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悲しみなんて感情はいらない

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 シャーロックは「心がない」とよく他人に言われるが、彼と少しでもまともにコミュニケーションをとることができれば、その言葉が彼の断片を表したにすぎず、実際には彼が色とりどりの表情を見せることに気づくだろう。
 驚きや苛立ちの表情はもちろんのこと、自身の最大の敵と目する兄が目の前にいたら嫌悪を隠そうともせず、難解な事件に出会った時は飛び跳ねて全身で喜びを表現しているし、事件に取り組んでいる姿は酷く楽しげだ。
 だがしかし、シャーロックには昔から「悲しみ」という感情が分からなかった。
 周囲の人間が時折よくわからない、しかし同じ種類であろう感情らしきものを見せる。他の人はそれを「悲しみ」と評する。数多の本にその感情が実在しているように書かれている。そのことから、彼は生まれて早々「自分にはこの感情はないがどうやら世間では存在しているらしい」との評を下した。それから彼は人々を観察して、また、本で表現されている様々な「悲しみ」を読んで、人間が悲しみによってどのような表情をし、涙に流し、声を枯らすことを学び、それを「演じる」ことはできるようになったが、ついに「彼自身の悲しみ」が表情に現れることはなかった。

 ……とシャーロックは思っていたのだが、実をいえば、確かに表情には出ておらず、彼自身はそれが「悲しみ」だと気付かなかったが、本当は彼は「悲しみ」を知っていた。それに唯一気づいていたのがシャーロックから煙たがれている実の兄、マイクロフトであった。
 彼は、シャーロックから自分が悲しみを感じない人間なのだといわれたことはないものの、そう思い込んでいるであろうことは知っていた。同時に、彼は稀に弟が悲しみを感じていることを知っていた。
 あるときは、シャーロックは、いつもどおりに明晰な頭脳を働かせながらも、そのマインドパレスを無意識の内に悲しみの色一色に染めあげていた。またあるときは、さまざまな色が混ざり合って結果的に黒に近い色になるように、悲しみに関する複雑な感情が煮詰まって結果無表情になってしまっており、あるときは、既に彼の表情筋が悲しいときどのように動かせばいいのかすっかり忘れてしまって、やはり無表情になって自分の内から溢れだす謎の感情に途方に暮れていた。そして彼は、行き場のない謎のブラックボックスに、彼らしくもなく、色々と理屈をこねてあれやこれやと理由をつけて自分を無理やり納得させていた。
 表情に出せない感情が行きつく先は、行動であった。彼の心を動かし、揺るがすほど悲しみが感じられると、彼は胸を締め付けるような、それでいて惹きつけるような溢れて零れる想いをバイオリンの音色にのせ、それならまだしも稀に彼は霧の深い森の中にふらりと入って立ち消えてしまうような、そんな危うさを見せたりもした。そのたびにマイクロフトは、シャーロックが嫌がるのを知っていながらも遠巻きに彼の世話を焼いて、なんだかとても哀しい気持ちになってしまうのだった。

 だがしかしマイクロフトのそのような思いはシャーロックの視界には入っていない。相変わらず彼の中のマインドパレスの中にある展示室(「所有物」ではない、念のため)の一角には、「愛情」の隣に「悲しみ」が陳列されており、シャーロックは自身の宮殿の中であるにも関わらず、まるでそれらの展示物が今にも自分に襲い掛かってくるのを警戒しているかのように、遠巻きにそれらを睨みつけているのだった。

 だから、彼女の言葉は、まさに青天の霹靂だったのだ。
 自分が、彼が見ていない時に悲しそうな顔をしている。
 まさか、と思った。しかし、モリーは確かに少し変わった人間かもしれないが、人の感情を読み違えるような人間ではなかった。それどころかシャーロックは、彼女が自分の心中を言い当てたことにどこか驚いてもいたのだ。 そのとき賢い彼は、自らの宮殿の展示室のガラスケースを恐々と開き、――鍵などいるまでもなかった――初めて「悲しみ」を直に見た。そしてそれを手に取り、触れて、感触を確かめて、ようやっとそれらの展示物が「他人のもの」や「模造品」ではなく「元々自分のもの」であったことを認めたのである。いや、渋々ながらも認めざるを得なかったというべきか。何故なら、それらのものには、彼自身なのか、それとも過干渉な兄か、それとも彼の母親か、それとも彼の助手なのか――誰が書いたのかわからないが、まるで親が子供の持ち物に名前を書くように、少し見ただけではわからない場所に「シャーロック」と書かれていたのだから。

 彼はそれを抱きしめることができず、両手でそれを持って、じっと対峙していた。それは、どこか人間が「気持ち」を表す形に不思議と似ていた。耳元で、彼の声がする。シャーロックを信じている、と聞きなれた、意志の強い声がする。それだけで「心がない」といわれた彼の感情は大きく震え、きりきりと締め付けられる。そこにはバイオリンはなかった。宮殿の中の彼は両手で「それ」を持っていたが、現実の彼が持っていていたのは彼とその親友を繋いでいる電話だけであった。ふらりとどこかに消えてしまうわけにもいかなかった。一歩先に歩いただけで真っ逆様、一歩後ろに引いただけで彼の友人たちの命が失われてしまう。自分の立てた計画は完璧だったが、慎重に期する必要があった。計画が成功すれば、彼らは助かるし、自分は帰って来ることができる。彼の、彼らの待つこの街へ帰ってくることができる。一体全体どこに悲しむ必要があるのか、と浸水する宮殿の中で彼は両手に持っていたそれに尋ねた。けれどそれはただただシャーロックの血潮のように脈打つだけであった。その脈打つそばで、彼の親友の声がする。普段シャーロックは感情とは脳が作り出すものであるといっているが、そのとき彼は彼の胸が痛むことを否定できなかった。彼の宮殿はまるで海に投げ出されたかのように荒波に襲われている。シャーロックは両手で持っていたそれを片手で抱えて、押し流されないようにもう片方の手でそれが入っていたガラスケースに掴まっていた。しかし彼の片手で抱えられたそれからは感情が流れだし、また、彼の宮殿の他の部屋に収められていた様々な「感情」も流れ出して、波にとけていく。その波は、親友の声に合わせて勢いを増し、ついには堅牢な城壁さえも飛び越えてしまった。彼は親友に自身が宮殿の中で溺れてしまいそうだと告白することを耐えねばならなかった。彼の眼からは宮殿から溢れ出てしまった海水がこぼれ出た。
 そうして、彼はついに、片手で持っていたものを手放したのだった。

 宮殿の水はまるで魔法だったかのように引いて行った。彼は大きく息をつき、「悲しみ」が保管されていたガラスケースに縋りついてた手を放した。そして両腕を広げ、飛び立つように、宙に身体を投げ出したのだった。







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