少しだけ、寂しい。
音也が熱を出したのは三連休初日の朝だった。その日一緒にフットサルをする約束をしていた翔の携帯に、『熱が出ちゃったから今日無理だ。ごめん』と連絡が入ったのが朝九時頃。
「そういえば昨日最後の授業で頭が痛いって言ってました」
後ろから覗き込んできた那月が心配そうに腕を組み、言った。
「おい、後ろから勝手に覗くな」
「良いじゃないですか。僕と翔ちゃんの仲でしょう?」
「プライバシーを分け合うような仲になった覚えねぇし」
那月の視線から携帯画面を逸らして、音也に返信を打つ。
『大丈夫か?風邪?』
送信して暫くすると、音也からまたメールが届いた。
『わかんない。けど大丈夫』
「…わかんないってなんだよ。大丈夫なのか、あいつ」
メールを見て思わずそうぼやいた。
トキヤが一緒にいれば、文句を言いながらも音也の世話をするだろう。けれど、確かトキヤは早朝から仕事で昼頃まで戻ってこないはずだ。
それじゃあ音也は部屋で一人なのか…。
音也は滅多に弱音を吐かない。辛い時も平気な顔をして、「大丈夫だよ」と笑ってみせる。そんな音也が一度だけ、翔に弱音を吐いたことがあった。
トキヤがいない部屋って嫌いだ。すっごい静かでさ、なんか怖いんだ。世界に一人取り残されてる気分になる。寂しくて死にそうになるよ。
そう言って、夜になっても部屋に帰りたがらなかった。
メールの返信画面を開いて、暫く真っ白な画面を眺めていたが、何も打たないまま閉じる。
「那月、音也のとこ行くけど、お前も来るか?」
携帯電話をポケットに押し込んで、翔は那月を振り返った。
「もちろん。僕も音也くんが心配です。一緒に行きましょう」
にこりと笑って応えた那月と一緒に部屋を出る。廊下を音也達の部屋へ向かっている途中、真斗と会った。
「…おはよう。どこかへ行くのか?」
「はよ。音也が熱出して寝込んでるらしいから見舞い」
「一十木が?それならば俺も行こう」
「真斗くんも来てくれたら音也くん、きっと喜びますよ。ね、翔ちゃん」
「音也に喜ぶ元気があればな」
そんなことを話していると、階段にレンの姿が見えた。買い物に行っていたのか、手に白いビニール袋を下げている。
「やあ、お揃いで」
いつものように気障な仕草で髪をかき上げながら、レンはそう言って三人の前へと立った。ビニール袋の中に、ポカリスエットのボトルとヨーグルト、風邪薬の箱が透けて見え、もしやレンも具合が悪いのかと顔を見れば、翔の視線に気付いてレンが笑った。
「朝からイッチーの電話に叩き起こされてね。今からこれを届けに行くところさ」
「丁度良い。俺らも音也のところへ行こうとしてたんだ」
四人も行けば部屋が賑やかになる。音也も寂しくないだろう。
そう思って、皆の先頭に立ち音也達の部屋を目指した。
部屋のチャイムを押せば、もしかしたら寝ている音也を起こしてしまうかも知れない。そう思って試しにドアノブを押してみると、鍵は開いていたようで静かにドアが開いた。
「音也、入るぞ」
小さく声を掛け、玄関を抜け部屋に入る。
音也はベッドの上で布団を巻き込むように被り、ぎゅっと丸くなっていた。眠ってはいなかったようだ。翔だけではなく、続いて部屋に入ってきた三人に、熱っぽく潤んだ目を丸くした。
部屋の隅で空気清浄機が稼働している。
前に音也が熱を出して寝込んだ時、トキヤが設置したものだ。
「音也くん、具合はどうですか?」
「熱は何度あるんだ?朝食はちゃんと取ったのか?」
「おやおや、想像以上に具合が悪そうだ」
立ち止まった翔を追い越して、皆が音也のベッドに近寄り話し掛ける。急に賑やかになった部屋に、音也が嬉しそうに目を細めて笑った。
「皆、ありがとう。大丈夫」
そう言った音也の声はひどく掠れていて、辛そうだった。喉が腫れているのだろう。言葉の後で咳をする。移すといけないと思ったのか、枕に唇を押し付けて咳き込んだ音也の肩を真斗が優しく撫でた。那月がベッドの脇に膝を着いて音也の髪に触れる。
同じクラスで、いつも一緒にいるからか、二人のそれはすごく自然な仕草に見えた。なんとなくその輪の中へ入っていけず、キッチンに行きグラスを探しているとレンが来た。
「仲良きことは麗しきかな」
肩を竦め、そんなことを言う。棚から出したグラスをレンに渡し、「俺たちだって仲良しだろ」と言うと笑われた。
「まあねぇ。イッチーから頼られたのはこれが初めてだけどな」
レンはそう言って翔に薬の箱を渡し、グラスにポカリスエットを注ぐと、残りの入ったボトルを冷蔵庫へ仕舞った。
食欲は無かったようで、音也はヨーグルトを半分ほど食べて残し、翔が薬を渡すとそれを飲んでまたベッドに丸くなる。
