ありえねぇ 6話目 前編
別荘があるのは本当だけど、自分自身もネブラからセルティの首を盗み出し、追われて困って臨也に匿って貰っている身。
連れて行ける訳がない。
目星として、臨也が使っていない新宿の隠れ家の一つをキープしておいた。
奴は一ヶ月ぐらい帰って来ないっていうし、それだけ期間があれば、次の潜伏先を考えるまで時間もあるだろう。
「さ、とりあえず行くわよ。夜風はお腹に悪いわ」
立ち上がり、美香の腕を取って引っ張るが、彼女は銅像のように固まって、動く気配もない。
仕方なく、少し離れた場所で缶コーヒーを飲んでいた部下二人に目で合図を送り、呼び寄せる。
「この子を車に運んで頂戴。傷一つつけないように」
大事なのは子供だけだけど、産んで貰うまでは大切な母体だ。美香が男に姫抱きされたのを見届け、波江は踵を返し、引率して公園の外へと向かう……、筈だった。
部下達に背を向けた瞬間、足を払われた。
(え?)
スプリングコートのポケットに、両手を突っ込んでいたのも徒となった。
バランスを崩しても、手をつく事もできず、無様にも横倒しになって地面に転がった。
少し湿った土が頬にあたり、気色悪い。したたか打ちつけた為、全身もズキズキ痛い。
慌てて起き上がろうとして身を捩ったが、そんな自分の肩を掴み、再び地面に押さえつけられる。
裏切り者は、波江が脅して連れてきたもう一人の元部下だった。
「何なの? あんた、私に一体何を!?」
「はい、そのままそのまま♪ 今からとーっても面白いショー・タイムの始まりだからさ♪♪ お姉さん、お代なんて無粋なモン、全く要らないからさぁ、特等席で見てってよ♪」
テンションが高い軽薄な声にぎょっとして顔を上げれば、そこには来良学園の制服をだらしなく着崩し、蛇みたいににまにまと嫌な笑みを浮かべた背の低い少年が、片手をポケットに突っ込んだまま見下ろしていた。
見覚えはあった。
彼は確か、黄巾賊のトップ。
ファイルを整理整頓した時に読んだ覚えがある。
折原臨也が過去、遊びで彼とブルースクエアの闘争に介入し、どっぷり信用させ、参謀または良き助言者として、彼が臨也に依存するぐらい信頼させておきながら、最後の最後で裏切って、絶望に震える姿を大笑いで高みの見物をした挙句、反応が予想通りでつまらなかったとゴミのように捨ててしまった少年だ。
しかも、竜ヶ峰帝人の幼馴染で、現ルームメイト。
嫌な予感がした。
いつの間にか紀田正臣の真裏にも、黄色い布を体の何所かに巻きつけた沢山の少年達がいて囲まれていた。
逃げ場はないかと周囲を見回すと、彼らの中に二人の少年が両脇を抱え、無理やり立たせている、ぼろぼろの来良の制服姿で表情の無い者がいて。
それは、波江の命より大事な愛する弟だった。
「誠司? 誠司!! これは一体どういう事? その姿……!! 誰が貴方にそんな怪我を!! 離しなさい!! お前、私を離しなさい!! 誠司!! 誠司!! 待ってて!! 直ぐに姉さんがそいつら絶対殺してあげるから!!」
「だってさ。なぁ、どうする? お・ま・え?」
紀田が、馴れ馴れしくも傷だらけの誠司の肩にポンと手を置く。
尋ねた彼に対する矢霧誠司の無言の返答は、まるで悪夢のようだった。
「どうして? どうして? 誠司ぃぃぃぃ!!」
最愛の弟が、無表情のまま波江を見下ろし、彼女の背に強力な蹴りを入れた。
★☆★☆★
同日18時半。
遊馬崎はいつもの黒いリュックサックを背負い、携帯メールを覗き込んでいた。
