I can't ever get enough of you
曲は頭の中に入れておかなければならない。歌詞を作るにはイメージも大切だ。集中しなければ。
ひとつ息を吐くと、音也もそれに気付いて気を遣ったのだろう。トキヤに背中を向けて、ヘッドフォンで音楽を聴き始めた。
部屋がしんと静まり返る。
自然と耳が澄まされ、チクタクと時計の針が規則正しく時を刻んでいく音が微かに聞こえてきた。
譜面をなぞり、頭の中で音を奏でていく。何度も何度も、繰り返して。
一時間ほどそうしていただろうか。譜面の最後まで辿り着くと、さすがに疲れたような気がしてトキヤは小さく溜息を吐いた。
ふと気を抜くと背中に感じる音也の気配。それは少し鬱陶しいようで、それでいて柔らかで優しく、トキヤの意識の中へ自然と入り込んできた。
肩越しにそっと振り向くと、音也もトキヤを見ていた。目が合って、音也が少し照れたように笑った。言葉は無かった。交えた視線を外して、トキヤはペンを持った。
自然と、歌いたい言葉が溢れてきていた。
PM5:00 Heart Attack
少し日が陰ってきた。
歌詞はだいたい出来上がっていたので、ノートを閉じて立ち上がる。振り向けば音也は膝を抱えるようにして転がり、眠っていた。
いつから寝ていたのだろうか。随分気持ち良さそうな顔をしているので、このまま寝かせておいてやりたい気もしたが、夜に眠れないと言って煩くされるのも困るので、肩を揺らして起こした。
「音也、起きなさい。そんな寝方をすると風邪を引きますよ」
音也の頭から外れかけたヘッドフォンを取り上げ、連続再生になっていたCDを停止する。
「うー…」
小さな唸り声を上げ、音也が伸ばしてきた腕がトキヤの首に絡んだ。
まるで誘うように、トキヤの首筋を手の平で撫で襟足に指を差しこんでくる。引き寄せられるままに顔を寄せると、間近に合った目を細めて音也が笑った。声の無い、静かな微笑み。寝惚けているのかと思い乱れた髪を撫でてやる。くすぐったそうに音也が首を傾げる。その唇が柔らかな弧を描いて、「好きだよ、トキヤ」と囁いた。
不意打ちの告白に、心臓が跳ねた。なんだか悔しくて「卑怯ですよ」と言えば、「珍しい、照れてる」と笑った唇をキスで塞いで言葉を奪った。
音也の手の平がトキヤの背中を撫でる。悪戯にシャツを捲り上げた手が前に回り、トキヤの胸に置かれた。
「トキヤの心臓、すごい早い」
嬉しそうな声で音也がそう告げた。
「俺も同じだよ。すごいドキドキしてるんだ。…トキヤのことが好きでたまらないんだ」
そう言ってにこりと笑った顔が、何故か今にも泣き出しそうに見えて、トキヤは音也の身体を抱き締めた。
PM8:00 Romantic Balcony
窓から吹き込む風がレースのカーテンを柔らかく膨らませている。仄かに届く月明かりが、毛足の長いラグを青白く照らした。
いつのまに寝てたんだろう…。
トキヤは空っぽになった手の平をじっと見つめた。
服を脱ぐのももどかしいほど忙しなく体を重ねた後、音也は疲れたと言って、そのまま眠ってしまった。ベッドに促したトキヤの手を握って、良いから傍にいて、と甘く掠れた声で囁いて。その子供のような我侭に、繋いだ手を解けないまま、自分も少し休もうと横になり音也の寝顔を見ているうちに、どうやら寝てしまったらしかった。
起き上がり、シャツを羽織ながら音也の姿を探す。
ふわりと風が吹いてきた。翻ったカーテンの向こうに、音也の姿が見えた。手摺に頬杖をついて、外を眺めている。歌を歌っているのか、微かな声が途切れ途切れ聞こえてきた。
「…何してるんですか」
背中から声を掛けたトキヤをゆっくりと振り返って、笑う。
「月がね、すごい綺麗なんだ」
音也はそう言って手を振ると、トキヤを外へ誘い出した。裸足のままひやりとしたコンクリートのベランダに出る。音也の隣に立って空を見上げると、白々とした月が浮かんでいた。
「トキヤさ、ずっと手を繋いでくれてたね」
手摺に頬をつけるようにして顔を傾げ、音也が言った。
「あなたが、そう言ったからでしょう」
呆れて言い返すと、音也が「うん」と頷いた。それからトキヤの手を取って握り、その指に唇を押し付けた。
まるで何かの誓いを交わすような、そんな真面目な顔をしていた。
「なんか、…なんかさ、俺、どんどん欲張りになってくから、怖いんだよね」
唇を離した音也がふと顔を上げ、困ったように笑ってそんなことを言う。
「どうしてですか」
「トキヤが何かをひとつ俺に与える度に、俺はもっと欲しいと思っちゃう。どんなに傍にいても、何回キスしても、全然満足しないんだ」
「………」
「好きだよ。…何回でも言いたいんだ。大好きだよ、トキヤ」
真っ直ぐにトキヤを見つめた目が、また泣き出しそうな色を浮かべた。トキヤは音也の瞼に口付けて瞳を閉じさせると、繋いだままでいた手を持ち上げて音也がしたように指に唇を押し付けた。
「私もあなたのことが好きですよ、音也…」
何度口付けても、何度この腕に抱き締めても足りないくらい、そんなふうに欲張りになっているのは音也だけではないのだとそう伝えたくて、普段はあまり言葉にしない想いを伝えた。音也がゆっくりと目を開けて、耐え切れないように唇を綻ばせ笑った。トキヤの大好きな笑顔だった。
(2012年01月12日)
作品名:I can't ever get enough of you 作家名:aocrot