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 アイリーン・アドラーが死んだ。
 それを聞いたときのジョンの心境を説明するならば、顔見知りの死を悼む気持ちと、本人がどう言おうと彼女に懸想していた友人を気遣う気持ち、そしてほんのちょっぴりの後ろめたい安堵と優越感と、それよりも小さな、しかし他の感情に隠れずに確かにあった、地団太を踏みたくなるような悔恨の気持ちだった。その悔恨を分析して、分解して、わかりやすくするとこうなる。

「ずるい、こんな気持ちを気付かせて、それで君だけ綺麗なまま永遠に届かないところにいってしまって、彼にずっと想われるなんて!」

 彼女に芽生えていることを教えられたその花は、しかし恋ではなかった。少なくともジョン自身はそうは思っていない。その、彼に向けた感情は、かつて、彼と出会った初めは尊敬や親愛で彩られ、やがてどんどんと男同士の友情の色を深めていった。それが変色し始めたのは、やはり彼女の登場が切っ掛けだっただろう。彼女はそれを「嫉妬」だと、彼を愛しているからだと評したが、前者はともかく後者はジョンは認めることはできなかった。そう、「嫉妬」に関しては、彼は表面では否定していたが、心の奥底では認めていたのである。キラキラとした友情の色をしていたはずのそれは、いつしかもっと複雑な色を浮かべていた。暗い色ではなく、ドライアイスが沈殿しているような有様だった。
 その「嫉妬」は、時折探偵がジョンがデートに行くときに見せるようなものではなかった。彼の精神は12歳の子供である。彼の嫉妬はビビッドで、ひねくれているようでわかりやすい。しかしジョンは大人だった。少なくとも探偵よりは大人で、俗人で、常識人で、それでいて戦場を楽しむという少し常軌を逸した人間だった。彼の「嫉妬」は探偵のものよりも地味な色をしていて、気付かれないように何重にも包まれて、それでもジョンから根を下ろして、地面に潜って、色んな方向に折れ曲がって、それでも健気に探偵に向かっていた。それをアイリーン・アドラーに見抜かれたのだ。君がいなければこの「嫉妬」も芽吹くことも自分自身に気づかれることもなかっただろうに、とジョンは内心むっとしていた。そう、彼女が出現する前までは、このシャーロックに向ける感情も、いくらか行き過ぎの気もあったとはいえ、普通の綺麗な色をしていたのである。「彼をわかっているのは自分だけだ」という、誰でも誰かに持っているような、少し行き過ぎた優越感か保護者感。そしてそれまで治る見込みのなかった脚のPTSDや悪夢でさえも魔法のように消し去ったことからのほんの少しの崇拝、もしくは信仰。シャーロックがその大人びた外見に似合わず時折見せる子どものような純真さや純粋さも、俗離れした神聖さを感じさせる傾向を強くしていた。少々突飛な色も含まれているとはいえ、当時のジョンが持っていた感情は、それでも単色に近い色をしていた。
 それがアイリーンが現れたことにより、ドロドロと色を変えてしまった。ジョンは流石にシャーロック程は敏くはないが、それでも人の感情に限っては彼よりも敏感な方だと思っている。彼らがお互いに向ける感情が、少々形を変えた(ように見せかけた)恋愛のそれになるだろうということには、もしかしたら三人の内の誰よりも早く予見したかもしれなかった。そのような思い合う成人した男女二人にとって自分が邪魔者だとは気付いていたが、といって退くこともできなかった。ああ、彼らが探偵の部屋で互いを見つめ合っていた時に自分のミドルネームを叫んだ時のいたたまれなさといったら! といって、ジョンはシャーロックが時々するように、二人の間を邪魔することはしなかったし、できなかった。彼は多少変わったところはあっても、それでも大人であり、常識人だった。彼は口を引き結んで彼らを見守ることしかできなかったのだ。

 だがしかし、敵は去った。彼に強烈な敗北を与えて。良心から彼女が証人保護プログラムにより保護されてもう会えないといった彼は、結局良心の呵責から真実を伝えようとして、それを遮るように探偵から彼女の携帯を渡すように頼まれた。そのときジョンは彼がその携帯を欲しがる理由を尋ねる権利はあるはずだ。しかしできなかった。シャーロックは決して本当の喋らないだろうし、また本当のことを話されたとしてもジョン自身がそれを聞きたくなかったのだ。
 手酷い敗北だった。もっとも彼の敗北は彼女が一度身をくらまして、シャーロックが表情に出さずにバイオリンで悲しい曲ばかりをひいていた時点で、目に見えていたのだけれど。

「奴は大変なものを盗んでいきました。貴方の心です」。一体どこで聞いた言葉だったか、しかししっくりくる。彼女は彼の心の欠片を持って行ってしまった。それは決して帰ってくることはない。
 しかし、ジョンは最初に書いた通り、彼の元来の人の好さから彼女の死を悼み、彼女に思いを寄せていた友人を気遣い、そして安堵と優越感と悔恨を感じた。悔恨については既に説明した。では彼が感じた安堵と優越感はなんだったのか。これも安易に予想できるように、彼女は手の届かない場所にいってしまい、綺麗な姿のまま、彼のマインドパレスの中に大事にしまわれるのだろう。彼があの携帯電話を自分の鍵の付いた引き出しの中に閉まってしまったように。シャーロック自身はよくジョンの鍵のついたデスクもパスワードを仕掛けたページもすぐ開けてしまうくせに、ジョンは開くことができない場所に。そう、きっと彼女の話は、彼の宮殿の中でまるでヴィンテージのように、一時の美しい、息をのむような華やかな思い出に変わっていくのだろう。
 だが自分は違う。自分はこれからも彼の隣を歩き続けるつもりだ。それこそ、どちらかの息が絶えるまで! シャーロックの横は、ジョンの永遠の予約席であった。もし将来ジョンに素敵な奥さんができて、彼女にねだられたとしても、これはちょっと譲れない位置だった。そしてアイリーンが亡くなり、どうやら自分はその特等席を譲らなくてもよさそうだということに彼は安堵し、優越感を感じたのだった。しかし何度も描いている通りジョンは少々ねじが外れているところがあるだけの普通の善良な男だったので、自分がこの小さな小さな安堵や優越感を持ったことをひどく軽蔑し、恥じた。