トウコも歩けばサブマスに当たる
「一目お会いしてからというもの、わたくし達の心はトウコ様の瞳に捉われているのです。そう、もうあちらの世界に戻れないほどに……。しかし、いつこの幸運が途切れるかはわたくしにもわかりません。そう、わたくし達は今日この一瞬が全てなのです。ノボリ、トウコ様との時間を譲って下さいませんか?」
「笑止。あの方はこの世界の、いいえ、わたくし達の美しき宝石。これまで手塩に育て磨いて来たトレーナーをいえ、女性をみすみす渡せるはずがありません」
夏の暑さで熱せられた空気が、男たちの嫉妬の炎でさらに温度を増していく。堪らずトウコはクダリたちの隙をついて腕から逃げだし、数歩下がってから壁際に背を預けた。
「ふー。えーっとちょ、えっと、これは一体なにがどうなってるの?」
何度目をこすっても見えている人物の数は変わらない。ほほを抓ることで夢である可能性を自ら否定し落胆した。
冷静に彼らの言葉を聞けば彼女を取り合っている図の他でもないのだが、彼女にそれが分かるだけの自覚も経験も無く、ただただ同じ顔が二対いる不可思議さに困惑していた。
その時、二つの影が柱の後ろで動いた。
「……あれ?」
トウコの視線に気づいたのか、慌てたようにその影は洋服の端を翻しながら去る。
「……白と……黒の……コート……?」
影が去った方向とは逆に目を向けると、まだ二組の双子が言い争っていた。
「まさかもう一組み……いやいや、そんな分けないか」
トウコは脳裏に浮かんだ可能性を散らすように手を振って、バッグからまだ冷たいおいしい水を取りだした。それをごくごくと喉を鳴らして飲み干し、口の端にこぼれた筋を手の甲で拭うと一息ついてから言葉を吐く。
「あぁ、夏だなぁ」
了
作品名:トウコも歩けばサブマスに当たる 作家名:おかんの人