「えーっと、渡草さんの車は今……、おおっ♪ 南池袋公園脇♪……」
皆がわざわざ迎えに来てくれた嬉しさに、足取りもとっても軽い。
手短に『今からそっち向かいます』と渡草へメール送り、足早に横断歩道を横切る。
彼は今まで、TVの番組打ち合わせで別行動だったのだ。
元々、遊馬崎は特異な技能で、誰にもマネできない独特の仕事をこなしていると自負している。それは、趣味丸出しな、萌えキャラのリアルな氷彫刻の作成だ。
素材が素材なだけに、溶けてしまえば何も形にならない儚き芸術。
そんな物珍しさが好評で、しかも今は空前絶後のアニメブーム。
時代に乗っかったのか、この頃は週1、2回ペースで途切れる事なくイベントの飾り用に注文が来る。
しかし、今回は遊馬崎ウォーカーの強烈なオタクキャラが面白がられ、何とお笑いタレントのようなポジションで、深夜に放送されるアニメ紹介番組のゲストコメンテイターの仕事を貰ってしまったのだ。
一クール三ヶ月間。毎週金曜日の30分番組で合計12回もだ。しかも、もし評判が良ければ延長もありえるという。
今彼はフリーの立場で仕事をこなしているけれど、番組のレギュラーが今後も続くのなら、何所かプロダクションへ所属し、マネージメントして貰った方がいいかもしれない。
「でも、第一回のメインはリトルバスターズのキャラですか。ああ、賢狼ホロとかシャナは、もう時代遅れなんすかねー」
どんな萌えキャラでも、愛す自信は勿論あるけれど、誰だって贔屓キャラはいるだろう。
能美クドリャクカや鈴も可愛いが、やっぱり自分の嫁はホロが良い。去年の春、狩沢と一緒にアニメイトから強奪した彼女の等身大立て看板は、今でも遊馬崎の寝室にどどーんと飾られている。
そう言えば、その立て看板を渡草のバンに積み込む時に、遊馬崎は竜ヶ峰帝人と初めて出会ったのだ。
紀田の影に隠れてペコりと頭を下げる、純朴そうで平凡な田舎丸出しの可愛い少年。
接点は殆どなく、知り合い程度の認識しか無かったけれど、紀田がルームメイトに招き入れ、無茶苦茶その幼馴染を大切にしていたと言う話は聞いている。
なのに今、意識不明の重態だ。
紀田は大丈夫なのだろうか?
ここで常人ならば「心配する人間が違う!!」と、突っ込みを入れるかもしれないが、己もかなり歪んでいる自覚があり、門田と仲間達に依存し、やっと正常(?)な心を保っている、そんな自分だから判ったのだが、紀田も幼馴染の世話を過保護に焼く事で、心の均衡を保っていた節があった。
昨年の沙紀に引き続き、もし帝人がこのまま亡くなるような事になれば?
想像するだけで恐ろしい。
この池袋に、復讐の殺人鬼が生まれてしまうかもしれない。
門田が、竜ヶ峰が目覚めたら、皆で見舞いに行こうなと言っていたけれど、果たしてそんな日が来るのだろうか?
「いやいや。紀田君が自暴自棄にならない内に、早く意識が回復して欲しいっす。ホント切実に思うっす」
暗く面倒くさい思考を明るい声で打ち消し、とっとと皆に混ざろうと、公園を突っ切る為小走りに駆け出す。
そんな、ダッシュを決めて直の時。
「いやぁぁぁぁぁ!! 酷い!! 何するの!! 誠司!! 誠司!! せいじぃぃぃぃ!!」
絹が裂けるような甲高い若い女の叫び声が辺りを埋め尽くし、遊馬崎の弾みのついた足を止める。
この声を無視できるのなら、彼はきっと、オタクの聖書『電車男』の本に土下座して謝らなければならない。
作品名:ありえねぇ 6話目 前編 作家名:みかる