幻影桜花
この炎こそが青鎮めと呼ばれる所以。燐が刀を振り上げ、枯れた古木に向かって振り下ろす。刀から放たれた青い炎が逝ってしまった山の主を包み込む。同時に古木を枯らす原因となった穢れが浄化されてゆく。穢れが黒煙となって消えていく様を雪男はただ見つめた。
鬼と対峙するのはこれが初めてではない。けれど、言いようのない悲しさに胸を押さえた。何度経験しても慣れはしない。
鬼となった神。その原因の多くは人だという。何時になったら人は気付くのだろう。人が文明の利器を追い求める陰でこうして散りゆく命があることを知らない。人もまた自然の一部である。いつかその代償を払う日が来るのかもしれない。そのときになって初めて失ったものの大きさを知るのだろう。
「倶利伽羅」を抜き、燐は身を青く染め静かに舞う。彼が動くたび青い炎が尾を引き、揺れる様は深い海を照らす一筋の光のよう。――美しかった。
涙が、溢れだす。雪男は流れる涙をそのままにただ逝ってしまった同胞を痛む神の姿を見つめ続けた。
*****
「そうか、逝ってしまったか」
雪男の通う学校を去ったのち、燐は白山の鎮守の元を訪れた。日はすでに沈み、辺りを宵闇が支配していた。
希妃は本体であるなぎの枝に立ち、枯れた古木が眠る方向を見つめた。燐もまた彼女の傍に立ち、先ほどまでいた場所を見やった。
「人を、食らおうとしていた」
燐が見たことをありのまま伝えると彼女は何も言わず、ただひたすら彼方を見つめていた。
「でも、鬼と化すことはなかった。――最後には笑って逝ったよ」
「そうか」
ふふふ、と希妃は微笑むと歌を口ずさみ始めた。それは穏やかで、どこか懐かしさを覚える。問いかけた燐に白山の鎮守は懐かしいと零した。
「――遠い昔の話だ。われがまだ年若き時代、ふらりと立ち寄った先で聞いた歌だ。歌っていたのはそれは美しい桜でな。とても心地よくて、何度聞きに参ったか。――懐かしい」
白山の鎮守は微笑むながらもその頬を一筋の涙が流れ落ちた。また一人、古の神が姿を消した。何も語ることなく、静かに、静かにただ佇む山の主の姿が燐の脳裏に蘇った。逝ってしまった古木は、永遠に、静かなのだ。こうして同胞の最期を見送るのは胸が疼く。燐はほうっと息を吐いた。
何時の日か、己もまた朽ちる日が訪れるだろう。
それは生として生きる者の定め。たとえ、神と崇められようとも決して逃れられぬものである。
命尽きる終焉の時が訪れたのならば、血と共に神名を読む力を受け継いだ彼の少年に見送られたいと思った。