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幻影桜花

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いくつもの映像が流れる中、樹を見上げる男の姿が見えた。歴史の授業で習ったあれは平安時代の服装だろうか。京都の祭りで見たことのある古い服装を纏った男は、雪男とよく似た面差しをしていた。けれど、雪男よりも幾分も年を重ねた姿である。彼は青い瞳を真っすぐ注ぎ樹を見上げ、微笑んだ。紫色の衣に淡い桜の花弁が舞い降りる。若々しく空に伸びる幹に触れ、彼は囁いた。
「あなたは、ご自分の役目を存じていらっしゃる。そして、あなたの願いはこの山とともにあること」
山の主が花をつけると山全体が喜びに溢れ、活気づく。そして、同時に山全体の空気を浄化させ山の奥から降りてくる陰の気を遮り、山里までも護ってきた。
男はやわらかく微笑むと幹から手を離し、「さようなら」と呟きを残し去っていった。男にはこの樹の名が分かっていた。分かったが口には出さない。名に縛られなくとも彼女は役目を十分果たしていたからだ。樹の合間から彼女は青年の後姿を見送った。その瞬間、雪男の脳裏に流れ込んできたのは一つの名だった。
それと同時に今まで満ちていた禍々しい気配が成りを潜め、静かな空間が満ちる。
(――そなたの気配、覚えがある。遥か昔、妾の前に現れた……。そなたはあの男の血に連なるものかえ?)
今まで不気味に揺れ続けていた樹が動きを止めた。そして見えたのは先ほど脳裏に流れ込んだ衣を纏った女が樹に重なる形で見えた。けれど、その姿は似ても似つかぬものだった。肌は茶褐色になり扱け、深く刻まれた皺が顔全体を覆っていた。右頬が爛れ、黒く変色しぼろぼろと崩れてゆく。腐っているといった方が正しいのかもしれない。崩れかけた鼻と目のある個所には二つの暗い穴があるばかりだった。その穴から見えた小さな光は今にも消えてしまいそうだった。
(昔、人にして、ただの人にあらない者がいた。我ら一族の本質を見極め名を与えることが出来た。名を与えるとともに、その者にとって真に相応しい道をもまた、示す。そなたはあの者の血に連なるもの……)
「――名?」
(そうじゃ、名じゃ。そなたには見えておろう。妾の真の名が。当時の妾はまだ美しく、十分に輝いていた。妾は妾の成すべきことを分かっていた。あの者は妾に名を与えることなく去っていった……だが、時は無情に流れ、妾は変わった)
山の主は雪男に向かって手を伸ばすと、はらはらと涙を零した。二つに開いた穴から止めどない涙がこぼれ落ちる。
(妾は、醜い。――そうであろう?妾には分からぬ。かつては分かっておったのに、今は分からぬ。お願いじゃ、教えてたもう。名をつけてたもう。そなたには出来る筈じゃ。妾はこれからどうすべきなのじゃ?)
鼻をつく腐臭に眼前にいる山の主の顔を直視することが出来ない。問われるが何も言い返せない。雪男に向い必死に手を伸ばし泣き続ける山の主が哀れに思えた。
「僕は……」
「雪男!お前は黙っていろ!」
長い髪に絡みとられたまま微動だにしなかった燐が突如飛びあがり、雪男の目の前に立ちはだかる。そして、山の主を睨みつける。
「名のある者と思って礼を尽そうとしたが、雪男に何かするつもりなら容赦はしない

