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【黒バス/黄黒】傍にいる不幸

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黄瀬は仕事のある日は大抵、ほんの少しだけ香水を身に着ける。しかしオフはいつも特有のにおいか、汗のにおいが鼻腔をくすぐる。
オフのにおいの方がいい。だって何にも隠されていないそのままのにおいの方が、よほど彼に似合っているもの。
「黒子っち、息、吸うんじゃなくて、ゆっくり吐いてみて」
「は、はぁ……は、ぁ」
「うん、そう。上手っスよ」
この声がどれほど耳に心地よく響くか、きっとこの世界中の多くの女の子たちは知らない。平面の彼しか知らない見知らぬ誰かにまで光を与えられるなんて、なんて優しい人なんだろう。それなのに、このぬくもりや声やにおいだけでは飽き足らないというのか、自分は。
なんて我儘だろう、許されはしない。
彼のものになりたい。
彼を、自分のものにしたい、など。
「苦しいの、まだ残ってる?ちょっとは楽になった?」
撫でていてくれた手と、彼のにおいが離れてしまう。もう少し、この人の体温を感じていたかったのだけれども。
「はい。大丈夫です。……ご迷惑をおかけしました」
「ううん。黒子っちが大丈夫なら、俺は……それで」
「黄瀬君……」
「なんて、ちょっとカッコつけっスけどね」
困ったように彼が笑う。躊躇わずに笑ってくれたことが寂しさを募らせた。この笑顔すら大衆に晒されているのではないかと思うと、余計に彼との距離を感じる。紙面に載るために何度も貼り付けた笑顔なら、躊躇など僅かもなく嬋媛の上に浮かべられるというのか。
……それは、なんて寂しいのだろう。
黒子以上に、彼自身が。独りよがりな同情に、視界がまた少し揺らいだ。
「……本当にすみません。もう、だいじょうぶ、です」
「でも、まだ泣いてるっスよ」
「これは……くだらない涙ですから」
「黒子っち……」
あの手が、再び頬に触れる。
あぁ、このあたたかさが愛しいのだ。
このぬくもりだけを求めているのだ。
けれども、自分だけに与えられはしないものだ。
人口に膾炙した彼の名前、切り売りされる表情、彼は真実、誰のものにもならない。まるで象徴のように。そうして彼は何を得るだろうか。お金でもなく、評価でもなく、もっと他の、もっと大事な部分に、何かを得ることはあるのだろうか。
何も持たず、欲しいものを手に入れられもしない自分には、些かも想像が出来ない。凡庸な自分には理解が出来ない世界の話だ。彼はそれほど、遠い人なのだ。こんなにも、近くにいるのに。
「きせくん」
「……ん?」
「さわって」
「へ?」
「もっと、触ってください。……もっと」
彼は何も求めるものが無いのだろうか。
――そんなはずはない。
彼の見せる寂寥のような、空虚のようなものはきっと、心の奥底で何かを欲しがっている証拠だ。さっきの苦笑のその奥に、貪欲な彼の真実を見た気がした。やはり目は口ほどにものを言うのだ。
彼は何を求めているのだろう。ありのままの黄瀬は、何か物足りなさを感じているらしい。けれどそれを埋めてやれるのは、こんながらんどうの自分ではない。
わきまえている。
この苦しさが、いつだって黒子を戒めているから。
彼のものに、一番になりたいなどと、そんなおこがましい考えは叶うわけがないと。
溢れだした涙は、きっと戒めが苦しすぎたからだ。締め付けられすぎて悲鳴を上げた心が漏れ出したのだ。
けれど強くならねばならない。もう二度と、誰の目にもこの苦しみが触れぬよう、特に目の前の、この少年に見せてしまわぬよう。
決して再びは悲しみを見せたりはしないから、せめて一寸、多くの人が知りえない彼の体温を味わうことを許してほしい。
これで最後だ、自分を甘やかすのは。自分の未熟な狡さを、黒子はまた嘲りしながら許した。男の右手を握る。頬を、耳を、首筋から顎を、辿ったそれは僅かに濡れていた。今は降ろされてしまったその手を見ながら、厚い胸板にこの矮躯に触れても、彼の手は腰に添えられることはなかった。……それが、彼の答えだ。
「くろこ、っち」
見上げれば無表情の中、黄朽葉がたゆたっていた。そんな顔は初めて見る。戸惑いのような、躊躇いそのもののような、見知らぬ表情は黒子を後悔させた。
身勝手で彼を困らせた、あんな風に、触れなどと。さぞかし気持ちが悪いだろう。だがそれをはっきりと言わないところが彼らしい。黒子はその優しさに、少しだけ付け込むことにした。
広い背中に腕を回し、胸に顔を埋め額を擦り付けた。彼のにおい、ぬくもり、この僥倖を独り占めするのはこれが最初で最後だ。
ずるいだろう?また甘やかして、人を利用して、自分の心の安泰を得ようだなんて。
だから嘲笑してほしい。悪徳を積み重ねるこの身を、より脳に近いところに響く、愛しい低音で。左手まで惑って、動けなくなってしまった彼の身体は驚きからか困惑からか、硬くなってしまっていた。言い知れぬ苦しみがいっそ甘く痛んで、困らせているとわかっていながら、黒子は涙も流さずひたすらに彼の体温を味わい続けた。
頭上からぽつりと雨粒が落ちてくる。その雫の意味を想像するのは、苦しくなるのでやめておいた。


傍にいる不幸