LOST ③ 後編
表面をゆっくりと指で撫でて、意を決してリボンを解いていく。包装紙を破らないように苦労しながら開いて、中から現れてた箱を数秒見つめて、緊張した面持ちでそっと開いた。
箱を開けた瞬間に、チョコレートの甘い香りが鼻腔に広がる。不思議な形のチョコレートは、器用に何でもこなす木手のイメージにそぐわなくて小首をかしげた。
その少し意外なチョコレートの所為か、緊張が解けた平古場は一つ摘まんで口の中へと入れた。
口の中で溶け出したチョコレートを噛んだ瞬間に、平古場は目を大きく見開いた。
「苦い!!!」
甘かったのは一瞬で、舌に痺れるような苦味が襲い来る。しかも、平古場が大嫌いなゴーヤの味だった。何度も木手に無理やり食べさせられたことがあったから、そのよく知る苦味が口いっぱいに広がって眉を思いっきり顰めた。口元を押さえて、吐き出さないようにするのが精一杯で、口の中にあるゴーヤチョコを噛むことも飲み込むことも出来なかった。水を探して、鞄を漁れば飲みかけのペットボトルが出てきた。一気に水を飲んで、チョコレートを喉の奥へと流し込む。どれだけ水を飲んでも口に残る苦味は何時までも消えることはなかった。
明日、朝錬の時に文句を言ってやろうと心に決めて、箱の中に残っているチョコレートを睨みつける。緊張感も浮かれた気分も一気に醒めてしまった。
チョコレートの箱を机に置いた後、片足を椅子に上げて膝に顎を乗せて箱を見つめる。
どれだけゴーヤが好きなんだと苦々しく思った。今日はついてないな、なんて考えが過ぎってため息が零れた。
チョコレートを貰って浮かれて、縮んだと思っていた距離はまた遠く離れた。
木手が見つめる先を見てみたいと言った言葉に嘘は無い。ただ、一番近くで見たいと思った。その隣に立って、見てみたいと何時の頃からか願うようになった。
木手が、たった一人で背負おうとしているものの大きさに気がついたのは、秋の西日本大会を見に行った時だ。そして、比嘉しか興味のなかった平古場に、もっと強い世界があることを教えてくれたのも木手だった。テニスを始めて心の底から楽しいと思い始めたのも、強い相手ともっと戦いたいと思ったのもあの日からだった。
木手から与えられたものは数え切れない。
その中でも、平古場の胸に芽生えた特別な感情は何より大切なものだった。
けれど、木手が大切なものと、平古場が大切なものは違う。だからこそ、そこから生まれるズレがお互いの距離を離している。
木手にとって一番大切なこと、それが何かなんて痛いほど知っている。何が大切かなんて見ていれば分かる。
知っていたのに、平古場ではないと分かっていたのに。
もしかすると、その胸に平古場と同じ気持ちをいつか抱いてくれるかもしれないと、淡い期待をして今日まで歩いてきた。
でも、木手が見つめる先はいつもたった一つだけだった。
どうすれば、木手との距離を埋められるのだろうかと、平古場は必死で考えた。ただ、傍にいるだけではきっと木手と並び立つことは出来ない。ただ、単純に傍にいたい訳でもなかった。
その隣に立って、同じ未来を見たかった。寄り添って甘い言葉を交わし合うだけではなく、共に戦って勝利を分かち合いたい、傷ついて立ち止まることがあればその背中を押してやりたい。
共に未来を歩みたかった。
その為には、木手から与えられるだけでは駄目だった。平古場が木手に渡せるものは何なのか。答えが見えそうで見えなかった。平古場の脳裏に浮ぶ、あの真っ直ぐに立つ背に追いつきたかった。
机の上にあるチョコレートを摘み、外側にコーティングされているチョコレートの部分だけ舐めた。
「やっぱり、にげぇ……」
その味は、まるで今の平古場の心情を現しているようだった。眉を顰めながらも、残りのチョコレートを口に入れて無理やり飲み込み、胸を押さえて顎を乗せていた膝を抱え込むようにして蹲る。
「一生忘れられない、バレンタインになったな」
苦い笑いを零しながら平古場は小さな声で呟いた。
こうして、木手はまた一つ平古場に新しい感情を与える。忘れることが出来ないほどの痛みと共に。
「永四郎の、ふらぁー……」