彼女を見据える瞳は怒りのため、青く燃え上がっていた。
雪男が抱えていた「倶利伽羅」はいつの間にか彼の手におさまっていた。刃を抜いた燐は迷うことなく山の主に向かい構える。その時再び見えた映像に雪男はとっさに朽ち果てようとしている古木の前に立ちはだかっていた。
「――どけ、雪男!もう、ここにいるのは神じゃない。生に縋った鬼がいるだけだ!」
「違う!彼女は鬼なんかじゃない!彼女は護りたかったんだ。この山を、ここに生きるすべてのもの達を護るために生きたかっただけだ!すべての原因は僕ら人間だ!」
この山に学校が建てられると決まったと同時に多くに人間がこの山に入り、山の主が護る神域を踏み荒らしていった。穢れを負った草木の動物たちの悲痛な声に山の主は胸を痛めていた。樹の奥から枯れてゆく木を、花々を見つめ、泣いていた。この山は彼女にとって愛すべき子らだった。長き年月を共に生きながら、また死んでゆく姿を見送り新たに生まれた命を見守ってきた。人により荒らされ、穢れを負った彼らを放ってはおけなかった。だから、彼女は穢れを身に負うことを決めた。それが彼女の本体である山桜を枯らす原因となった。
すすり泣きが辺りに響き渡る。山の主の泣き声に同調するかのように辺りの木々が枝を震わせる。山が、泣いていた。母のようにずっと見護り続けてくれた主の姿に泣いていたのだ。直に感じる悲しみに胸が詰まる。雪男は山の主に向き直るとそっと囁いた。
「あなたはずっとこの山を護ってきた。だから、残してゆく彼らのことが心配でその想いが生への執着を生んでしまった。もう、心も体もボロボロなのに」
雪男はゆっくりと山の主へと歩みよった。そして、うずくまり、震え続ける彼女に手を伸ばした。
「あなたは、もう十分この山を護ってきた。今度はその役目を僕ら人が負うべきなんだ。あなたが愛した彼らはあなたが鬼になることを悲しんでいる。だから、もうゆっくりと休んでほしい。神に許しを与えるなどとおこがましいかもしれない」
それでも雪男は囁いた。それが彼女の願いであり、彼女の愛する山の願いでもあった。
「もう、終わりにしていいんだ……陽春姫(ようしゅんひ)

“無性の愛を囁く誇り高い春の貴婦人”
それが彼女の真名。
雪男が囁いたと同時に山の主の胸から眩い光が漏れ、はじけ飛ぶ。彼女の輪郭が崩れ、視界を覆ったのは無数の花弁。花吹雪が押し寄せてきた。息が出来ない。腕を顔の前に掲げ、ただ、通り過ぎる花弁を見送るしかない。
光に包まれた桜吹雪の奥で見えた光景が胸に焼きつく。


はらり、はらり。
舞い散る花弁の中央に佇む人影。
色とりどりの衣を幾重にも重ねた十二単を纏った彼女は山の主である。
長い艶やかな黒髪に縁取られた白い陶器のような顔。
煌く瞳は穏やかであり、舞い散る花弁と同じ色をしていた。
紅をひいた唇がそっと囁く。
聞こえてきた声は感謝の言葉。
微笑む彼女は美しかった。
陽春の貴婦人は光に向かって歩いてゆく。音もなく優雅に衣を翻しながら。
立ち止まり、雪男に向い妖艶な笑みを一つ浮かべた。
それが最後だった。
その笑みを最後に彼女は、もはや、振り返りはしなかった。



光が遠のくと同時に辺りに静けさが戻る。
しえみを捕まえていた枝は力なく崩れ落ちた。解放された彼女を雪男は受け止め、目の前の山桜を見上げる。古木は今度こそ枯れてしまった。鬼になる前に彼女は永遠の眠りについた。吹き抜ける風がどこか寂しげに感じた。山の木々は、動物たちは皆気付いている。山の主が永遠に去ってしまったのだと。もう、彼らを優しく見守り、土壌を与え、包み込んでくれる母はいないのだ。
ある者は恩恵を失った痛みに耐えきれず彼女と同じ道を辿るかもしれない。ある者は悲しみに耐え、彼女がいた大地に根を張り己の力のみで永く生きるかもしれない。それは誰にも分らないのだ。
「今度こそ、枯れたか……」
隣に佇む燐が静かに言った。そして刀を構えると目を閉じた。そして、彼を包み込んだのは青い炎だった。
作品名:幻影桜花 作家名:sumire