僕よりも優しい人
「なんだ、お前等…まだ拾われてなかったのか」
薄汚れたダンボールの中を覗き込むと、二匹の子猫が見上げていた。ビー玉のような黄色い目をした、黒い猫。手を差し出すと、みゃあと甘えて小指を噛んだ。ちくりとしたその痛みに目を細め、持っていた懐紙を広げ中に入っていた鳥の笹身を与えた。
「これじゃ腹がいっぱいにならねぇな」
困ったな、と小さく笑う。
可哀想だとは思うが、連れて帰るわけにはいかない。柔らかな二匹の毛玉をそっと撫で立ち上がる。子猫がみぃみぃと鳴いた。
屯所に一匹の柴犬がやってきた。
「おい、山崎。なんだそれは」
山崎の腕に抱えられた茶色い毛玉の塊に土方は不機嫌そうな声を出した。その声に怯えたように山崎の腕から顔を上げた犬がクウンと鼻を鳴らす。
「犬です」
素直にそう答えた山崎の頭に煙草の空箱がパコリと間抜けな音を立て当たった。
「拾ってきた場所に置いてこい」
足を組替えそう言った土方に隊員達の非難の視線が集まる。
「こんな寒空の下、川原になんか置いたら凍え死んじまいますよ、副長」
「そうですよ。そんなこたぁ鬼のやることすよ」
鬼だ鬼だと囃し立てる隊員を睨み「うるせぇ」と一喝する。シンとなった部屋で、土方は立ちあがり山崎の腕から犬を奪い取った。キュンキュンと鳴く塊を無造作に掴み腕にぶら下げたまま襖を開いたところで、足を止める。
「どうした。何騒いでんだ」
開け放った襖の向こうに近藤が立っていた。土方の顔を見、下がっていった視線がその腕に掴まれブラリとした子犬を見つける。
「なんだそりゃぁ。死んでんのか」
近藤の問いかけに、土方よりも早く口を開いた沖田が「これから死ぬ予定でさぁ」と答えた。その言葉に状況を察したのか、近藤は土方の手から子犬を取り上げ自分の腕に抱いた。犬はやっと救われたと思ったか、濡れた鼻を近藤の頬の擦りつけ鳴いた。
「近藤さん」
「良いじゃねぇか、トシ。飼い主が見つかるまで置いてやれ」
「アンタそう言って、こないだの猫だって大変だったじゃねぇか。誰が面倒見るんだ」
「そうカリカリすんな」
まるで犬の頭を撫でるように近藤の手が土方の頭をぐしゃりと撫でた。
「世話は山崎、お前がやれ。いいな」
「はい」
近藤の手から床に下ろされ犬が喜び尾を振りながら山崎に向かい駆けていくのを見て、土方はチッと舌打ちをした。隊員達が気色の悪い猫なで声で犬をあやす声を聞きながら部屋を後にする。
「トシ」
ドスドスと追い駆けてきた足音に気付かない振りをして玄関を出た。
「おい、どこに行くんだ」
早足で歩いているつもりがすぐに肩を掴まえられてしまい、立ち止まる。振り返り近藤の顔を睨んだ。
「見回りだ。山崎が当番だがあいつに行かせると余計なもんがまた増えそうだからな」
「怒るなよ」
「怒ってなんかねぇよ。アンタが決めたことなら俺に文句なんかねぇ。犬でも猫でも面倒見てやりゃ良いだろう」
肩に乗ったままの近藤の手を払い、背を向けた。近藤が困ったように「トシ」と名前を呼ぶのを無視し歩き出す。今度は追い駆けてくる足音は無かった。
苛立った気分のまま早足に屯所を出た。冷たい風が頬を弄るように走り、思わず肩を竦める。
ったくあの人は…。
脳裏に近藤の顔を浮かべ、溜息をつく。一度ではどうも気が収まらず、もう一度長く息を吐いた。
来るもの拒まず主義は良いけれど、度が過ぎていると思う時がある。人が善すぎるのだ。優しいのと、決断力が無いのとは、全く意味が違う。近藤はそれが分かっていない。切り捨てることも時には必要なんだと、何回言っても分かってくれない。