余程具合が悪いのだろう。こんなに弱々しい音也を見るのは初めてで、心配になる。
「音也…」
呼びかけると、布団の端から顔を出して、笑って。
「大丈夫だよ、翔。そんな顔しなくても、俺、平気だから」
がらがらの声で音也は強がった。
「みんな有難う。移ると困るからもう戻ってよ」
「でも」
そうしたらお前、この部屋に一人になっちゃうんだぞ。具合が悪くて、いつも以上に心細いに決まってるのに。
言葉には出さなかったが、翔の言いたいことは分かっただろう。音也は「大丈夫だから」と笑った。
「熱があるだけでそんなに具合悪くないんだ。だから、戻っていいよ」
大丈夫なわけがないのに、そんな嘘を吐いて強がった音也に、レンが翔の肩を押さえ「そうだね」と言った。
「俺たちがいるとイッキも眠れないしな」
「そうだな。今はしっかり睡眠を取った方が良いだろう」
真斗が珍しく素直にレンの言葉に同意を示す。
「行きましょう、翔ちゃん。音也くん、お大事にして下さいね」
那月までそう言って、翔の肩を掴んで音也の傍から引き離した。促されるまま、レンと真斗の後を追って玄関に向かいながら音也を振り向くと、布団からはみ出した手が見えた。痛みを堪えるように握られた手。
なんだよ…素直に苦しいって、傍にいてって言えば良いのに。
ちっと舌打ちをして、足早に玄関を出た翔に、那月が小さく笑った気配がした。
「…なんだよ」
むっとして振り向けば、「翔ちゃんは優しいですね」と言われた。
「一十木は俺たちに心配を掛けたくなかったんだろう」
真斗が翔を振り向き、そう言う。
「イッキは頑張り屋さんだからね。弱い部分を見せたくなかったんじゃないかな」
レンは振り向かないまま言って、先に部屋へ戻って行ってしまった。
廊下の途中で真斗と別れ部屋に戻ろうとしていると、廊下の先からトキヤが歩いてくるのが見えた。
「四ノ宮さん、翔。おはようございます」
少し立ち止まりそう言ったトキヤの顔は疲れているように見えた。
まだ十時を過ぎたばかりだ。仕事を終わらせ急いで戻ってきたのだろう。
「おはよ」
「おはようございます、トキヤくん」
挨拶をすると、トキヤは二人の前を通り過ぎ足早に部屋へと戻って行った。その姿が扉の中へ見えなくなるまで見送って、それから歩き出そうとした翔は自分の手の中へ風邪薬の箱が握られたままであるのに気付いた。
「あ。しまった。那月、先に部屋戻ってろ」
「そういえば昨日最後の授業で頭が痛いって言ってました」
後ろから覗き込んできた那月が心配そうに腕を組み、言った。
「おい、後ろから勝手に覗くな」
「良いじゃないですか。僕と翔ちゃんの仲でしょう?」
「プライバシーを分け合うような仲になった覚えねぇし」
那月の視線から携帯画面を逸らして、音也に返信を打つ。
『大丈夫か?風邪?』
送信して暫くすると、音也からまたメールが届いた。
『わかんない。けど大丈夫』
「…わかんないってなんだよ。大丈夫なのか、あいつ」
メールを見て思わずそうぼやいた。
トキヤが一緒にいれば、文句を言いながらも音也の世話をするだろう。けれど、確かトキヤは早朝から仕事で昼頃まで戻ってこないはずだ。
それじゃあ音也は部屋で一人なのか…。
音也は滅多に弱音を吐かない。辛い時も平気な顔をして、「大丈夫だよ」と笑ってみせる。そんな音也が一度だけ、翔に弱音を吐いたことがあった。
トキヤがいない部屋って嫌いだ。すっごい静かでさ、なんか怖いんだ。世界に一人取り残されてる気分になる。寂しくて死にそうになるよ。
そう言って、夜になっても部屋に帰りたがらなかった。
メールの返信画面を開いて、暫く真っ白な画面を眺めていたが、何も打たないまま閉じる。
「那月、音也のとこ行くけど、お前も来るか?」
携帯電話をポケットに押し込んで、翔は那月を振り返った。
「もちろん。僕も音也くんが心配です。一緒に行きましょう」
にこりと笑って応えた那月と一緒に部屋を出る。廊下を音也達の部屋へ向かっている途中、真斗と会った。
「…おはよう。どこかへ行くのか?」
「はよ。音也が熱出して寝込んでるらしいから見舞い」
「一十木が?それならば俺も行こう」
「真斗くんも来てくれたら音也くん、きっと喜びますよ。ね、翔ちゃん」
「音也に喜ぶ元気があればな」
そんなことを話していると、階段にレンの姿が見えた。買い物に行っていたのか、手に白いビニール袋を下げている。
「やあ、お揃いで」
いつものように気障な仕草で髪をかき上げながら、レンはそう言って三人の前へと立った。ビニール袋の中に、ポカリスエットのボトルとヨーグルト、風邪薬の箱が透けて見え、もしやレンも具合が悪いのかと顔を見れば、翔の視線に気付いてレンが笑った。
