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この恋は、君だから

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その日、夜十一時を過ぎても音也が部屋に戻ってこなかった。いつもならばどんなに遅くても九時頃には部屋に戻っているし、戻れない場合は必ずメールで連絡がある。
 音也がいないだけで、しんと静まり返った部屋に溜息を吐き、トキヤは充電器に置いていた携帯を取り上げ、音也に電話を掛けた。
 何かあったとは思わないが、音也のことだ。もしかしてどこかで寝ているかも知れない。
 コールは十回ほど続き、それでも電話が繋がらないので諦めて切ろうとしたその瞬間、コール音が途切れ通話になった。向こうから返事が無く、「もしもし」と呼びかけた。
「音也、どこにいるんですか?」
『えっと…マサとレンの部屋、だけど…』
音也はたどたどしくそう言うと、黙ってしまう。らしくないその様子に、トキヤは眉を寄せた。
「戻ってくるんですか?そちらに泊るなら連絡くらい入れて下さい。それと、レンはともかく、聖川さんにご迷惑をお掛けしないように」
『ううん、泊らない。今から戻るよ』
慌てたように音也が言ったのを最後に、通話は一方的に切られてしまった。
 レンと真斗の部屋ならば歩いて五分かからない。すぐに戻ってくるのだろうと待っていると、三十分もしてから音也が帰ってきた。
 待たされたこともあり、その時にはだいぶ苛々していたので「遅かったですね」と冷たく言えば、音也はトキヤの顔を見ないまま「うん」と短く頷き、洗面所へ入っていった。バスルームドアを開く音が聞こえ、音也がそのまま風呂に入ったのだと分かる。
 いつもならば放っておいても一人で話している音也が、ただいまの一言も無く、トキヤと目を合わせもしなかった。
 何かあったのだろうか。
 今朝は特別なことは何も無く、音也も上機嫌だった。昼に食堂で会った時も放課後は翔と那月と遊ぶんだと言って笑っていた。
 喧嘩をした覚えはもちろん無いし、音也を怒らせるようなことをした覚えも無い。
 十五分もすれば出てくるだろうと思ったが、音也は珍しくたっぷり一時間風呂にいて、その後洗面所でいやにゆっくりドライヤーの音を響かせてから、やっと出てきたと思えばろくに話もせず自分のベッドへ潜り込んでしまった。
 壁に向いて寝転んだ音也の赤みがかった髪を見つめ、溜息を吐く。トキヤは読んでいた本を閉じ立ち上がると、音也のベッドに腰掛けた。
 眠っていないのは分かっている。髪を撫でると、音也がびくっと体を震わせた。
「何かあったんですか?」
そう訊いたトキヤに、音也がガバッと勢い良く顔を上げた。音也が帰ってきてから初めて視線が交わった。
「な、なんで」
「…あなたの様子がおかしいので、何かあったのかと思ったのですが」
音也は唇をわなわなさせ、何かを言おうとしたようだったが、結局何も言わず目尻を赤く染めてまた顔を逸らしてしまった。
「音也?」
「何もないよ。トキヤには関係ないっ」
音也は大きな声で言うと、布団の中に潜り込んでしまい、それからは何度呼びかけても頑なにトキヤの声を拒んで、顔を出すことは無かった。
 全く…。
 トキヤは音也の作り上げた布団の塊を見て溜息を吐いた。
 相変わらず音也は嘘が下手だ。何もないと言うなら、関係ないなどと言う必要は無い。
 つまり…自分に関係する何かが音也の身に起きたことは、間違いないようだ。




次の朝も音也の様子はおかしかった。トキヤが用意した朝食も食べず、トキヤが洗面所を使っている間に、挨拶も無く部屋を飛び出していった。まるでトキヤと話すのを避けているように。
