短文寄せ集め
「無題 (ツイッターから」
夜明け前に人の気配を感じて目が覚めた。どうやら誰かが庭にいるらしい。月明かりに照らされた影が障子の向こうにうっすらと見えた。影は所在なく歩き回っている。耳を澄ませば聞こえてきた、鼻歌というには大きすぎる声に、土方は溜め息を吐いた。
布団の中で身を起こし立てた膝に頬を押し付ける。庭の気配が消えてくれれば良いのだが、酔っ払って上機嫌になっているのだろう、陽気な歌声は途切れそうにない。その内に苛立った隊士が叱りつけに出てこないだろうかと思い待ってみるが、その様子も無かった。
枕元に置いてあった盆を引き寄せ、煙草を手に取る。とん、と叩くと飛び出してきた一本を口に咥え火を点けた。吸うというよりは咥えたままじりじりと燃やし灰にすると、土方はそれを灰皿に捨てて立ち上がった。布団を出ると足元から冷気が這い上がってくる。
歌声はいつの間にか止んでいて、影はじっと立ち止まっていた。まさか立ったまま寝てしまったんじゃないかと呆れながら、大股で畳を踏み締め、庭に繋がる障子を開けた。硝子越しに、空を見上げる近藤の後ろ姿が見えた。何をして遊んできたのか、髪が乱れている。
土方が硝子を開ける音に近藤が振り向いて、笑う。月が綺麗なんだと言って、空を指差した手の先から何かがはらはらとこぼれ落ちた。ああ、と近藤が悲しげな声を上げたので、仕方ない、拾ってやろうと土方は素足に下駄を突っ掛け近藤のもとへと向かった。
夜空を見上げれば歪に欠けた月が白々とした光を放っている。随分遅くまで飲んでたんだな、と声を掛け、近藤の手を覗き込む。節が太くたくましい指の間からはみ出して見える白色が、つい何日か前、庭に咲いたばかりの椿の花びらだと知って、土方は溜め息を吐いた。
うろうろしていると思ったら花を摘んで回っていたのか。良く見れば、短く揃えられた近藤の爪に椿の花粉が着いていた。綺麗だったからさ、見せてやろうと思って。近藤は少し酔いが覚めてきたような顔をして、そう言い訳をした。
女にやる花をぐしゃぐしゃに握りつぶしちまう奴があるか。そう叱って、手を開かせる。近藤の手の中にあった椿の花がぽろぽろと地面にこぼれ落ちていく。枝で引っ掻けたのか、近藤の中指の先に切り傷が出来ていた。触れると、痛いと言われ、自業自得だと黙らせた。
近藤の手首を掴んで引き寄せ、血の滲んだ傷口に舌を押し付ける。爪と皮膚の隙間を舐めると草木の青臭い匂いが口に広がった。指の付け根までを唇に含むと、近藤が土方の舌を押し返すように指で押さえつけトシ、と呻くような声を上げたので笑った。
少しは酔いが覚めてきたようだな。朝になったらアンタのせいで寂しくなった植木を見て反省すると良い。こんなにむしってしまって。ああ、そうだ。まだ綺麗なものは勝手口の手水鉢に浮かべてやろうか…。
近藤の手を離し、着物の裾を押さえてしゃがみこむ。地面に落ちた椿の中から綺麗に花の形が残っているものを拾い上げ立ち上がった土方を、近藤がじっと見つめていた。土方の手から椿の花を取り上げ、それを土方の黒い髪に挿すように寄せた。
だって本当に綺麗だったんだぞ。月明かりに白く光って、儚げで…消えてしまう前に集めてさ、今すぐに見せてやりたいと思ったんだ。女じゃなくて、お前にだよ、トシ。…ああ、やっぱり良く似合う。綺麗だなぁ…。
歌うようにそう言ってにこりと笑った近藤に、土方は呆れた。アンタやっぱり酔っ払ってるな。そんな台詞は女にだけ使えばいい。まぁ、でもアンタが俺のために摘んでくれたものならば、有難く部屋に飾ろうか。髪に押し付けられた花をそっと取り上げ、手の平に置いた。
月明かりに照らしてみると椿の花弁が青白く光っているように見え、確かに消えてしまいそうな儚さがあった。綺麗だろう、と近藤が言った。どこか得意気に響いたその声に土方は笑った。ああ、アンタにしては上出来だ、と。そう誉めてやると、長い腕に抱き締められ遊ぶような口付けをされた。