無い恰好をしている。ふと振り向いたノボリが、ため息をこぼしながら呟いた。
「……クダリ……」
「だって、だって、こんなの死んじゃう!!!」
「お客様の手前、ウェストコートとは言いません。ここはジャケット……せめてコートを夏物の生地に変えて頂けないものでしょうか。……今度上に掛け合いましょう」
「うんうん。もう、これは、生命のキキ!!!」
生命の危機。まさにそうだと、ノボリは心の中で強く同意した。
彼らが住むイッシュ地方は、年々記録を取り始めた年より夏がその猛威を強めていた。 彼らが子どもの頃、気温が30度を超える日の方が珍しかったが、いまや下回る日の方が珍しい。どうやら本日も辛いことに、記録的な猛暑を更新したようだ。
「ねーノボリー」
間延びしたクダリの声に、ノボリは精気を吸われる感覚を覚えた。それを語気を強めて振り払う。
「なんですか!」
「あのね、海行きたい」
「急ですね。ですが、その意見には賛成です」
「ざぶーんて、入りたい。きっと気持ちいい! 海……青い海……青い空……青い瞳……」
波の幻聴を感じながら、クダリの連想ゲームを引き継いでノボリが言った。
「青い瞳……ですか。誘って……みたいものですね」
「じゃあ!」
嬉しそうなクダリの声が光輝く。
「しかし、残念ながら世間は夏休みです。これから益々挑戦者は増える一方……」
「うー。バトル好き……だけどもー休みたい! ホームもどこもかしこもキンキンに冷えちゃえばいいんだー!」
「お、おやめなさい、本当にキンキンに冷えたらどうするのですか、2年後くらいに! 2年後くらいに!」
物騒な事を口にするなとノボリがクダリを諌めるその後で、ふわりと茶色い髪の毛を揺らして少女が立ち止った。
「あれー? ノボリさんとクダリさんだー!」
その声に、二人の男は素早く反応し同時に瞳を輝かせた。
「トウコ!」
「トウコ様!!!」
双子の見事なハーモニーに笑顔で応える青い瞳の少女。その表情に二人はより一層の喜びに包まれた。
「えへへ、お久しぶりです。やー下界は暑いですね~」
手で扇いで僅かな風を作りながら、彼女は懐かしそうにホームを見渡しながら最後に二人へと視線を戻す。
「下界? なにそれ」
「最近、サブウェイの常連仲間の間で流行ってるんですよ。サブウェイは地下でしょ? だから下界」
「ほう。下界……ですか」
おかしな呼び方を考えつくものだと、彼らの発想にノボリが感心しているとその声にかぶせてよく似た声が重なった。
「では、差し詰め貴女様はこの地下に降り立った天女……と言ったところでしょうか?」
「え? ノボリ……さん?」
その声にトウコが体を向けると、表情筋が豊かで爽やかな笑顔が眩しい、黒いコートを着た人物が立っていた。その顔は表情こそ違えど、ノボリによく似ている。
「兄さん、天女は渋いよ。僕としては天使がいいかな。ね、トウコちゃん」
「クダリ……さん?」
ノボリに似た人物を兄と呼びながら近づいて来たのは白いコートを着たクダリにそっくりな人物。双子のそっくりさん大集合はなかなか壮観なものである。
「え? え? お二人がお二人!? ぶんれつ!? よつご!?」
腕を交差し指を指しながら目の前に集まった人物をトウコは記憶と照合し始める。
「落ち着いて、トウコ!」
「どのようにしてこちらの世界に?」
混乱している彼女を後ろから抱き締める様にクダリが抑えると、その姿を背中で隠すようにノボリが良く似た二人と対峙した。
「どのようにか……僕らもよく分かっていないんだけれど」
「ひとえに申し上げますならば、我々のトウコ様に対する愛……でしょうか」
「そ、その顔でそのような台詞は謹んで頂けませんか!」
自分によく似た相手が、恥ずかしげも無く言ってのけた歯の浮くような台詞にノボリは照れうろたえた。