それが歯痒かった。
考えても仕方のないことを思いながら、市中を歩く。店や路地裏を覗きながら一通り見回ったところで、定食屋に入った。
「おや、土方さん、お一人ですか?」
カウンターに案内され座ると、手拭を差し出してきた店の主人が不思議そうな顔をした。
「さっき近藤さんが若い方連れて来ましたよ。こんな小さい犬抱えてね、貰ってくれないかって」
「近藤さんが…」
「ウチは食い物屋で犬は飼えないからねぇ。三丁目の床屋はどうですかって言いましたけど」
可愛がってた犬が一ヶ月前に亡くなってね、そりゃ夫婦二人でひどく落ち込んでたもんですよ、と主人は言いながら丼にご飯を盛った。
「あ、すまねぇが笹身を少し湯がいてくれねぇか」
「昨日と同じで良いですか?」
「ああ、頼む」
出された丼を土方が食べている間に、湯がかれた鳥の笹身が出来てくる。土方は少し多めの代金をカウンターに置くと、取り出した懐紙を広げ笹身を包んだ。
まだ温かいそれを持ち店を出ると、川沿いの道に向かった。緩やかに流れる浅瀬で裸足になった子供達が魚取りをしているのが見えた。勢いよく網が上がる度、きらきらと水飛沫が光る。なんとなく足を止め、その光景を見ていると、背後でざくりと砂を踏む音が聞こえた。
「…冷たいだろうなぁ、川の水は」
不意に話し掛けられ後ろを振り向くと、近藤が立っていた。土方と視線が合うと笑い、「犬の貰い手、見つかったぞ」と自慢げに言うので
「三丁目の床屋」
近藤が次いで何かを言う前に、話を継いでやった。
「知ってたのか」
驚いたように言った近藤には何も答えず、視線を逸らし歩き出した。近藤が追ってきて横に並ぶ。団子でも買ったのか、その左手に白い袋が下がっていた。
「…山崎は」
「ん?」
「一緒にいたんじゃねぇのか」
「ああ、先に帰した。お前が多分ここにいるだろうと思って」
だんだんと歩みの遅くなる土方とは別に、近藤の足取りは軽い。土方は手の中で冷たくなっていく笹身の感触を苦々しく思いながら、ちらりと草むらを伺った。途端、少し先を行っていた近藤が足を止め、手に持っていた袋を土方に差し出してきた。
「ほら」
「…なんだよ」
思わず受けとってしまい、中を確かめると猫用の缶詰が入っていた。思わず近藤の顔を見上げ、「どうして」と訊いた。
「昨日通りかかったら、お前の背中が見えてな」
ダンボールの中身も土方が去った後に確認したんだと近藤は言う。
見られていたとは、全く気付かなかった。
今朝の言い合いもあった所為でどうも気まずくなって、土方は何も言わず河原を下りた。草むらを分けダンボールを覗き込むと、昨日と同じ二匹の猫が土方を見上げていた。
痩せてはいるが元気はあるようで、土方の顔を見ると鳴き声を上げた。
「トシ、今は良いがあと三日も生きてられるとは思えない。まだ寒いし、烏に狙われるかも知れない」
笹身を取り出していると、後ろに来た近藤が土方の肩に触れた。
「だから、なんだ。拾って帰ろうとでも言うのか?」
「トシ」
「可哀想だが烏に食われても、寒さで死んじまっても、それがこいつらの運命なんだよ。仕方ねぇだろ、諦めるしかな…」
自棄になったように言葉を継いでいる途中で、近藤の大きな手が土方の頭を少し乱暴な仕草で撫でた。
「仕方ないと思うなら、もっと割り切った顔してろよ」
ぐしゃりと髪を掻き混ぜた手が、土方の背後から伸び猫をむんずと掴んだ。
「近藤さん」
「トシが拾わないなら俺が拾って帰る。それなら皆に言い訳考えないで済むだろ」