「朝からイッチーの電話に叩き起こされてね。今からこれを届けに行くところさ」
「丁度良い。俺らも音也のところへ行こうとしてたんだ」
四人も行けば部屋が賑やかになる。音也も寂しくないだろう。
そう思って、皆の先頭に立ち音也達の部屋を目指した。
部屋のチャイムを押せば、もしかしたら寝ている音也を起こしてしまうかも知れない。そう思って試しにドアノブを押してみると、鍵は開いていたようで静かにドアが開いた。
「音也、入るぞ」
小さく声を掛け、玄関を抜け部屋に入る。
音也はベッドの上で布団を巻き込むように被り、ぎゅっと丸くなっていた。眠ってはいなかったようだ。翔だけではなく、続いて部屋に入ってきた三人に、熱っぽく潤んだ目を丸くした。
部屋の隅で空気清浄機が稼働している。
前に音也が熱を出して寝込んだ時、トキヤが設置したものだ。
「音也くん、具合はどうですか?」
「熱は何度あるんだ?朝食はちゃんと取ったのか?」
「おやおや、想像以上に具合が悪そうだ」
立ち止まった翔を追い越して、皆が音也のベッドに近寄り話し掛ける。急に賑やかになった部屋に、音也が嬉しそうに目を細めて笑った。
「皆、ありがとう。大丈夫」
そう言った音也の声はひどく掠れていて、辛そうだった。喉が腫れているのだろう。言葉の後で咳をする。移すといけないと思ったのか、枕に唇を押し付けて咳き込んだ音也の肩を真斗が優しく撫でた。那月がベッドの脇に膝を着いて音也の髪に触れる。
同じクラスで、いつも一緒にいるからか、二人のそれはすごく自然な仕草に見えた。なんとなくその輪の中へ入っていけず、キッチンに行きグラスを探しているとレンが来た。
「仲良きことは麗しきかな」
肩を竦め、そんなことを言う。棚から出したグラスをレンに渡し、「俺たちだって仲良しだろ」と言うと笑われた。
「まあねぇ。イッチーから頼られたのはこれが初めてだけどな」
レンはそう言って翔に薬の箱を渡し、グラスにポカリスエットを注ぐと、残りの入ったボトルを冷蔵庫へ仕舞った。
食欲は無かったようで、音也はヨーグルトを半分ほど食べて残し、翔が薬を渡すとそれを飲んでまたベッドに丸くなる。
余程具合が悪いのだろう。こんなに弱々しい音也を見るのは初めてで、心配になる。
「音也…」
呼びかけると、布団の端から顔を出して、笑って。
「大丈夫だよ、翔。そんな顔しなくても、俺、平気だから」
がらがらの声で音也は強がった。
「みんな有難う。移ると困るからもう戻ってよ」
「でも」
そうしたらお前、この部屋に一人になっちゃうんだぞ。具合が悪くて、いつも以上に心細いに決まってるのに。
言葉には出さなかったが、翔の言いたいことは分かっただろう。音也は「大丈夫だから」と笑った。
「熱があるだけでそんなに具合悪くないんだ。だから、戻っていいよ」
大丈夫なわけがないのに、そんな嘘を吐いて強がった音也に、レンが翔の肩を押さえ「そうだね」と言った。
「俺たちがいるとイッキも眠れないしな」
「そうだな。今はしっかり睡眠を取った方が良いだろう」
真斗が珍しく素直にレンの言葉に同意を示す。
「行きましょう、翔ちゃん。音也くん、お大事にして下さいね」
那月までそう言って、翔の肩を掴んで音也の傍から引き離した。促されるまま、レンと真斗の後を追って玄関に向かいながら音也を振り向くと、布団からはみ出した手が見えた。痛みを堪えるように握られた手。
なんだよ…素直に苦しいって、傍にいてって言えば良いのに。
ちっと舌打ちをして、足早に玄関を出た翔に、那月が小さく笑った気配がした。
「…なんだよ」
むっとして振り向けば、「翔ちゃんは優しいですね」と言われた。
「一十木は俺たちに心配を掛けたくなかったんだろう」
真斗が翔を振り向き、そう言う。
「イッキは頑張り屋さんだからね。弱い部分を見せたくなかったんじゃないかな」
レンは振り向かないまま言って、先に部屋へ戻って行ってしまった。
廊下の途中で真斗と別れ部屋に戻ろうとしていると、廊下の先からトキヤが歩いてくるのが見えた。
「四ノ宮さん、翔。おはようございます」
少し立ち止まりそう言ったトキヤの顔は疲れているように見えた。
まだ十時を過ぎたばかりだ。仕事を終わらせ急いで戻ってきたのだろう。
「おはよ」
「おはようございます、トキヤくん」
挨拶をすると、トキヤは二人の前を通り過ぎ足早に部屋へと戻って行った。その姿が扉の中へ見えなくなるまで見送って、それから歩き出そうとした翔は自分の手の中へ風邪薬の箱が握られたままであるのに気付いた。
「あ。しまった。那月、先に部屋戻ってろ」