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やわらかな獣

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「楽園をつくろう」
まるで、溜息を吐くような静かな声だった。兄さん、と頬をなぞる指先が青白く、浮かび上がるようなうつくしさを放っていたから、プロイセンはそこに見とれるままに頷いてしまった。ドイツの敬愛する上司が死んで、まもなくのことだった。

***

冬の盛りを終えて、春が訪れようとしていた。雪は水に、枯れ落ちた草花は新たに再生し、蜜を宿し、実を結んで、色づいた春の匂いを運んでくる。世界はそうして何度も生まれ変わって、朝は光に満ちていた。夜も。風は凪いでいるのに、花の甘い匂いがたゆたう。ドイツの敬愛する上司が死んだのはそんな日の、深い夜のことだった。
医者から冬は越せないと言われていたのに反して、彼は死期を感じさせないほど溌剌としていた。起き上がることこそできなかったが、それこそ、かつて演説台で雄弁をふるっていた頃を彷彿するほどに。日に日に眠っている時間が多くなっても、春のせいに違いないと思わせるほどの気丈さで、彼は今際までドイツを叱り、支えたのだった。
のちに彼の灰は、遺言通り海に撒かれた。参列の際、ドイツは涙をにじませることもなく、一言、ありがとうございましたとだけ独白のようにこぼした。そうして庭先で大切に育てていた花を一輪摘んできて、幾枚かの花びらを海に沈めたのだった。
葬式の後始末は遺族が執り行って、ドイツは混乱した国内を収めるのに慌ただしくしていた。喪に服している暇はなく、泣いているうちにひとつでも仕事を片付けなければならない。どれほど敬愛しても、相手が人間である以上、離別は仕様のないことだった。そう言い聞かせなければ、まともに立っていられない。プロイセンも、かつて墓前で膝を折ったことがあった。国である身を呪ったりもしたけれど、仕方がないと悟ることのできるようになったのはいつの間にかのことだった。
やがて後継した上司は若く、したたかな男だった。新任の上司であるそのひとよりもドイツはプロイセンを頼りたがったから、あまり好かれてはいないようすである。しかし国の地位を退いた以上、ろくに上司との交流を持たなかったプロイセンにとってはどうでもよいことで、いちいち敵視されるのが気に障る、その程度の認識だった。
これでようやく落ち着ける、と人心地ついたドイツの横顔にはとくに感傷があるわけでもなさそうで、プロイセンは少しだけほっとする。

***

開け放した窓から入り込む、穏やかな風に乗ってほのかに甘たるい匂いがした。いっとき花の匂いかと思ったが、どうやら違う。もっと人為的な、メレンゲのような、砂糖の匂いだった。
「こんな時間に何作ってんだよ」
キッチンをのぞくと、ドイツがボウルから生地を型に流し込んでいる。菓子作りをしているようすだが、それにしては時間がそぐわない。そろりと忍び寄って、肩越しに手元を覗き込んだ。
「ジェノワーズだ。明日は早く出る分早く帰ってこられるから、仕込みを」
ぴかぴかのキッチンは相変わらずうつくしいままで、どうやらキッチンを片付けながらジェノワーズを作っていたらしい。仕込みって、おまえは菓子屋か、と口が滑りそうになるのをこらえて、なんでもない顔でそりゃ楽しみだと返す。プロイセンがそれを腹に収められるかどうかは、ドイツの一存である。じゃあ食べなくていいと言われてしまえば、そのご機嫌取りに時間を食うはめになるのだった。

冷蔵庫にジェノワーズを収めたドイツが後始末をしている間にリビングにひるがえって、プロイセンはそっと窓を閉め、カーテンを引いた。ほとんど見てもいなかったテレビの電源を切って、インターネットのコンセントを引っこ抜く。奇襲の手筈は整った。死角に身を潜ませ、神経を澄まして足音の気配を探る。一歩、二歩、三歩。時折フローリングのきしむ音とまじって、近づいてくる。
……今だ。なにごとか考える間に腕を伸ばした。ぐっと引き寄せた拍子に重心を崩すドイツを確保する。奇襲はプロイセンのお家芸というべき得意分野だった。
「お前なァ、隙だらけ」
わけもわからず目を白黒させているドイツをソファの上に組み敷いて、じゃれるように耳朶を噛んだ。そうすると掴んだ腕にぶわっと鳥肌が立って、意識を取り戻したようにばたばたと抵抗を見せる。
「け……っ、けだもの!変態!」
あげく卑怯とまで野次が飛んでくる。プロイセンはくっくと笑った。抵抗をするくせに、畢竟、ドイツがプロイセンを拒絶したことはない。それらはいわゆるより熱く燃やすためのパフォーマンス、あるいはスパイスで、プロイセンもドイツが心底嫌がるような真似をしたことなどはなかった。
「……こ、んなところで!盛るな!風邪を引く!」
「大丈夫大丈夫、風邪引かねぇように暖かくしてやるから」
そう言って意地悪く笑ったら、ドイツはぐうと言葉を詰まらせる。しばらくのうちお互い力任せに拮抗していたが、やがてふっとドイツの抵抗がゆるんだ。どうやら根負けしてくれたらしい。勝った。にやっと笑って額にくちびるを落とすと、ドイツが真っ赤な顔をして、えろ親父、とつぶやいた。火に油をそそぐだけである。そうして調子に乗ってくちびるをあちこちに落としていると、ドイツが心底呆れたふうに、あなたはウサギみたいだと言う。自分はまるきり関与していないような口ぶりである。お前がそうさせてるんだろ、というような反駁は聞き入れる気配もなく、まったく仕様がないと溜息をついてうんざりして見せるのだった。
それでも、縺れこむままにあちこち触れて、くちびるを落として、愛しているとささやいて、克己的な面の皮を剥いでしまえば、ドイツのほうから両手を伸ばしてねだるから、プロイセンは大変な思い違いをしていた。

***

寝返りを打った拍子にソファから落ちて、目が醒めた。受け身をとることもままならなかったので頭から着地して、後頭部をしたたかに打ちつけた。
「いっ…!…てぇー……」
痺れる頭をおさえて身を起こすと、混濁した意識が痛みに揺り起こされるようにして冴えてくる。ひどい疼痛のせいで、ソファに這い上がって二度寝を決め込む気分にもなれない。そうやってしばらくのうち、落ちた体勢のままぼうっとしていたが、巻き込んだブランケットを投げやりな手つきでソファに投げ置いたところでふと思い出した。……やべえ、ヴェスト。呟いて掛け時計に目を向けると、十時を過ぎていた。冷や汗が出る。今日は早朝から会議だと言っていた、遅刻しては面目が立たない。のち、ドイツから大変な譴責を受けるなどの皺寄せが来るのは自分である、と都合のいいことを考えているが、無理をさせたのはプロイセンであって、その譴責は皺寄せでも何でもないのだった。
「ヴェースートー……」
力なく呼ぶが、リビングの空気はひやと冷えていて、人の気配はない。どうしてか気配を殺してそろりとキッチンまで赴く。そこも閑散としている。乾いたシンクを指先でなぞって、水を出した形跡のないことを確認した。
「行った…っぽい、か?」
シャワーを浴びるついでに寝室にも足を伸ばしてなかを伺って、そこでようやく胸をなでおろした。どうやら既に出たらしい。安堵に浸ったまま脱衣所に赴く。
作品名:やわらかな獣 作家名:高橋