この手が
その中へと、雪男はためらうことなく足を踏みだした。
雨に濡れる。
かまわない。
視線の先には、あの背中があった。
雨の降る中、シュラは立ちつくしていた。
真っ直ぐに伸びた背筋。
弱々しい感じはしない。
実際、シュラは強い。強いひとだ。
しかし、今、その背中が小さく見えた。
距離があるから、だけではなくて。
女性の背中だ。
年少である自分のほうが、今は身体だけで言えば大きい。
けれども、女だから男より弱いなどと、言えるわけがない。
自分は、ずいぶんと、あのひとに護られてきたのだから。
ああ、と雪男は思う。
本当に、そのとおりだ。
今まで自分はなにを見てきたのだろうか。
いや、見てきただけで、よく考えなかったのだ。
出会ったとき、あのひとは自分よりも大きくて、大人に見えて、だから、自分よりも強くて、そして自分を護ってくれるのがあたりまえだと思っていた。
今まで、そう思い続けてきた。
自分は大人に見られたがるくせに、いざとなったら自分はまだ子供だと逃げて、大人であるあのひとと線引きしていた。
あのひとの背中は本当はこんなに小さいのに。
雪男は足を進める。
もう、手を伸ばせば届く距離だ。
右腕をあげる。
眼のまえにある、小さな肩。
触れたいと思った。
触れようとした。
でも。
背を向けて立っている、だからシュラの顔は見えない。
だが、きっと、泣いている。
雨に打たれて、雨に濡れながら、雨の水滴で涙をごまかすように泣いている。
その顔を。
自分は。
見る資格がない……!
あげた右腕、その先にある手のひらを、拳に握った。
腕をおろした。
眼のまえにある小さな背中に、自分は頼ってばかりきた。それがあたりまえだと思っていた。
大人だから。
強いから、大丈夫だろうと思っていた。
でも、いくら強くても、大丈夫ではなかったのかもしれない。
事実、今、こんなふうに雨の中で立ちつくし、顔を見せないようにして、きっと泣いている。
さっきアーサーに、それが大人の対応ってヤツですか、と言葉をぶつけた。
あのときアーサーはなにも言い返してこなかった。
今にして思えば、それこそ大人の対応だった。
祓魔師としては最強の位置にいるのに、ヴァチカンからこの日本支部へとつなぐ鍵を持っているとはいえ、わざわざ足を運んで、シュラに親友の死を知らせにきた。
他の者から伝えさせることやメールで知らせることもできただろうに。
我が聖天使團の一員、と言っていたから、自分の直属の部下でもあったのだろう。
その殉職を知らせるとき、どんな想いだったのだろうか。
本当に、自分は子供だ。
それを思い知らされる。
拳にしている手を、さらにギュッと痛いぐらいに握りしめる。
この手は、役立たずだ。