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【赤黒】その爪先の小さなひび

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「黒子はみていると疲れるな」
 彼は少しも疲れてなどいない顔で楽しそうにそんなことを口にした。出会ってすぐの頃だった。
 なんのことはない部活の帰り道にシェイクを買って飲んでいたとき、偶然彼と店の前で会った。彼は僕の持っていた物に目をとめて「それが好きなのか」と尋ねた。
 はい、と答えようと思ったけれど、先に隣にいた青峰君が「赤司、知らなかったのか。コンビニなら必ずバニラアイスを買うぐらいバニラ好きだぜ、こいつ」と答えてしまったので、僕はただストローをくわえたまま頷いた。
 そしてじろじろと赤司君の視線を受けたかと思うと、彼は「なるほど」と頷き、そして先の言葉を口にしたのだった。
 その意味を尋ねたが彼は笑っただけでそのとき答えてくれなかった。



 
 
 帝光中学校の図書室が所蔵している本は膨大で、その中には戦前のものもあった。それを保管しているのが地下の別室だった。
 日が当たらず、ひんやりとした空気と古い紙の匂いが漂うその部屋を訪れる生徒はほとんどいない。読書のために用意された机や椅子もわずかに部屋の端に用意されているだけだった。
 入学したときに一度だけ案内される地下の書庫のことを思い出す生徒も少ないのか、一階の自習室が受験勉強をする生徒で埋まっていてもここでは誰にも会うことがなく、おかげで自分ひとり本の世界に没頭することができた。
 自分もまた受験生であり、余裕がある成績ではなかったが昼休みだけは自分の趣味である読書に使おうと思っていた。それも誰にも邪魔されず、できればなにもない場所で。そんな時間が自分に必要だと思ったからだ。
 本を読むのに静けさを求めるようになったのは最近のことだった。
 昔から影が薄い自分はざわついた教室でも声をかけられることはほとんどなく、おかげで多少騒がしい空間でも意識は本だけに集中することができていた。
 けれど中学生活でそれが変化した。ふと気づくとバスケ部のメンバーが自分の周りにいることがあったからだ。
 自分の机で寝ればいいのになぜか僕の前で後ろを振り向いた状態で寝ていたり、買ったばかりの雑誌を読みながらおしゃべりをしていたり、ひたすらお菓子を食べている友人たちに囲まれ、僕の意識は本の世界と現実の半々になった。
 最初はその状態に戸惑ったが慣れてしまうと今度はそれが日常になる。ほんの少しだけ友人たちの動向に意識を傾けながら読書をするのが楽しかった。
 けれど今はそれがない。
 僕はその状態にまだ慣れていなかった。もう以前のような時間はないというのに教室で本を開くと周りの音に耳を澄ませている自分に気がついた。そして顔を上げるとそこには誰もいない。
 だから図書委員ぐらいしか覚えていないこの場所に足を向けた。最初から何もない沈黙だけが続く場所なら自分は期待しなくても済む。それは昔、僕がバスケ部を辞めようと思ったときの気持ちに似ていた。
 純文学のコーナーから一冊本を手に取り、六人掛けの机の端の席に座る。
 紙に浮かぶ文字の羅列に読み取ることに没頭していると、ふとガタンという物音で意識を現実に引き戻された。
 はっと顔をあげるとあせた色に慣れた目に鮮やかな赤い色が飛び込んでくる。
「赤司君」
 自分の声はあからさまに動揺していた。目の前の席に座る彼は悠然と微笑み机に肘をついて僕を見ている。
 いつの間にこの部屋に入り込んだのだろう。地下に続く階段を降りる音も静まりかえっている室内を歩く音も何も聞こえなかった。
 突然あらわれた存在を一瞬幻覚ではないだろうかとも思ったが「久しぶりだな」という声で我に返る。
 彼自身は簡単に声を荒げたりしない人間なのに、凪のような穏やかな空間でもそこに存在するだけでさざ波が立つ。そんなひとだった。
「お久しぶりです」と応えながら視線を手元の本に戻すことができたのは自分の意地だった。動揺を気づかれてはいるだろうとは思っていたが、それを外には出したくはなかった。幸いにも自分はそうしたことが癖のようになっていた。
「相変わらずだな、黒子は」
 くすりと笑う声がかすかに聞こえる。
「なにがでしょうか」
「おまえを見ているのは疲れる」
「以前もそう言っていましたね」
 一年以上も前のことだけれど、彼は覚えているだろうと思った。
「そんなこともあったな。あのとき、俺はおまえの問いに答えなかったけれど訊きたいか?」
 僕は答えなかった。興味が無いと言えば嘘になる。
 迷いを見透かしたように赤司君は続けた。
「人の感情は表情や行動、言動にあらわれる。今、おまえは俺の問いに迷っただろう。ほら目の動きが文字を追いかけていない」
 言われてぎくりと気づく。先ほどまで文字を追いかけていたはずの僕の視線はある一文のところで止まっていた。
「青峰なんかは楽だな。感情を全身であらわしている。嘘が下手なんだろうな。相手が傷つくと思っていて身体が素直だ」
 彼が言っているのは僕と拳を合わせてくれなくなった青峰君だと気づいた。僕が傷つくとわかっていながら、それでも手を伸ばすことができなかった僕の相棒。
「時々俺が人の心がわかるのではないかと言ってくるやつもいるがそれは違う。人には癖がある。嘘をつくとき人は左上を見るという説があるが、それを知っている人は意識して左上を見ようとしないだろう。でも俺に言わせればそれだって癖だ。……ああ、今度は二三行飛ばしたな。視線が動きすぎだ」
 形ばかりは読書の体裁を保っていても彼の視線を感じる。無駄であることは自分がよくわかっている。それでも僕はこの意地を続けなければならなかった。
「それで、僕のなにがきみを疲れさせるんでしょうか」
「黒子、おまえは表情も動作も感情に対してぶれが少ないんだ。無いわけではないけれど他の人間より見えにくい。だから俺はおまえを長くじっくり見なければいけない。だからおまえは見ていて疲れる」
 少し意外だった。自分のひとつひとつの動作が目立たないことは知っていた。けれどそれに気づき、武器としたプレイスタイルを教えたのは彼なのだ。まだ何も身につけていなかった僕を見つけた彼が僕を捉えにくいということがあるだろうか。
 なにより僕は確かに表情が乏しく感情を表に出すことは少ないかもしれないけれど、青峰君ほどではなくても正直な性質であると思っていた。
 現に僕は今こんな場所に逃げている。バスケ部から。懐かしい思い出の時間から。誰が見ても明らかだ。
 だから彼が言っているのはもっと深いところにある僕の感情が読み取りにくいということなのだろう。
 ーーなぜ今さらそんなことを。
 それに気づいてしまうと思わず非難めいた自分の声が暗く沈んだ心に浮かぶ。
「じゃあ、見なければいいんじゃないでしょうか」
 言った後で彼に限ってそれはないだろうなと思った。彼はいつでも周囲を見ている。ただ見ているだけなのにそれは観察と同じ意味を持っていた。
 僕たちにとってはいつもと変わらない風景でも彼にとっては違う。昨日は蕾だった花がひとつでも咲けばそれは変化であるし、並べられた本がほんの一冊入れ替えられただけでも違和感を覚える。