「く、クダリさん……あの、あのお二人って?」
「説明、とっても難しい。彼らは別の世界のボクらだけど、ボクらじゃない。一番の違いは、ボクらには君がいるけど、彼らには君がいない」
「え? え?」
捲くられたシャツから伸びるクダリの二本の腕の中で、すっぽりと包まれたトウコはなおも混乱し続けた。しかし幾らかの余裕はあるようで、時折頬に当たるクダリの生腕のたくましさに見とれてもいた。
「クダリ、ずるいよ。そろそろ僕と変わって。ねぇ、トウコちゃん、僕らと一緒にヒウンアイス食べにいかないかい?」
いつの間にかノボリの壁をすり抜けて、クダリとトウコの前にはもう一人のクダリが立っていた。
「だ、だめだめだめー。久々に会えたの! トウコはボクらとこれから遊ぶの!」
「なんだよ、君たちは今じゃなくたってトレインの中ででも会えるだろ?」
「だめったらだめなの!」
トウコを挟んで白い方が言い争っている前方で、黒い方も一歩も引かずに、静かに言い争っていた。
「うあー。天国から一変、地獄だー」
先程走り去った列車から先にホームに降り立った男は、白いコートの襟元で扇ぎ、喉を逸らしながら呻いた。空調管理の行き届いた車両の中と今とではそれほどまでの違いがあるらしい。
「クダリは白だらかまだマシです。わたしくを御覧なさい」
そう彼の後ろから声をかけた男は、視界に入れただけでも体感気温を確実に上げるであろう真っ黒な出で立ちをしていた。
「ノボリ……存在が熱い……」
「なっ。し、仕方がないでしょう! わたくしだって、出来る事なら不快指数を多少なりとも減らす努力を――」
「たとえば?」
クダリがネクタイを緩めつつ返す。その言葉に応えるより先に、ノボリは電車から降ろした鞄を持ちホームを移動し始めた。その後ろをゆっくりとクダリが付いていく。顔も体格もそっくりなせいか、それはゆらゆらと立ち上る陽炎の様にも見えた。
「そうですね……まずは、このコートを脱ぎます!」
「だよね! 夏にロングコートとか、エライ人なに考えてんの!?」
性格からか、正規の制服を真面目にかっちりと着込んでいるノボリの後ろで、既にクダリはコートを脱ぎ始めた。
「その後は……シャツを半袖に変えます!!!」
「キター!!! そうだよ、フツウに考えてそれだよ!」
ノボリは、ネクタイを緩めることにも抵抗があるらしく、時折首元に隙間を作り空気を送るも乱すことはしない。空気を送るだけ送るも逃げ道の狭い衣服のせいで、余計に暑さを倍増しているように見える。その後ろのクダリは既にYシャツの袖をまくっていた。熱さに負けただらしの無い恰好をしている。ふと振り向いたノボリが、ため息をこぼしながら呟いた。
「……クダリ……」
「だって、だって、こんなの死んじゃう!!!」
「お客様の手前、ウェストコートとは言いません。ここはジャケット……せめてコートを夏物の生地に変えて頂けないものでしょうか。……今度上に掛け合いましょう」
「うんうん。もう、これは、生命のキキ!!!」
生命の危機。まさにそうだと、ノボリは心の中で強く同意した。
彼らが住むイッシュ地方は、年々記録を取り始めた年より夏がその猛威を強めていた。 彼らが子どもの頃、気温が30度を超える日の方が珍しかったが、いまや下回る日の方が珍しい。どうやら本日も辛いことに、記録的な猛暑を更新したようだ。
「ねーノボリー」
間延びしたクダリの声に、ノボリは精気を吸われる感覚を覚えた。それを語気を強めて振り払う。
「なんですか!」
「あのね、海行きたい」
「急ですね。ですが、その意見には賛成です」
「ざぶーんて、入りたい。きっと気持ちいい! 海……青い海……青い空……青い瞳……」
