紅月の涙
既にその時点で穏やかな話ではない。
兄弟仲が決して悪くは見えない彼等の間に、血の繋がりが一切無かったとは思えなかった。
驚きを隠せないアッシュを尻目に、リィエルは弟の支えを借りてゆっくりと立ち上がりながらぽつりぽつりと話し出した。
「僕たち吸血鬼には、仲間を生み出す力が在る。相手の意思の有無に関わらずね。それは君たちも知るところだろう」
「まあ、多少なりとは…」
「その中でも、複数の手段があるんだ。その内の一つは獲物自身の身体を吸血鬼として生まれ変わらせる事。これがちょっと誤解されてるけど誰でも知ってる、血を吸うと同時に自分の血を分け与える通常のやり方」
「………血を吸われただけで吸血鬼になるという誤解が生じがちだが、……血を吸うだけでは、特にその身体に影響はない。失われた血の大半が俺たちの血で補われた時、契約は成る。……つまりは血を吸い尽くして見殺しにする事も出来れば、吸血鬼として延命する事も出来るという事だ」
ギルディもリィエルに助け船を出す様に、ぽつりぽつりと言葉少なながらに言葉を付加していく。
アッシュもスマイルもユーリに血を分け与えた事がない訳ではない。特に身体に影響を感じなかったのは、そういった理由があったからなのだとアッシュは一人頷く。
「それからもう一つは、他者の身体を贄にして蘇生させる事。この方法であれば死人相手でも通用する。その贄となる者が蘇生対象と近しければ近しい程に、生まれた吸血鬼の力は大きくなる」
「……代わりに、目の当たりにした訳でもない、贄となった存在が命を奪われる瞬間が生前の記憶として刻まれる事になる……、……禁忌を犯した代償は、望もうが望むまいが、生まれた吸血鬼が背負う事になる」
「そんなおぞましい、事が…」
「嘘みたいに聞こえるかもしれないけど、僕とギルは前者、兄さんとユーリは後者。僕たちは望むべくして吸血鬼になったけど、兄さんとユーリはそうじゃない」
「そんなっ…!」
ユーリの存在は、本人が望まずとも人の犠牲の上に成り立っている。これが驚かずにいられるだろうか。
そんな不条理な事があって良いのだろうか。いや、だからこそ禁忌と呼ばれる手段なのだろう。
ただ驚く事しか出来ないアッシュを置き去りに、二人の話は続く。
「……俺とエルは、生前からの知り合いだ。……親を持たない孤児だった俺たちは…スラム街で出会い、戦争の中を二人で生き抜いていた…」
「貧しかったけど、幸せだったよ。でもその幸せも長くは続かなかった。ギルが僕を庇って、流れ弾に被弾したんだ。当たったのはお腹だったけど、僕たちは子供だったし病院にも行けないから、あっと言う間にギルは弱って行って…ただ僕は無力にも泣き叫ぶ事しか出来なかった…」
そこで一度言葉を切り、リィエルは目を悲しげに細める。
彼らが吸血鬼へと身を窶(やつ)す切っ掛けになったそれは、想像するだけで痛ましい。唯一の支えだった幼い命が摘まれようとしているその瞬間は、リィエルに癒えない傷となって今も影を落としているのだろう。
「…その時だった、兄さんと出会ったのは。兄さんは僕じゃなく、まずギルに問い掛けた」
「……あの時の言葉は…はっきり覚えている。『お前は、このまま人間として死にたいか。それとも、不浄の者に成り下がってでも生き永らえたいか』…と…」
当時の二人はは藁にも縋る思いだったのだろう。考えている暇などなく、ギルディは選択した筈だ。
生きたい、と。
「そうしてギルは兄さんと契約を成して吸血鬼になった。僕たちは兄さんの住処で養われて、食事にも住むところにも困らない、歪ながらもそれまで以上に幸せな生活を送るようになったんだ」
「それじゃあ、リィエルさんは…?」
「…ギルは僕まで吸血鬼にしてしまう事を酷く躊躇ったよ。このまま人としての人生を全うさせたい、ってね」
「……だが……丁度その時期に流行っていた病に、エルは感染した……」
元々スラム街で生活していたリィエルには免疫などなく、日に日に衰弱していくばかりだったらしい。
秘められていた彼等の凄惨な過去に、アッシュの胸は痛むばかりだった。
「僕は、吸血鬼としてギルと生きる事を誓ったよ。ギルは最後まで嫌がったけど、僕が無理に兄さんに頼み込んだんだ。そうして僕等は血の繋がりこそないけど、言葉通り血を分けた兄弟として三人で暮らす様になった」
リィエルの言葉を聞いて、ギルディの表情に曇りが生じる。今となっても尚、リィエルに申し訳が立たないのだろう。
そして、話は其処から急速に進展を見せる。
二人の顔も神妙な面持ちへと変化していった。
「兄さんの過去は…知らない。ただ、そうだとだけしか聞いていないんだ。俺はユーリと同じなんだ、ってね」
「……だから……此処から先はユーリの話になる……」
ユーリの過去の話と聞いて、アッシュの表情も自然と引き締まる。本題は此処からだ。
「…贄となる者が蘇生対象と近しければ近しい程に、生まれた吸血鬼の力は大きくなる。さっきそう話したよね」
「はい…」
「ユーリはね、望まずして彼の両親を贄に蘇った子なんだ」
「―――――――!!」
なら、両親を手にかけたのは…
アッシュの目が驚愕により限界まで見開かれる。俄かには信じ難い事実だ。
その様子を一瞥したリィエルは、一瞬言葉を飲み込んで躊躇した上で、目を伏せながらゆっくりと真実を紡ぎ出した。
「兄さんがあの子の両親を手にかけたのは…事実だよ。あの子の両親だけではどうにもならない。禁忌を犯すには、吸血鬼の力が必要なんだ。兄さんはあの子の両親を…殺して、その命を贄にユーリを蘇生させた。それが他ならない、あの子の両親の望みだったから」
――――シャディィィィィ…!!!!!!!貴様が父様を…!!母様を殺したのかァァァァァァァッ!!!!!!!!
ユーリの言葉がアッシュの脳内で再生され、ユーリの記憶とたった今語られたばかりの真実とが結び付く。
禁忌を犯した代償として、生まれた吸血鬼は目の当たりにした訳でもない、贄となった存在が命を奪われる瞬間が生前の記憶として刻まれる事になる。ギルディはそう言っていた。
ユーリの記憶はそれに起因するものではないだろうか。それならば彼の記憶に矛盾はない。
そう、矛盾は無いのだが。
「ユーリは…自分を蘇生させる代償として両親が亡くなった事を知らない…?」
そうとしか考えられない。
確かに両親を手に掛けたのはシャディかもしれない。だが、自分を蘇生させるための行動だったという事まで知っていたとすれば、あそこまで激情する事があるだろうか?
ユーリは聡明な男だ。全てが自分の死に起因したものだと知っていれば、あの様な凶行には出ない筈なのだ。
そんなアッシュの考えを読み取ったかの様に、リィエルは暗い面持ちで頷く。
「そう、ユーリは知らなかった。正しくは、ユーリには知らせなかった…という方が正しい」
「どういう…事ですか」
「……。ユーリは完全には記憶を取り戻していない、という事だよ」