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ありえねぇ 6話目 前編

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1.



 南池袋公園の入り口付近の木の陰に隠れ、セルティ・ストルルソンは怒っていた。そして焦っていた。
 なぜならば。

『……森厳、あの野郎……、一体何所へ?……』

 何時もなら、預かった荷物はネブラの日本支社に届けて終わりなのに、今日は直接の手渡しが依頼である。
 なのに奴の携帯に、何度メールを送っても返答がない。
 困り果て、今後の指示を仰ごうと臨也の携帯にメールを飛ばしたが、こっちは丸っきりの無視ときた。

『森厳の奴、本当に今東京に居るんだろうな? 私は、このままずっと2億円のサンプルを持ったまま、帝人を捜さなければならないのか!!』

 無くしたらあのガスマスクめは、絶対賠償責任を請求してくるだろう。となると、一生タダ働き、若しくは実験動物確定だ。20年前、日本で活動できる拠点を保証して貰う代わりに、船の中で全身解剖された事があったが、あの時のような気絶もできない切り裂かれる痛みと苦しみは、もう二度と味わいたくない。

『そもそもあいつ、これが本来の計画なのか?! くっそう!! 森厳、それと臨也、絶対殴る!!』

 早く帝人捜索にも加わりたい焦りと、自分はあの依頼主二人に騙されている可能性が高いと来れば、セルティのイライラも簡単にMAX頂点に達してしまう。
 だから誘惑に負けた。
 バイクに跨ったまま影の中に携帯を仕舞い、臨也から託されたアタッシュケースを膝に載せ、影を鍵穴に差し込んでこじ開けてしまったのだ。
 通常の彼女なら、運び屋を生業にしているプライドにかけ、預かった荷物を勝手に検めるなんて暴挙に出ない。
 でも、今回の荷がもし、何の価値もないガラクタなら?
 二人に嵌められたと確信でき、セルティはとっとと逃げる事ができる。
 逆に本当に高価で貴重な代物なら、責任持って届ければいいだけだ。

(そう、私は悪くない。あいつら二人に信用が全く無いのが悪いんだ。うん!!)

 日頃の行いって、本当に大事だなぁ……と、しみじみ感慨に耽りつつ、アタッシュケースの蓋を開けば、中は青いビロード織の布が敷き詰められており、丁度真ん中に同じ布で丁寧に包まれた品物が納められている。
 指の先端でそっと叩けば、コツコツとガラス瓶のような硬質な感触が確かに判る。それを両手で持ち上げてみると結構重い。大体、6~7キロぐらい?
 軽く振ってみれば、手にたぷんたぷんと溶液が揺れる気配もはっきり判る。

『うん、確かに標本っぽい。貴重なサンプルだって言ってたし』

 ここまでは依頼通り。
 でも、結局この中身が何なのか判らない。
 問題は、もしここで青い布を外し、何らかの光を当ててしまえば台無しになってしまう代物かもしれないって事だ。
 賠償金額は、くどいようだが2億円。
 流石に、確認の為にだってそんな無謀な賭けには出られない。
 でも、罠かもしれない!!

(むむむむむ。………はぁ)

 結局、理性が勝ってがっくりと肩を落とす。なんせセルティの身の破滅は、新羅も一蓮托生だ。恋人まで危険に巻き込む訳にはいかない。
 勿論、新羅が調子に乗るので、断固そんなデレ発言を教えてやるつもりはないが。

 アタッシュケースの蓋を閉め、右手首をぶんっと振って、影の中から再び携帯電話を取り出す。
 もうまだるっこしいメールは止めだ。時間が勿体無い。
 森厳の携帯に直で連絡を入れてみよう。
 自分はしゃべれないが、しつこく鳴らし続ければきっと、鬱陶しくなり何か反応を寄越すかもしれない。

 そう決心し、森厳の番号を呼び出して短縮ボタンを押す。
 その直後だった。

(なんだ!?)