波の幻聴を感じながら、クダリの連想ゲームを引き継いでノボリが言った。
「青い瞳……ですか。誘って……みたいものですね」
「じゃあ!」
嬉しそうなクダリの声が光輝く。
「しかし、残念ながら世間は夏休みです。これから益々挑戦者は増える一方……」
「うー。バトル好き……だけどもー休みたい! ホームもどこもかしこもキンキンに冷えちゃえばいいんだー!」
「お、おやめなさい、本当にキンキンに冷えたらどうするのですか、2年後くらいに! 2年後くらいに!」
物騒な事を口にするなとノボリがクダリを諌めるその後で、ふわりと茶色い髪の毛を揺らして少女が立ち止った。
「あれー? ノボリさんとクダリさんだー!」
その声に、二人の男は素早く反応し同時に瞳を輝かせた。
「トウコ!」
「トウコ様!!!」
双子の見事なハーモニーに笑顔で応える青い瞳の少女。その表情に二人はより一層の喜びに包まれた。
「えへへ、お久しぶりです。やー下界は暑いですね~」
手で扇いで僅かな風を作りながら、彼女は懐かしそうにホームを見渡しながら最後に二人へと視線を戻す。
「下界? なにそれ」
「最近、サブウェイの常連仲間の間で流行ってるんですよ。サブウェイは地下でしょ? だから下界」
「ほう。下界……ですか」
おかしな呼び方を考えつくものだと、彼らの発想にノボリが感心しているとその声にかぶせてよく似た声が重なった。
「では、差し詰め貴女様はこの地下に降り立った天女……と言ったところでしょうか?」
「え? ノボリ……さん?」
その声にトウコが体を向けると、表情筋が豊かで爽やかな笑顔が眩しい、黒いコートを着た人物が立っていた。その顔は表情こそ違えど、ノボリによく似ている。
「兄さん、天女は渋いよ。僕としては天使がいいかな。ね、トウコちゃん」
「クダリ……さん?」
ノボリに似た人物を兄と呼びながら近づいて来たのは白いコートを着たクダリにそっくりな人物。双子のそっくりさん大集合はなかなか壮観なものである。
「え? え? お二人がお二人!? ぶんれつ!? よつご!?」
腕を交差し指を指しながら目の前に集まった人物をトウコは記憶と照合し始める。
「落ち着いて、トウコ!」
「どのようにしてこちらの世界に?」
混乱している彼女を後ろから抱き締める様にクダリが抑えると、その姿を背中で隠すようにノボリが良く似た二人と対峙した。
「どのようにか……僕らもよく分かっていないんだけれど」
「ひとえに申し上げますならば、我々のトウコ様に対する愛……でしょうか」
「そ、その顔でそのような台詞は謹んで頂けませんか!」
自分によく似た相手が、恥ずかしげも無く言ってのけた歯の浮くような台詞にノボリは照れうろたえた。
「く、クダリさん……あの、あのお二人って?」
「説明、とっても難しい。彼らは別の世界のボクらだけど、ボクらじゃない。一番の違いは、ボクらには君がいるけど、彼らには君がいない」
「え? え?」
捲くられたシャツから伸びるクダリの二本の腕の中で、すっぽりと包まれたトウコはなおも混乱し続けた。しかし幾らかの余裕はあるようで、時折頬に当たるクダリの生腕のたくましさに見とれてもいた。
「クダリ、ずるいよ。そろそろ僕と変わって。ねぇ、トウコちゃん、僕らと一緒にヒウンアイス食べにいかないかい?」
いつの間にかノボリの壁をすり抜けて、クダリとトウコの前にはもう一人のクダリが立っていた。
「だ、だめだめだめー。久々に会えたの! トウコはボクらとこれから遊ぶの!」
「なんだよ、君たちは今じゃなくたってトレインの中ででも会えるだろ?」
「だめったらだめなの!」
トウコを挟んで白い方が言い争っている前方で、黒い方も一歩も引かずに、静かに言い争っていた。
作品名:トウコも歩けばサブマスに当たる 作家名:おかんの人