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My heart is running away

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トキヤの瞳はとても綺麗な色をしている。いつか写真で見た冬の湖のような、深く澄んだ色だ。見つめられると心臓が破裂しそうなほどどきどきして、瞳の中へ吸い込まれてしまいそうになるなんて、そんなことを言ったらきっとトキヤは馬鹿にするだろう。だから、言わない。


…1…
 トキヤは口癖のように俺を馬鹿だと言う。いつからそうなったんだっけ…覚えていない。
 出会ったばかりの一、二ヶ月はそんなこと言わなかったと思う。というか最初の一ヶ月、トキヤはほとんど俺に話しかけてこなかった。俺が話しかけると、戸惑ったような顔をして素っ気無い返事をして寄越した。それが物足りなくて、折角同室なんだからもっと話そうと言えば、迷惑そうに眉を寄せて、その必要はないでしょう、と意味の分からないことを言った。
 あの時はなんでなんでとしつこくトキヤに訊いてしまったが、今なら分かる。トキヤは俺と理解し合おうなんて思っていなかった。どうせ卒業までの間柄だから適当な距離で適当な関係を築けば良いと思っていたのだ。時がくれば適当に別れられる程度の、そんな薄っぺらい関係を。トキヤは俺に何の期待もしていなかったし、俺から何かを与えてもらおうなんてこれっぽっちも思っていなかった。
 けれど、俺は勘違いした。
 この人生に何の楽しみも見出していないような男に、楽しいことをいっぱい教えてやろうと。
 だって人生って短いんだ。いっぱい楽しまなきゃ損じゃないか。これ以上無いってくらい、楽しんで、笑って、そして泣いて。そんなことがトキヤにも必要だって、今思えばすごく傲慢なことを考えていた。
 トキヤはもちろん、嫌がった。遊びの誘いはことごとく断られたし、俺を避けていたのか部屋にいる時間は僅かで、朝は早くからどこかへ出かけていったし、夜は遅くなってから戻ってきた。俺とは正反対の生活リズムで、同室で暮らしているというのにまるで一人暮らしのようだった。
 一人でいるには広すぎて、ただ静かな部屋。俺はそれが嫌で嫌で堪らなかった。
 同居生活を始めて二週間が過ぎた頃から、俺はトキヤが戻ってくるのを起きて待っているようになった。トキヤが戻ってくるのはだいたい日付が変わってからで、何をしているのかと訊くと、バイトです、と言われた。それ以上の質問を拒むように背中を向けて、トキヤは、私のことを待っていなくて良いですからあなたは先に寝ていてください、と言った。うん、と応えて、でも俺はそれを守らなかった。そんな夜が何度か続くと、トキヤはだんだん苛々してきた様子で、何故待っているのかと怖い目をして俺を責めるようになった。
 一緒に暮らしているのに、おやすみもおはようも言えないなんて寂しいじゃないか。
 心の中ではそう思いながら言葉に出しては言えず、いいじゃん、と笑った。トキヤはそれを聞くといつも呆れたように溜息を吐いて、早く寝なさい、と静かに言った。俺はそれを聞くのが好きだった。おやすみと言えば、仕方ないようにおやすみなさいと返してくれる。その時だけは、それが礼儀だというように視線を逸らすことなく真っ直ぐに俺を見て。
 ああ、なんて綺麗な目をしてるんだろう。その瞳の中に自分が映っているのを確認して心臓が小さく跳ねる。その瞬間が欲しいがために、俺は毎日トキヤの帰りを待ち続けた。
 そして一ヶ月と少しが経った頃、いつものように起きて待っていると、トキヤがひどく疲れて帰ってきた。いつもと様子が違うのは、部屋に入ってきた瞬間に分かった。いつもならば俺を見つけてすぐに文句を言うのに、その日は違っていた。俺をちらっと見るとすぐに視線を逸らし、無言で自分の机に向かい、荷物を片付け始めた。俺は戸惑いながらその背中へ、おかえりと声を掛けた。トキヤはしばらく黙って背中を向けたままでいたが、やがて苛立ったように俺を振り向いて、何度言ったらわかるんですか、と怖い声を出した。
 とにかくもう、起きて待っていないで下さい。迷惑です、と。
 大好きな瞳が、暗い色をして俺を睨んでいる。咄嗟に言葉が出てこなくて、そのまま顔を逸らし洗面所に向かっていってしまうトキヤの背中に、ただ、ごめんと言った。トキヤは何も応えてくれなかった。
 バタンと神経質な音を立てて洗面所の扉が閉まる。その音を聞いた途端、急に怖くなった。
 トキヤに嫌われてしまったかも知れない。
 そう思うと、怖くて堪らなかった。頭がじんと痛んで、歯が強張って噛み合わなくなる。涙が零れ落ちそうになるのを我慢して布団に包まり、手足を縮めてじっとトキヤの立てる音に、気配に耳を澄ませる。シャワーを浴びる音、ドライヤーの音、洗面所の扉が開き外に出てきた足音が、一瞬止まる。それはゆっくりと歩いてきたが、俺の傍には寄らずトキヤの領域へと戻っていった。電気が消され部屋が真っ暗になっても、眠ることが出来なかった。
 俺が出来たのは、次の日、トキヤにいつものように接することだけで。トキヤは面食らったような顔をしていたが、夜の遣り取りについては何も言わなかった。
 俺は、トキヤの瞳の中に、まだちゃんと自分が映りこんでいることを確認して、ほっとした。それと同時に、自分の中にあるトキヤへの気持ちが、ただの友情とは少し違った形になっているような気がしていた。
 ふわふわとしたその感情の正体が決定的になったのは、それからすぐだった。
 その日俺は、課題が上手くいかなくて落ち込んでいた。トキヤに話しかけることもなく譜面と向き合っていると、トキヤが呆れたように俺を呼んだ。それまではあまり向かい合って座ることの無かったテーブルに座って、トキヤが一緒に課題の譜面を覗き込む。俺の癖っ毛とは違う、綺麗な髪が額にかかってさらさらと揺れるのを見ていると、心臓がどきどきとした。髪だけじゃない。譜面を辿る神経質そうな指先まで、綺麗だった。
 音也、と訝しげな声で俺の名前を呼んで、トキヤが顔を上げた。真っ直ぐに視線が合って、動けなくなる。息をするのも忘れるくらいの、衝撃。
 ああ…俺、トキヤが好きなんだ…。
 唐突にそう思った。
作品名:My heart is running away 作家名:aocrot