薄汚れたダンボールの中を覗き込むと、二匹の子猫が見上げていた。ビー玉のような黄色い目をした、黒い猫。手を差し出すと、みゃあと甘えて小指を噛んだ。ちくりとしたその痛みに目を細め、持っていた懐紙を広げ中に入っていた鳥の笹身を与えた。
「これじゃ腹がいっぱいにならねぇな」
困ったな、と小さく笑う。
可哀想だとは思うが、連れて帰るわけにはいかない。柔らかな二匹の毛玉をそっと撫で立ち上がる。子猫がみぃみぃと鳴いた。
屯所に一匹の柴犬がやってきた。
「おい、山崎。なんだそれは」
山崎の腕に抱えられた茶色い毛玉の塊に土方は不機嫌そうな声を出した。その声に怯えたように山崎の腕から顔を上げた犬がクウンと鼻を鳴らす。
「犬です」
素直にそう答えた山崎の頭に煙草の空箱がパコリと間抜けな音を立て当たった。
「拾ってきた場所に置いてこい」
足を組替えそう言った土方に隊員達の非難の視線が集まる。
「こんな寒空の下、川原になんか置いたら凍え死んじまいますよ、副長」
「そうですよ。そんなこたぁ鬼のやることすよ」
鬼だ鬼だと囃し立てる隊員を睨み「うるせぇ」と一喝する。シンとなった部屋で、土方は立ちあがり山崎の腕から犬を奪い取った。キュンキュンと鳴く塊を無造作に掴み腕にぶら下げたまま襖を開いたところで、足を止める。
「どうした。何騒いでんだ」
開け放った襖の向こうに近藤が立っていた。土方の顔を見、下がっていった視線がその腕に掴まれブラリとした子犬を見つける。
「なんだそりゃぁ。死んでんのか」
近藤の問いかけに、土方よりも早く口を開いた沖田が「これから死ぬ予定でさぁ」と答えた。その言葉に状況を察したのか、近藤は土方の手から子犬を取り上げ自分の腕に抱いた。犬はやっと救われたと思ったか、濡れた鼻を近藤の頬の擦りつけ鳴いた。
「近藤さん」
「良いじゃねぇか、トシ。飼い主が見つかるまで置いてやれ」
「アンタそう言って、こないだの猫だって大変だったじゃねぇか。誰が面倒見るんだ」
「そうカリカリすんな」
まるで犬の頭を撫でるように近藤の手が土方の頭をぐしゃりと撫でた。
「世話は山崎、お前がやれ。いいな」
「はい」
近藤の手から床に下ろされ犬が喜び尾を振りながら山崎に向かい駆けていくのを見て、土方はチッと舌打ちをした。隊員達が気色の悪い猫なで声で犬をあやす声を聞きながら部屋を後にする。
「トシ」
ドスドスと追い駆けてきた足音に気付かない振りをして玄関を出た。
「おい、どこに行くんだ」
早足で歩いているつもりがすぐに肩を掴まえられてしまい、立ち止まる。振り返り近藤の顔を睨んだ。
「見回りだ。山崎が当番だがあいつに行かせると余計なもんがまた増えそうだからな」
「怒るなよ」
「怒ってなんかねぇよ。アンタが決めたことなら俺に文句なんかねぇ。犬でも猫でも面倒見てやりゃ良いだろう」
肩に乗ったままの近藤の手を払い、背を向けた。近藤が困ったように「トシ」と名前を呼ぶのを無視し歩き出す。今度は追い駆けてくる足音は無かった。
苛立った気分のまま早足に屯所を出た。冷たい風が頬を弄るように走り、思わず肩を竦める。
ったくあの人は…。
脳裏に近藤の顔を浮かべ、溜息をつく。一度ではどうも気が収まらず、もう一度長く息を吐いた。
来るもの拒まず主義は良いけれど、度が過ぎていると思う時がある。人が善すぎるのだ。優しいのと、決断力が無いのとは、全く意味が違う。近藤はそれが分かっていない。切り捨てることも時には必要なんだと、何回言っても分かってくれない。
