serenade
ホーエンハイムは目を細め、そっとトリシャの肩を引き寄せた。ぬくもりを感じたとしてもそれはきっと幻だ。意識か魂が見せる、最後の楽園。
それでも今見えて感じられるのなら、もうそれ以上については詮索しない。幻だとして、誰が困るわけでもない。
「だから、手紙を出したの。あの子を大事に思って、愛してくれる人に。…手紙はもどってこないもの、きっと、誰かに届いたんだわ」
ホーエンハイムの脳裏に、最後の戦いを共にした黒髪の軍人の姿がふと蘇った。彼のことは通りいっぺんにしか知らないし、あの非常時だ、どこまでわかったかは心もとないが、エドワードやアルフォンスが彼を信頼していることはわかった。
「…そうだな。…なに、俺達の子だよ。愛されないはずがないだろう?」
冗談めかして言えば、トリシャはくすくす笑う。ホーエンハイムもまた、長すぎるほどに長い人生から解放され、ただただ一途な気持ちだけで妻に頬を寄せる。
「…あの子たちが、幸せでありますように」
トリシャの囁きは、花弁を巻き上げた風がさらっていく。ホーエンハイムはその花の鮮やかさに目を細め、きっとそうなる、と心から頷く。
「…?」
不意に立ち止まり空を見上げたロイに、エドワードもつられたように足を止める。まさか目が、と少々その顔は心配そうだ。しかし。
「なんでもないよ」
視力を取り戻した男は、深い色の瞳でじっとエドワードを見つめる。吸い込まれそうな色に、エドワードは一瞬ぼうっとなってしまった。
誰かに呼ばれたような気がした。そう、たとえば、
『私の愛するあの子を愛するあなたへ』
あの手紙の主に。そういえば、あの手紙を開けた時の不思議な香りを少し感じたような気がした。懐かしい、…そうだ、あれは花の匂いだ。たくさんの花が咲く、花畑のような匂い。たとえば、…そう、たとえば、エドワードの故郷であるあの場所に広がる草原のような、そういう広々した場所に広がる花畑の匂い。
「エド」
「…!」
名を呼んで手を差し出せば、びっくりしたように瞬きした後、おずおずと手を伸ばす。それをしっかり捕まえて、ロイは胸中で答える。やっと、心から答えることができる。
「…きっと、幸せにします」
届くかどうかはわからない。というより届くかどうかに意味はない。これは誓いのようなものだから。
「なあ、名前で呼ぶのとか、さ、」
もぞもぞするエドワードに、ロイは満面の笑みを浮かべた。
「名前で呼ぶしかないだろう? 君の右手はもう、暖かい」
どうだ、と言ってやれば、エドワードは目を丸くした後、嬉しそうにはにかんで頷いた。