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放課後、図書館で調べ物を済ませて部屋に戻ると、音也が先に戻っていた。
 まだ早い時間だが、珍しいこともあるものだ。いつもならば放課後は翔たちと遊んでいて、夕方遅くなってから部屋に戻ってくる。
 朝から雨が降っているからだろうか。
「只今戻りました」
部屋に入ったトキヤを、ベッドの上に胡坐をかいて座った音也が振り返る。にこりと笑い「おかえり」と言った声は、いつもより少し覇気のないものだった。
「…どうかしましたか」
図書館から借りてきた本を机の上に置きながら訊いたが、音也は「うーん」と曖昧な返事を投げてくるだけで、言葉が続くことはなかった。
 訊かれたくないことなのかも知れないと判断して、それ以上は構わず、キッチンに入り手を洗う。
 シンクに音也のカップが置いたままになっている。溜息を吐いて、手を洗うついでにカップも洗って水切りかごの中へ伏せて置いた。
「音也、自分が使った食器は自分で洗う約束でしょう」
コーヒーの用意をしながら、キッチンからそう叱るが返事が無い。いつもならば、ごめんごめんと言いながら、全然悪びれていないような顔をしてトキヤに纏わりついているところだ。
「…音也、聞いてるんですか?」
あんまり静かなのでキッチンから顔を出す。音也はトキヤが帰ってきた時と全く同じ格好でベッドの上に座っていた。トキヤの声が聞こえていないのかも知れない。それも珍しいことだと思う。いつもならばトキヤの言葉ひとつひとつに大袈裟に反応して鬱陶しいほどだというのに。
「音也」
もう一度、今度は声を張って名前を呼んだ。音也の肩がびくっと跳ねる。
「…あ、な、なに?」
驚いたような顔をしてトキヤを振り返った音也に、溜息を吐く。
「起きていたんですか。寝ているのかと思いました」
「起きてるよ。なに?」
「カップがシンクに置きっぱなしになっていましたよ。片付けは自分でやる約束でしょう」
「ごめん。すぐやる」
ベッドを降りてこようとするのを手で制す。音也はその仕草にさえ、体を強張らせた様子だった。
「もう結構です。私が洗いました」
「ごめん…」
音也が気落ちしたような声を出し、俯く。
 好奇心旺盛な丸いどんぐりのような目が、今は憂鬱そうに細まり、トキヤを見ようとしない。
 課題で悪い結果でも出したのだろうか。それとも翔と喧嘩でもしたのか。
 顎を撫でながら考えるが、分からない。
 音也が落ち込んでいるのを見るのは初めてではないが、いつもはトキヤを気遣って笑ってみせるくらいの余裕はあったように思う。
 しかし、いくら普段が能天気だといっても音也とて一人の人間だ。調子の悪い時もあるだろう。
「…コーヒーを飲みますか?甘いカフェオレにしてあげますから」
そう話しかけると、音也は顔を上げてトキヤを見つめ小さく頷いた。
 コポコポと音を立てて落ちていたコーヒーの流れが止まるのを見て、デキャンタを取り出す。先程洗った音也のカップと、キッチンボードから取り出した自分のカップを並べて置き、ひとつは半分まで、ひとつはたっぷりとコーヒーで満たした。音也のカップに砂糖を溶かし、ミルクを入れる。これまでも何度か音也にはカフェオレを作ってやっている。好みの味は分かっていた。
 砂糖の量をだんだん減らしていって、少し甘いものを控えさせなければ。
 そんなことを考えながら、カフェオレをスプーンで掻き混ぜていると、音也がキッチンの入り口に顔を出した。
「もうすぐ出来ますからテーブルで、」
「ねぇ、トキヤ」
「…なんですか」
人の話は最後まで聞きなさいと注意したくなるのを我慢して、言葉の先を促してやる。
 こと音也に関しては自分も随分我慢強くなったものだ。いや、甘くなったのか…。
「トキヤはさ、誰かから好かれるのは嬉しい?」
じっと、探るような視線でトキヤを見つめて、音也が言った。ひどく真面目な、思いつめたような顔をしているので、トキヤはスプーンを置くと音也に向き合った。
「それは、人に好かれて嬉しくない人間などいないでしょう」
「トキヤもそう?」
「私も、あなたもです。違いますか?」
むしろトキヤよりも、音也の方が自分に向かってくる感情については敏感なはずだ。
 音也はトキヤの言葉に首を振って、「違わない」と答えた。
「誰かから好きだって言われたら、そりゃ嬉しいよね」
そう言って溜息を吐くと少しの間俯いていたが、やがて顔を上げて笑った。
 それがいつもと同じようでいつもと同じではない、無理矢理作った笑顔だと気付かないとでも思ったのだろうか。
「…もしかして、誰かから好きだと言われたんですか?」
胸に浮かんだ疑問を口にしてみる。
 明るくて誰にでも人懐こい音也は皆に好かれている。自分以外の誰かが音也に惹かれて、恋愛感情をもったとしてもおかしくはない。
 だが音也は慌てて首を振ると「違う違う、それならもっとテンション上がってるし」と否定した。
「じゃあ、なんです?さっきから少しおかしいですよ」
溜息を吐き、カップをふたつ持ってキッチンを出た。テーブルにカップを置き椅子を引いて座る。すぐに音也もついてくるだろうと思ったが、音也は自分のベッドへと走っていってしまい、布団の上から何かを拾いあげて戻ってきた。それは一通の手紙のようだった。淡いピンク色の封筒をそっと、音也が差し出してくる。封筒の真ん中に微かに折ったような痕があった。
「…なんですか、これは」
「トキヤに渡してくれって。うちのクラスの女の子が。ほら、俺、トキヤと同室だからさ…その子、トキヤのことが好きなんだって…色々相談受けちゃって…それで…」
音也の顔を見上げたトキヤに、音也の視線が逸らされる。説明する声がだんだんと小さくなり、中途半端に途切れた。トキヤは長い溜息を吐いた。音也が両手を交互に握り合わせながら、だんだんと俯いていく。
「相談、ですか。あなたは彼女になんて言ったんです?」
「トキヤは優しいから頑張ってって…だって本当のことなんか言えないし、それにすっごい可愛い子で、こんな子に好きだって言われたらトキヤもその子のこと好きになっちゃうかもって焦って、それで、俺、」
「言っていることがめちゃくちゃです」
「ごめん…なさい…。手紙預かったけど、本当はトキヤに渡さないで捨てちゃおうかと思った。でも出来なくて」
それがこの折られた痕なのだろう。トキヤは封筒をじっと見つめると、それをテーブルに置いた。その手で、ぎゅっと握られたままでいる音也の手に触れる。びくっと音也が体を震わせた。
「手紙は受け取ります。彼女には私から直接、返事を伝えることにしましょう」
強張ったままの指を一本一本開かせ、解かせると、トキヤは音也の手を握った。
 何を考えていたのだろうか。怒られると思ったのか…嫌われると思ったのか…。音也の手は冷や汗をかいていて、トキヤの溜息を誘う。
「音也」
「うん…」
「私が今考えていることが分かりますか」
「俺のこと、馬鹿だと思ってる?」
上目遣いでそう言った音也に呆れて、思わず笑ってしまう。
「そうですね。あなたは本当に、馬鹿ですね。それは認めます」
「認めなくていいよ、そんなこと」
作品名:You are the one I love 作家名:aocrot