LOST ③ 後編
話しが出来る距離まで二人が近づけば、周りの心配そうな空気が嫌でも伝わってきた。背中に回されていた甲斐の手が、平古場のユニフォームをぎゅっと握るのが分かった。だから、大丈夫だと心配するなと伝えるために甲斐の背中を軽く叩いた。きっと心配だから、一番に傍に来てくれたのだろう。そんな甲斐にもう心配をかけさせたくなかった。
「永四郎。もう、晴美ちゃんにあんなことしない。わんが悪かった」
「そうですか。……俺も、少し言いすぎました」
「部の為を思ってのことだろ?だったら、謝る必要はねーよ」
「……この先、きっと俺は君の意志にそぐわないことを言うでしょう。それでも構わないと……?」
「ああ、永四郎が目指す先にあるものをわんは見てみたい」
今までも散々喧嘩はしてきただろうが、と笑いながら言えば「それもそうですね」と苦笑が返ってきた。ほっとした雰囲気が辺りを包んで、戻って練習の続きをしようと足を学校へと向けた。その時、平古場の目に田二志の背中が映った。
にやり、と笑った平古場は勢いよくその背中へと飛びつく。驚いて変な声を出す田二志に、落とすなよと少し焦った声でしがみ付いた。
「ぬーよ、凛!降りろ!!」
「ふらぁー。元はと言えば、やーがこけたのが悪いんばぁ!鍛える為にも、わんを背負って学校まで帰るやっし!!」
「なんでか!!」
「あーー!!わんも、わんも!!!」
甲斐は平古場のジャージの上着を引っ張って小さな子供の様に駄々をこねる。
「定員は一名やっし」
「凛、ずるい!!」
「裕次郎、わんが背負ってやろうか?」
「寛ぃーー!にふぇー!!」
全身からハートが飛んでいるのが目に見えるのではないかという喜び様で、甲斐は知念の背中に飛びついていた。一気に賑やかさを増した友人達に、小さくため息を吐いて木手は少し後ろを歩いた。
田二志と平古場は降りろ降りないと喧嘩しながら歩いているし、甲斐と知念はそんな二人を眺めながらのんびりと歩いている。
そんな四人の姿を見つめながら、木手の周りが随分と賑やかになったものだと思った。前までなら、部内ではただ一人浮いている存在だった。それを気にしたことは無かったし、木手の掲げる『全国大会優勝』という同じ志を持って、部活に望めないチームメイトなら切り捨てて行くだけだと思っていた。
対戦相手も部員ですら、自身の願望を叶える為に傷つけてきた自覚が木手にはあった。どんな手段を講じようとも、『沖縄の力を全国へ示す』ことが何よりも木手にとって大切なことだった。
傷つけられれば痛いことなんて、十分すぎるほど知っている。
だからこそ、痛みも苦しみも悲しみも全て『力』に変えてしまえばいいと思った。
それが他者から見て、どれだけ間違っていることだったとしても。
そんな木手だからこそ、今の様な環境になるなんて思ってもいなかった。他のメンバーが本音ではどう思っているかは知らないが、木手ただ一人だけでもその志をいつだって胸に宿して過ごしてきた。
あの日、心に誓った望みを叶える為に。
その考えが浮んだ瞬間に、あの辛く苦しい夢を思い出した。
あの夏、惨めに負けた試合の終りを告げる審判の声が、今でも耳にこびりついて離れない。眩暈がしそうなほどの怒りが今も尚、木手を襲い続けている。
そんな暗い感情に捕われていた木手だったが、平古場が呼ぶ声が聞こえて我に返った。思いに耽っていた所為で、平古場達から随分と距離が開いてしまっていた。
手を振って早く来いと呼ぶ平古場に答える為に、空いた距離を小走りで駆け寄って行けば、一つ笑みを零した後、前を向いて田二志と話しを始めた。
平古場の後ろ姿を見つめていると、先ほどの早乙女との諍いを思い出した。部員が馬鹿にされ、貶されていることに対して、あれほどの怒りを見せた平古場が、もしあの夏に木手と同じ場所に立っていたらと考えた。
あの時、蔑みと侮蔑と嘲笑を向けた人々に対して、平古場は木手と同じ様な怒りを覚えたのではないだあろうか。そう思い金色の髪が揺れる背中を見つめる。
あの日、あの場所に平古場がいたならば、今とはもっと違う道を選べていたのだろうか。
あの負けた熱い夏の日に。
考えても仕方がないことを考えてしまうのは何故なのだろうか。それにきっとあの頃、平古場の隣にいたのは知念だったはずだ。だから、木手の傍にいることなんてまずありえない。
過去を振り返った所で、未来が変わるわけではない。「もしもあの時にこうしていれば……」なんて弱者のいい訳にすぎないのだから。
そんな事、分かりきっているはずなのに、平古場と過去を共有出来ていれば、先ほどのように喧嘩をすることもなかったのではないかと思ってしまった。
そんな風に思うのは、先ほど知念と平古場の関係を見たからだ。
一度、怒りが爆発すると平古場を抑えこむことは、さすがの木手でも中々難しい。それなのに、知念にかかればあっという間にいつもの平古場に戻ってしまった。それが、幼馴染という絆なのかもしれない。
きっと、木手と甲斐がそうであるように。
そう、ただそれだけなのに、木手の知らない平古場が目の前にいるようだった。
それを何故か、酷く『寂しい』と感じてしまった。
平古場と知念が傍にいるのはありふれた光景だったし、二人が話している姿だってよくある当たり前のことで、平古場が知念に向って穏やかに笑うのだって何も不思議なことではない。それなのに、どこか取り残されたような気持ちになるのは何故なのか。
胸に何か欠けたものを感じながら、ただ無言のまま、平古場の背中を見つめて学校までの距離を歩いて帰った。
部活中も、帰宅してからも、その感情は木手から離れることなく胸の奥深くに留まり続けた。
***
部活が終わった後、平古場は真っ直ぐに家へと続く帰路に着いた。自室へと上がり鞄を机の上に投げる様に置いて、私服へと着替える為に上着を脱ごうとした瞬間に、どさりと音がして鞄から教科書が落ちてしまった。鞄の口が空いていた所為と、雑な置き方をした時に中の教科書同士が滑って流れ落ちてしまった。
小さく舌打ちをして、机に近づいて屈み込んで教科書を拾い集める。鞄の隣に拾った教科書を置き、ついでに鞄の中から他の教科書も取り出そうと開けば、木手から渡されたチョコレートの箱が目に飛び込んできた。床へ落下しなかったことにほっと胸を撫で下ろし、鞄の中からそっと大切に取り出す。
木手から渡された時は、目の前で何が起こったのか分からず、ぽかんとして顔をしてしまった。思い返して平古場は恥ずかしくなった。もっと気の利いた反応も科白も今なら幾つも思いつくのに、間抜けな姿を木手に見せてしまった。「格好わりぃ……」と呟きながら椅子に座り、チョコレートの箱を眺める。
箱を手の中で色々な方向へと傾けて、ただじっと見つめる。勿体無くて、包みを開くことが出来そうになかった。少しざらつく手触りの包装紙は紫で、その箱を飾るリボンは白。木手が愛する比嘉の色だなと一目で分かるから、きっと平古場が期待する様な意味なんて一つもないだろう。