サプリメント
そこに映っていたのは少年。
「―――私、か?こんなもの、一体、いつ……」
細い体には不似合いな大きさの銃器を手にして、ぞっとするような光を宿さない瞳を差し向けた先にはぼろぼろになって両膝をついた男。頭を垂れたその男の後頭部に少年は銃口を向けていた。
この後、男がどうなったのか。思い出さずとも、はっきりわかっていた。ぎゅっと歯を食いしばり、写真の少年……シャカ自身と綴られていた赤い文字が目に刻み付けた。
―――仔犬よ、死神はいつでもそばにいる。
ぐしゃりと写真を握りつぶした拳が震えた。拳だけではなく、全身へと波及していた。
「いつから……いや、ずっと……ずっと…張り付いていたのか……奴らは……」
呻くように絞り出した問いにアイオロスはゆるく首を振りながら、「それはどうかな」と声を落とした。
「これが届いたのは三日前。写っているのは最後の一枚を除いて割と最近のものだ。思うにおまえの居場所や、この男の身元がバレたのはごく最近なんじゃないかと思う。あ、ここの場所もな。ああ、心配するな。ちゃんと策は練ってあるからバッチリだ。この男にも一応、護衛つけておいたほうがいいとおまえのところの女神さまを通じて連絡はしてあるから」
「アイオロス……すまない」
「謝るなよ。それに、やめとけって言って引っ込むタマじゃないよな、おまえは。ひーふーみー…七年か?おまえがケルベロスから抜けて、そんだけ経っているのに。どんだけ、粘着だよな?いくら天才的な狙撃術持ってるからって、平和ボケしてるとか、近眼進んでたり、下手すりゃ老眼かもしれねーってのにな?」
陰気臭さを吹き飛ばす様にアイオロスは屈託のない笑顔で豪快に笑った。
「いや、老眼はないと思うが……」
少し心が和らいだところで掻き乱されていた心が平静に戻った。確かに奴らは脅迫という手段を取ってはいるが、今はまだその段階でしかないということは長くその世界で浸っていたから知り尽くしていた。
シャカが何処でどのように生活しているのか既にリサーチ済みではあってもそれ以上何かをしかけてくるわけではないのだ。上からの命令がない限り、ただじっとひたすら暗闇から静かに覗き見るだけでしかない。恐ろしいほどに優れた嗅覚を持っているケルベロスの中でも『鼻』と呼ばれる者たちの役目だ。彼らはくんくんと臭いを嗅ぎ回ることしか許されていない。
厄介な実働部隊である『牙』が出てきているわけではないのだ。『爪』はさまざまに画策して、敵と定めた政府や組織などの集団を時間をかけて切り刻み、貶め、瓦解させていく者たちだから、シャカのことで出張ってくることは恐らくないと考えられた。
「シャカ。『牙』の中のどの牙よりも鋭かったおまえなら、どうすれば一番手っ取り早く『取る』ことができるのか、わかるだろう?」
「R国で待ち伏せ、というところかね」
「まだまだ駆け出しのジャーナリストが一人消えたところでなんの騒ぎも起きないだろうからな、あそこでは。それでも行く理由ってなんだ?」
首をわずかに傾げて、それこそ犬のように好奇心の目で見つめるアイオロスに苦笑する。テーブルに出されたままの写真の中から、サガを選び出し、指さして話す。
「彼はサガ。そのサガの弟らしい人物がR国の……おそらく武装集団の一員にいると思われる。彼の足跡を辿って、直接会って話をしたい……もし、できるのならば彼をサガの元に連れて帰ってやりたいのだよ」
「サガってやつのためにそこまで危険なことをする必要などあるのか」
「いや……サガのためじゃない。私自身のためだ、アイオロス。きみの叔父さんが私を救ってくれたように、私が彼を救えたら……私はやっと本当の意味で人であれる気がするのだよ」
「そのためにおまえがまた囚われたら……意味がないんだぞ」
厳しい口調でアイオロスが諭す理由もわかっている。一瞬でも気を抜いてあの毒に触れてしまえば、あっという間に闇へと引き戻され、落ちていってしまうのだろう。そしてもう二度と這い上がることなどできない。
「これだけ言っても、決心は変わらないんだな。仕方ない、わかったよ。おまえは本当に頑固者だったな?みっちり叩き込んでやるから、しっかり勘を取り戻せ。俺にしてやれることはそれぐらいだ」
綺麗に食べ終わった食器を重ねて立ち上がったアイオロスに「よろしく頼む」と破顔を向けると、アイオロスは茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。
―――それから3週間。
宣言通りにみっちりと扱きに扱かれて、筋肉ばっきばき……にはならなかったけれども、アイオロス相手でも引けを取らないほど護身術のレベルもアップさせたし、最新の銃器の取り扱いも問題なく身に着けることができた。
ただ悲しいほどに狙撃の腕前は下がっていなかったのは写真を撮り続けていたのもあるのだろうと言い訳してみたが、アイオロスにはあっさりと「天性の腕さ」と却下されて少々凹んだ。
いよいよR国へと向かう日が迫った時、予め用意した新しいパスポートの写真と同じ長さになるように、長く伸ばしていた髪をばっさりと短く切り揃えた。サガの反応が怖いものだなと思いながら、自らその姿を写真に収めて、サガ宛てに短い挨拶とその写真を添付してメールを送った。帰ってきた時に、サガの反応を楽しみたいものだと思いながら。
携帯も、パソコンもカメラもいつも取材に持ち歩いていたものはバッグに綺麗に収めた。軽くなった頭とやけにすぅすぅする首元が落ち着かなくて、手近にあったスカーフを首に巻いて落ち着いた後、アイオロスが準備してくれた最小限必要なものを詰めたバッグと書類一式や通信機器、厳重に梱包された我が身を守る相棒たちを担ぎ上げる。
「必ず、戻ってくるから」
不器用に笑って見せる幼いシャカ自身の映る写真に向かってそう一言告げ、満足そうにシャカは笑顔を向けたあと、静かに扉を閉めた。
Fin.