Step By Step
Step By Step
大晦日に年越しライブを控えた十二月二十六日、街からはクリスマスの喧騒が消え、着々と正月に向かい準備が進んでいた。
スタジオでダンスの練習と衣装合わせを含む打ち合わせを終え、一足先に出ようとしたところで音也に呼び止められた。
「レン」
慌てたようにスタジオを飛び出してきた音也がレンの腕を掴む。
「どうしたんだい、イッキ」
立ち止まり振り向いて見ると、音也はちら、とスタジオの方を気にして、メンバーが誰も出てきていないことを確認すると、「この後って何か予定ある?」と訊いてきた。
「予定ねぇ…」
いくつか誘いはあったが、断っても問題のないものばかりだったので、レンは少しだけもったいぶって音也の言葉の先を視線で促す。
「あのさ、ちょっと相談したいことがあるんだけど。…駄目?」
音也はそう言って、最後は上目遣いに、まるで飼い主の「よし」を待つ犬のように見つめてくる。
それを音也が意識的にやっているのではないのは分かっていた。元々人の気持ちを掴むのが上手いのだ。
「しょうがないね。ちょっと待って」
思わず苦笑してしまいながら携帯電話を取り出し、素早く、それでいて次の約束を匂わせるような断りのメールを送った。
「さぁ、俺の予定は空けたよ、イッキ。次はどうすれば良い?」
「ありがとう、レン。俺、荷物取ってくるから待ってて」
音也はそう言うとスタジオに駆けて戻っていき、すぐにバッグを持って戻ってきた。
並んで建物の外に出ると、真冬の冷たい風が頬をなぶっていった。
「うわ、さむっ…」
音也がぎゅっと肩を竦める。レンを待たせまいと慌てて巻いたのだろう。マフラーの結び目が不恰好になっているのを直してやると、音也がくすぐったそうに笑った。
どこに行くとも決めていなかったので、自然と足は寮へ続く道へと向かっていた。
「イッチーに何て言って出てきたんだ?」
こんなふうにメンバー全員が揃っている日は、音也はトキヤと一緒に寮に戻ることが多かったので、きっとトキヤもそのつもりでいただろう。そう思って訊いたが、音也は意味が分からなかったように不思議そうな顔をした。
「え、別に何も。今日は一緒に帰る約束してなかったし」
「ふうん」
音也の鈍感さに少し呆れる。今頃、トキヤは不機嫌になっていることだろう。
「ねぇイッキ。イッチーは、お前が俺や聖川に色々相談するのをあまり快く思ってないようだけど」
「ああ、良く言われる。聖川さんにあまりご迷惑をお掛けしてはいけませんよ、ってさ」
音也は澄まし顔になりトキヤの声音を真似、言った。
いつも一緒にいるからか、声の低さや抑揚、息の吐き出し方などがとても良く似ている。
「へぇ。俺のことは?」
「レン?レンのことは何も」
「なんだ冷たいな、イッチーの奴」
時々、レンを呼び止めては「あまり音也を甘やかさないで下さい」と迷惑そうに言ってくるトキヤの顔を思い浮かべ、レンは小さく笑った。
「それで、俺に相談したいことって?」
「うん。あのさ、一月二日オフじゃん?それで、その日は一日トキヤと一緒にいられることになったんだ」
二人は恋人同士なのだから、オフの日を共に過ごすことなど特別なことではないだろう。それなのに、音也はそれが特別で、嬉しくてたまらないんだというような笑顔で言った。
「それでね、俺、いつもトキヤに頼ってばっかだから、その日は俺がトキヤをエスコートしたいなと思って。レンならトキヤが喜びそうなお店、知ってるでしょ?教えて欲しいんだ」
「なるほどね」
音也の相談事を理解して、レンはふと息を吐き出した。
音也は相手を喜ばせようと一生懸命になるあまり、本当にそれがトキヤが望んでいることかどうか、見失っているようだった。
イッチーは、イッキが案内する場所ならそれがフランチャイズのファーストフード店だって構わないだろうに。
「オーケイ。それなら今からとっておきの店に案内するよ」
レンはそう言って手を上げ、丁度スタジオの方から走ってきていた空車のタクシーを止めた。
タクシーを二十分ほど走らせて、音也を連れて行ったのは住宅街の中にある隠れ家的な店だった。入り口は蔦が絡み通りかかっただけではそこに店があるとは分からないようになっている。創作フレンチを出す小さな店で、中にはテーブル席が四つ、カウンター席が七つしかない。
事前にオーナーにメールをしておいたので、すぐに店の奥のテーブルに案内された。
「すごい」
落ち着いた木目調の店内に、アンティークの家具。使われてはいないが素晴しい細工のされた暖炉に、音也が歓声を上げた。
「ここならトキヤ、喜ぶよ。間違いない」
席に着いてはしゃぎながら言った音也の声が、メニューを開いた途端、落胆に変わる。
「心配しなくていい。今日は俺が驕るよ」
音也が何に落胆したか分かっていたので、さらりとそう告げる。音也は無言のままメニューを閉じると、暫く黙っていたが、やがて溜息を吐いた。
「ねぇ、レン。俺、レンと違ってあんまりお金無いから、こんなところに連れてこれないよ」
悲しげに告げた音也に、レンは「だろうね」と笑った。音也がムッとしたようにレンを睨む。
「だったら、どうして」
声を荒げた音也の唇に人差し指を当てる仕草をして黙らせ、レンはメニューの中から適当なものをオーダーした。
料理が運ばれてくるまでの間、音也は怒ったように黙っていた。
ペリエとサラダが運ばれてくる。フルートグラスにペリエを注ぎ、サラダを取り分けると、レンは音也を見た。
「なぁ、イッキ。本当は場所なんかどこでも良いのさ。こんな素敵なレストランや、高級ホテルのスウィートルームでなくたって」
「でも、せっかく、」
言い募ろうとした音也の手にグラスを持たせる。
「イッキがイッチーとこれからもずっと一緒にいたいと思ってるなら、イッキの一番好きな場所に連れていけば良い。爪先立ちで背伸びをしたって、いつか転ぶだけだよ」
そう言ってレンは音也のグラスに、グラスをつけた。キンと綺麗な音が鳴って、音也がはっとしたような顔をした。
「さぁ、食べようか。イッキもお腹が空いただろ。たくさん頼んだからね」
「うん…」
音也がフォークを持って、躊躇いがちにサラダに差し入れる。それから、躊躇いがちにレンを見た。
「あの、さ」
「なんだい?」
「ありがとう、レン」
何が、とは言わなかった。音也はそれだけ言うと照れくさそうに頬を染めてサラダを口の中へ掻き込み始めた。
フルートグラスに浮き上っていく炭酸の泡の向こうに、そんな音也の姿を見つめる。
さて、イッキはイッチーをどこに連れていくのかな…。
一番大好きな人を連れていきたい、一番大事な場所。
いつか、俺にも教えてくれるだろうか。いつものように笑いながら。
音也の、皆を明るく照らす太陽のような笑顔を思い浮かべ、レンは笑った。
(20130101)
作品名:Step By Step 作家名:aocrot