 ぶわっと背中の産毛までが全部逆立つような悪寒が、全身を駆け巡った。
 自分はデュラハン、死を知らせる妖精。
 だから死を招く、同系統の気配は察知できるのだ。
 この圧倒的でねっとりかぐろい異様な気配は、身に覚えがありすぎだ。

『これは罪歌の子か? リッパーナイトの夜、静雄を襲った集団より数は少なそうだけど。……ああああ、もしかして!!』

 子供が集うのなら、母の命令があった筈。
ならば帝人を切った、妖刀の持ち主もいるかもしれない!!

(杏里ちゃん!! どうか、杏里ちゃんでいてくれ!!)

 罪歌の持ち主が変わる時、それは元の宿主の死を意味している。
 セルティは慌ててケースをバイクの後座席に括り付け、使い魔コシュダ・バワーが導くに任せ、スロット全開で駆け出した。


★☆★☆★


 同じ頃、南池袋公園に辿りついた矢霧波江は、近年稀に見る上機嫌だった。浮かれていた。
 颯爽とスプリングコートを翻し、今日を限りに二度と会わない、そう約束した元部下二人を引き連れ、意気揚々とハイヒールを鳴らしながら、園内に足を踏み入れる。

「ああ、あんた達は私が合図するまで、他人の振りしてその辺にいて」

 タバコを吸うなり缶コーヒーを飲むなり、公園での寛ぎ方は人それぞれだし、波江の元部下二人は、元々矢霧製薬で実験に使う人材集めを下請けに指示していた人攫いのベテランだ。怪しまれないように周囲に溶け込むなんて、楽勝だろう。

 遊具が乱立している広場を見回せば、奥まった木の陰のベンチに、彼女のターゲットはいた。
 何時もの軽そうな私服に、ピンクのハートマークの付いた白い帽子。そう、憎い張間美香が。
 憔悴した面持ちで、項垂れ、座り込むその姿を見た途端、彼女の要求が手に取るように判り、波江の心に巣食う憎悪の炎は、一気に燃え広がる。
 ツカツカと足早に傍に寄り、彼女の真正面に仁王立つ。

「単刀直入に言うけど、貴方に、誠司の子供を堕ろす費用なんて、渡す気はないから」

 喧嘩腰にならぬように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
 だが、正直怒鳴りつけたかった。嫌、できればこのまま殺してしまいたい。
 でも我慢だ。
 今はこの女を、何としてでも懐柔しなくてはならないのだから。

 俯いている美香の顔は、帽子と目を覆う前髪で見え辛かったが、頬にいくつも涙の痕があるし、浮腫んでいる。
 散々泣きはらしたのは明らかだ。
 この娘も、まだ16歳。
 世間の常識に照らし合わせても、避妊に失敗して身篭るには、早すぎる年齢だ。
 だが、波江には関係ない。
 自分の最愛の誠司を、顔だけで寝取った憎い女になど、何の情をかけろと言う?
 誠司に愛され散々良い思いをしてきた上、子供まで授かって妬ましい。
 絶対、自分には叶わないからこそ、憎い。

 コートの影でぎゅうぎゅうに握りこぶしを作り、でも顔は無表情を貫き、乱暴に音をたてて美香の隣に座る。

「誠司は子供の事を知っているの?」
 美香は無言で俯いたまま、ふるふると首を横に振る。
「今、何ヶ月なの?」
「……3……」
 
 全く忌々しい、汚らわしい。よくも誠司を汚しやがって、この馬鹿女!!
 本当にぶつけたい言葉はぐぐっと飲み込み、波江は大きく息を吐く。

「そう。横浜に、矢霧家の別宅があるの。東京から近いし、使用人のまとめ役の女中は古参で忠誠心も厚い。貴方は其処で赤ちゃんを産むといいわ。車ももう準備してある。身一つでいいから来なさい」

 勿論、浚って連れて行く場所は別だ。