 目も合わせない、必要最低限の言葉も交わさない。これでは音也から理由を聞き出すのは難しそうだ。
 そう思い、トキヤは教室でレンに声を掛けた。
「やあ、イッチー。おはよう」
レンはいつものように複数の女生徒を傍に侍らせていたが、トキヤが「音也のことなんですが」と言うと、彼女らに「ごめんね」と言って立ち上がった。促され、廊下に出る。ホームルームまではまだ時間があるので、廊下には他の生徒の姿も見える。
「昨日、あなたの部屋から戻ってから音也の様子がおかしいのですが、何かありませんでしたか?」
「おかしいって、どんなふうに?」
そう訊いてきたが、レンがその原因を知っているのは明らかだった。にやにやと笑う顔を少し睨んで、仕方なく説明をする。
「私と視線を合わせず、言葉も殆ど交わしていません。以前喧嘩した時にも何度かこのようなことはありましたが、昨日は音也と喧嘩などしていませんし…」
「ふうん」
レンは腕組みをし肩を窓に寄りかからせた。ただそうしているだけでも絵になる男に、擦れ違っていく女生徒が熱い視線を送ってくる。
「レン、理由を知っていますよね?」
「ああ、知ってるよ。昨日イッキが聖川に泣きついてたからね。まぁ、聖川も困ってたけどな。なんというか、俺にしてみたら可愛い悩みさ。イッチー、少しイッキを甘やかしすぎなんじゃないのか?」
そう言ってレンは笑った。
「おっす、二人とも何してんだよ」
不意に背後から声を掛けられ、振り向くと翔がいた。
「ああ、おチビちゃん、ちょうど良いところに来たな。イッチーに昨日の出来事を教えてやってくれよ」
「チビっていうな。…昨日のって…ああ」
翔がレンを見た後、ちら、とトキヤに視線をやり困ったような顔をした。
 どうやら知らないのは自分だけらしいと気付いて、小さな苛立ちを感じる。視線にそれが出てしまったのだろう。翔が「怖ぇよ」と後ずさった。
「イッキがイッチーを避けてるらしい。それでイッチーが落ち込んでいるのさ」
「落ち込んでなどいません」
そこはきっぱりと否定をして、レンを無視して翔に向き直る。翔はまた一歩後ろへ下がったが、諦めたようにそこで立ち止まって、レンと同じように腕を組んだ。
「実はさ、昨日、那月と音也とマリオカートやって遊んでたんだけど、興奮した音也が隣にいた那月のメガネ弾き飛ばしちゃってさ…。俺、その時飲み物取りに立ってたから傍にいなかったんだよな。そしたら音也に大声で名前呼ばれて、慌てて戻ったら、砂月が出てきてて、ギャーギャーうるせぇって言って音也に…その、…」
翔は一端そこで言葉を止め、トキヤの顔を上目遣いに伺った。視線で言葉の先を促せば、翔は諦めたように腕を解いて首の後ろをがしがしと掻いた。
「音也にキスしたんだよ。しかも結構熱烈なやつを」
そこでレンが耐え切れないように吹き出したので、トキヤはそれをちらりと睨んだ。
「その間に眼鏡を戻すことが出来たんだけど、音也の奴、動転して部屋飛び出してってさ」
「俺達の部屋に飛び込んできて、マサどうしよう浮気しちゃった、と聖川に泣きついたというわけだ」
事の顛末を聞いて、トキヤは深く長い溜息を吐き出した。
 つまり…音也はその事故のような出来事を、浮気してしまったのだと思い込み、自分を避けているということか。
「イッキは純粋なところがあるからね。イッチーがそれを知ったら嫌われるとでも思ったんだろうね。キスくらい、浮気のうちに入らないのにさ」
「そうか?俺はやっぱキスしたら浮気だと思うぜ。いや、手繋いだらもう浮気だろ」
「おチビちゃんは心が狭いねぇ」
「チビっていうなっ。じゃあお前はどこからが浮気だって言うんだよ」
作品名:この恋は、君だから 作家名:aocrot