それが歯痒かった。
考えても仕方のないことを思いながら、市中を歩く。店や路地裏を覗きながら一通り見回ったところで、定食屋に入った。
「おや、土方さん、お一人ですか?」
カウンターに案内され座ると、手拭を差し出してきた店の主人が不思議そうな顔をした。
「さっき近藤さんが若い方連れて来ましたよ。こんな小さい犬抱えてね、貰ってくれないかって」
「近藤さんが…」
「ウチは食い物屋で犬は飼えないからねぇ。三丁目の床屋はどうですかって言いましたけど」
可愛がってた犬が一ヶ月前に亡くなってね、そりゃ夫婦二人でひどく落ち込んでたもんですよ、と主人は言いながら丼にご飯を盛った。
「あ、すまねぇが笹身を少し湯がいてくれねぇか」
「昨日と同じで良いですか?」
「ああ、頼む」
出された丼を土方が食べている間に、湯がかれた鳥の笹身が出来てくる。土方は少し多めの代金をカウンターに置くと、取り出した懐紙を広げ笹身を包んだ。
まだ温かいそれを持ち店を出ると、川沿いの道に向かった。緩やかに流れる浅瀬で裸足になった子供達が魚取りをしているのが見えた。勢いよく網が上がる度、きらきらと水飛沫が光る。なんとなく足を止め、その光景を見ていると、背後でざくりと砂を踏む音が聞こえた。
「…冷たいだろうなぁ、川の水は」
不意に話し掛けられ後ろを振り向くと、近藤が立っていた。土方と視線が合うと笑い、「犬の貰い手、見つかったぞ」と自慢げに言うので
「三丁目の床屋」
近藤が次いで何かを言う前に、話を継いでやった。
「知ってたのか」
驚いたように言った近藤には何も答えず、視線を逸らし歩き出した。近藤が追ってきて横に並ぶ。団子でも買ったのか、その左手に白い袋が下がっていた。
「…山崎は」
「ん?」
「一緒にいたんじゃねぇのか」
「ああ、先に帰した。お前が多分ここにいるだろうと思って」
だんだんと歩みの遅くなる土方とは別に、近藤の足取りは軽い。土方は手の中で冷たくなっていく笹身の感触を苦々しく思いながら、ちらりと草むらを伺った。途端、少し先を行っていた近藤が足を止め、手に持っていた袋を土方に差し出してきた。
「ほら」
「…なんだよ」
思わず受けとってしまい、中を確かめると猫用の缶詰が入っていた。思わず近藤の顔を見上げ、「どうして」と訊いた。
「昨日通りかかったら、お前の背中が見えてな」
ダンボールの中身も土方が去った後に確認したんだと近藤は言う。
見られていたとは、全く気付かなかった。
今朝の言い合いもあった所為でどうも気まずくなって、土方は何も言わず河原を下りた。草むらを分けダンボールを覗き込むと、昨日と同じ二匹の猫が土方を見上げていた。
痩せてはいるが元気はあるようで、土方の顔を見ると鳴き声を上げた。
「トシ、今は良いがあと三日も生きてられるとは思えない。まだ寒いし、烏に狙われるかも知れない」
笹身を取り出していると、後ろに来た近藤が土方の肩に触れた。
「だから、なんだ。拾って帰ろうとでも言うのか?」
「トシ」
「可哀想だが烏に食われても、寒さで死んじまっても、それがこいつらの運命なんだよ。仕方ねぇだろ、諦めるしかな…」
自棄になったように言葉を継いでいる途中で、近藤の大きな手が土方の頭を少し乱暴な仕草で撫でた。
「仕方ないと思うなら、もっと割り切った顔してろよ」
ぐしゃりと髪を掻き混ぜた手が、土方の背後から伸び猫をむんずと掴んだ。
「近藤さん」
「トシが拾わないなら俺が拾って帰る。それなら皆に言い訳考えないで済むだろ」